八百屋さんが始めた子ども食堂――お互い様の街づくり~「だんだん」(東京・大田区)

地域の子どもたちに無料ないし低額で食事を提供する「子ども食堂」が全国に広がっている。小さい子どもが1人でも安心して食べに行ける子ども食堂は、いまや社会のインフラといってもよい。東京都大田区蓮沼で自然食品の店を営む近藤博子さんたちが始めた活動が、その先駆けだ。子ども食堂の現状について、近藤さんに話を聞いた。

歯科衛生士が開業した八百屋

東京の南西部、東急池上線蓮沼駅のすぐ近く、「気まぐれ八百屋 だんだん」に行ってみた。居酒屋風の店の入口に、お品書きのような講座名の木札がズラリと下がっている。店主の近藤さんは自然食品店を営む傍ら、さまざまな文化講座を開設するなど地域活動も展開している。
「子ども食堂」は、ここで毎週木曜日の17:30~20:00に開かれている。

「気まぐれ八百屋 だんだん」内で開催される「子ども食堂」の営業は、毎週木曜日の17:30~20:00のみ

取材の申し込みに、近藤さんは当初「私でいいんですか、成功してませんけど」と遠慮された。ビジネスとして成功しているかどうかより、新しい仕事に挑戦し次世代につながる価値を作りだしている人を紹介するという趣旨を説明し、取材を了承していただいた。

大田区で「気まぐれ八百屋 だんだん」を始める前は、築地にある新聞社の歯科診療所で、歯科衛生士として働いていた。歯科予防処置、保健指導、歯科医の診療補助などの業務に従事する専門職である。歯の健康と治療という仕事を通じて食には興味があった。

近藤博子さん

「子どもが3人いるので、歯の健康も生活とつながりを考えた仕事をしたいと思っていた。例えば歯周病という病気の予防も、歯磨きだけでは絶対無理。生活全てに関わってくる。診療所には医科もあり薬局もあったので、連携すれば全体で1人の患者さんを見ることができる。そういうシステムを作りたかったんですが、私の力不足で」実現できなかったことに忸怩たる思いがあった。

生活は安定していたが、「このままでいいのか」と疑問を感じ2007年に退職。次のステップを考えていた翌年、ちょうどタイミングよく知人から無農薬野菜の販売を手伝って欲しいという話が舞い込み、「食と健康をつなぐには、いいきっかけになる」と、居酒屋だった店を居抜きで借りて八百屋を開業した。

店の名称「だんだん」は徐々によくなるという意味かと思ったら、近藤さんの出身地・島根の方言で「ありがとう」という意味。当初は配達だけだったが、近所のお年寄りの「売って欲しい」という要望で、平日の午後も店を開けるようになった。

八百屋だけに店内には様々な野菜が

小学校副校長先生の一言で奮起

子ども食堂を作るきっかけは2010年の頃、たまたま卵を買いに来た小学校の副校長先生から「今年入学した子の中に、お母さんが精神的な病気を抱えていて、お昼の給食以外の朝食と夕食は毎日バナナ一本しか食べられない子どもがいる」という話を聞いてショックを受けたこと。飽食の日本で満足に食事ができない子どもがいるなんて、信じられない。なぜそういうことが起こるのか。近藤さんは、先生に「この店は元居酒屋だから、ここで何か作って子どもたちに食べさせてあげられたらいいですね」という話をした。

野菜や米などの食材、調味料はそろっている。元居酒屋の店舗だから厨房もある。
「でも、だれが作るの、費用はどうするのということで、なかなか決断できなくて」開設を思い立ってから約1年半の時間が経っていた。

夕食にバナナ一本しか食べられなかった子どもは、その後養護施設に行くことになったということを先生から聞かされた。「私たちは何もできなくて、ふがいないというか、ダメじゃん」と、何もしてあげられなかったことに悔しさが募り「すぐ始めよう、カレーでもいいじゃないの」と2012年8月、夏休みの終わりごろから子ども食堂を始めた。

夕食にバナナ一本しか食べられない子どもがいるなんて話を聞くと、私だってビックリする。ただ、普通はビックリするだけで話は終わる。そこから先に一歩進んで、よし私が一肌脱ごうとか何かコトを起こすという人は少ない。近藤さんは、なぜ子ども食堂を始めようと思い立ったのか。

「何となく、です。別におばちゃんの力で助けてあげなきゃという重い決断があったわけではない。ここにはたまたま厨房もあるし、ここで一緒に食べられたらいいよねという思いですね。あったかいご飯と具だくさんの味噌汁を作って、それをみんなで食べれば元気も出るから、じゃ明日学校に行くぞという気持ちになるんじゃないかなと」

母親が病気を抱えていて、調子が悪いときは食事を作れないときもある。子どもがコンビニの菓子パンだけで済ますこともあるだろう。ファミレスだって子ども1人では入りづらい。

当時は、まだそれほど貧困の問題は取り沙汰されてなかった。近藤さんは貧困の子どもを救うというより、何らかの事情で十分な食事が取れない子供や、1人で食事をする〝孤食〟の子供たちを何とかしたいと思ったのだ。

子どもが一人でも来られる居場所

それにしても「子ども食堂」というのは秀逸なネーミングである。子どもが1人で食べに来てもいい食堂だよという目的を適確に表している。近藤さんは次のように言う。

「子どもが1人で来て食べて帰れる店ってどこにもないんですよ。単純に子どもが1人でも来れるところなんだよという意味で付けただけで、別に深い意味はないんです」

子どもが1人できても、「お父さんやお母さんはどうしたの、一緒じゃないの」とは聞かない。子どもがふらっと1人で食事に来てもOK。だから子ども食堂なのだ。

木曜日、この日の子ども食堂のメニュー

「手書きのチラシを配ったり、ここへ来るお母さんたちにインフォメーションをしてもらって、17、8人集まって、みんなわいわいがやがや楽しそうに食べてました」

大人は500円だが、何らかの事情があって支払いができない場合は臨機応変に対応する。子どもたちもお手伝いをしてくれたら無料にするよということにしている。

「小学生から中学生、高校生、大学生も来ます。孫と一緒に食べてるみたいだと、ひとり暮らしのお年寄りもお見えになります。いまは一日50数人。子どもが入れ替わり立ち替わり、食堂にはすごい人数が来ます。店の中が子供たちでいっぱいになります」

ふらりと「だんだん」に立ち寄る高齢者もいる。孤食が寂しいのは子どもだけではない。大人は子どもと食事を楽しみ、勉強を教えることもできる。一石二鳥だ。

全国に広がる「子ども食堂」の輪

当初、貧困家庭の子どもたちばかり集めて食事をさせているのだろうという誤解を受けた。格差や貧困の問題を訴えると反発する人たちがいる。それだけ余裕がない人が増えているということでもある。貧しい子どもを救済することだけが目的ではない。

「となりのおばちゃんがやることだから、私の家に呼んでもよかったんですけど、家に他の子どもを呼ぶのは家族の同意も必要になるので、ちょっとハードルが高くなる。たまたまここには厨房もあったので、自分の気持ち次第でできるしね」

近藤さんたちが始めた子ども食堂の輪がだんだん広がって、いまや全国に4000カ所を超える。子ども食堂はいまやちょっとしたブームだ。子どもたちに勉強を教えるのは難しいが、食材を寄付したり、料理を作ったり、皿洗いしたり、子どもと一緒に食べたり、いろんな関わり方ができる。そういう意味では開設のハードルが低いのだろう。

子どもだけではなく大人も

近藤さんたちの子ども食堂は毎週木曜日に開店する。メニューはその日の食材で決める。あるもので作るのが基本。スタートしたときの料金は大人500円、子ども300円だったが、「その後、あちこちからお米とか食材とか寄付をいただくようになったので、それは還元していこう」と2015年春から子どもは100円に値下げした。大人は500円だが、何らかの事情があって支払いができない場合は臨機応変に対応する。子どもたちも「お手伝いをしてくれたら無料にするよ」ということにしている。

子ども食堂の食材は寄付で賄っている。全国から野菜や米が送られてくる。
「食材もけっこういただいてるし、普通の方からの寄付を中心に、企業からもいただいてます。『だんだん』からの持ち出しは減りました。毎月お金を送ってくださる方もいて、助かってます。ひとり親家庭にお裾分けもできるようになりました」

メニューはその日によって異なる。豪華なメニューになることもある。その日によってメニューは変わるが、先日はウナギの蒲焼きが出た。プロの寿司職人が握る寿司になったりすることもある。500円でウナギや寿司が食べられるのか、いいな、僕も来ようかなと言ったら「どうぞ、どうぞ」といわれた。といってもどんなメニューになるか事前にはわからないとのこと。ウナギを当て込んで行ってもダメなのだそうです。

地域の文化センター、サロン的役割

店の入口に「ランチで英会話」「ソクラテスカフェ」、「ワンコイン寺子屋」「だんだん寄席」「教育居酒屋」「手話教室」など「お品書き」の木札が架かっている。
「こういう場所があることで、高齢者が活躍していただける場をつくり出せることにもなる。子ども食堂を軸に、子どもたちのことを考えながら」地域の文化センター的役割も果たしている。多くの企画に人が集い、その出会いやつながりが新たな人の輪を広げている。

NPO法人だと行政から助成金をもらって何らかの事業をする場合が多い。近藤さんのグループは、民間型ボランティア集団であり、行政の助成金は当てにできない。

「文化講座をやりたい人に集まってもらって、場所のシェアをしているんです。いろいろ経費がかかりますので、講師から家賃を少し負担していただくという形でやっている」

子ども食堂は、孤食を防ぐことだけにとどまらず、いろいろな問題を解決する社会的な運動に広がる可能性がある。子供たちがボランティアの大学生に勉強を見てもらったり、高齢者が子どもたちと遊んだり、大人も子どもも一緒に学べる場、地域のサロンとして機能している。近藤さんも多世代交流型の場になることが望ましいという。

組織化で円滑な運営を図る

孤食が寂しいのは子どもだけではない。子どもと大人が触れ合える場所にしたかった。家族ではないが、大人は子どもと食事を楽しみ、勉強を教えることもできる。大人も子どもも高齢者も「自分の居場所」と感じてもらえるようになるのが理想だ。

子ども食堂は、思いやり、お互い様の精神で行っている活動で、スタッフとして関わっている人たちも全員ボランティア。赤字にはなってないが、人件費は出ない。近藤さんの生活を支えるのは、パートの歯科衛生士と自然食品販売の仕事だ。

「野菜もあまり収益は上がってません。野菜は儲からないんです。地産地消をやめましたので、遠くから仕入れると送料がかかってしまって、利益はあまり乗せられない」

自然食の売上げも期待できないとなると、近藤さんのモチベーションは何か、という問いに、しばらく考えて「何でやってるのかな、私にもわかりません」と笑いながら答えた。「何が何でもやらねば」という悲壮な気持ちで活動しているわけではないという。

子どもたちも大きくなり、独立したので「贅沢さえしなければ、ま、何とか生活できる」と語る。活動を継続できなくなったら、ごめんなさい、やめますというつもりだ。絶対に続けるんだという使命感で固まっていたら、逆に苦しくなる。

ゆるやかなネットワーク作り

2015年10月に「子ども笑顔ミーティング実行委員会」を設立。毎月会議を開催し活動方針を話し合っている。子どものことを縦割りではなく、地域全体で支えるための支援のあり方や活動する人たちのゆるやかなネットワークを作ることが目的。

「これどうですかと聞かれても、私だけで決めますから、◯か×を一人で決めることが多くなると、すごく精神的にも大変なので、あ、じゃちょっとスタッフと相談してみますと言う形でワンクッションがないと、非常に厳しいなと言うのがありまして」組織化をしていきたいと考えていた。

「気まぐれ八百屋 だんだん」はいい名前だが、個人事業主。「いろんなところへ行くと、みなさん肩書きを気にされて。いままでチャランポランにやってきた会計もきちんとやらないといけなくなって」昨年暮れに「一般社団法人ともしびatだんだん」を設立。近藤さんが代表理事に就任。一人ひとりに明かりをともそうという意味を込めた。

個人の力には限界がある。コミュニティの活動を始めると何かと判断を求められることが多い。日常的に発生する問題をすべて一人で決めようとすると、精神的に重圧がかかる。組織化すれば自分ですべてを処理するのではなく、ワンクッション置いた形で物事が決められるという利点がある。近藤さんも他のメンバーと相談しあえる体制をつくりたいという。

いままでも忙しかったが、「社団法人にしたら、ますます忙しくなった」と笑う。

お互い様の社会を目指して

近藤さんは子ども食堂が決して特殊なものではなく、町のあちこちにあるという社会が望ましいと考えている。町の保健室みたいな場所が増えれば、子ども食堂はなくてもいい。

「そういう地域作りは、とても大事なことです。お互い様の思いやりのある社会になっていけばいいと思いますね。昭和の時代がそうだったとよくいわれるんですけど、古い時代を懐かしがるだけでなく、今の時代に合ったような社会にしていかないと」

例えば昭和の時代は、ご近所同士が助け合うお互い様の精神が息づいていた。いま地域社会にお互い様の関係は急速に失われつつある。そういうお隣さんどうしの濃密な関係が希薄になってきているなかで、近藤さんが次世代に伝えたい価値とは何か。

「人を想う気持ちです。それを大事にすることを伝えたい。それさえ忘れなければ絶対に間違いは起こらないと思ってます。人を受け入れるというのは、とても大変なこと。一人ひとりの人間を丸ごと受け入れるのは、難しい。至難の業だと思います。いままで二人だけ出入り禁止にしたことがあります。苦労は何かと聞かれたら、そこだと思います」
もともとは歯科衛生士であり、無農薬野菜を売る店の店主であり、子ども食堂を運営する活動家でもある。店舗を活用してさまざまな文化活動まで展開している。まるでマルチタレントみたいだが、こういう人を何と言えばいいのか。社会運動家ですかと言ったら、即座に「違いますよ」と否定された。「私、社会運動家でも何でもないですよ。となりのおばちゃんでいいと思います」と明るく笑った。

快活に笑い、よくしゃべる。確かに、社会貢献事業を展開する活動家というより、何でも悩みを聞いてくれそうな、近所の頼りになるおばちゃん(失礼!)のイメージだ。

でも、ただのおばちゃんではない。一昨年、「公益財団法人 社会貢献支援財団」の第47回社会貢献者賞の表彰を受けた。「たまたまですよ。子ども食堂がこんなに広がって、こりゃあそこに何かやっとかないといけないと思ったんじゃないですか」

近藤さんは教育の専門家ではないが、様々な活動を通して子どもの成長を見守っている。学校の先生ができないようなことをやっているという意味では、大きな教育的役割を果たしているし、町の教育者といってもいい。こういう「となりのおばちゃん」的活動が、子どもたちを取り巻く環境の改善や、暮らしやすい町作りにつながることは間違いない。


取材・執筆:大宮知信/ノンフィクションライター
1948年茨城県生まれ。中学卒業後、東京下町のネジ販売会社に集団就職。その後、調理師見習い、ギター流し、地方紙・業界紙・週刊誌記者など20数回の転職を繰り返し、現在に至る。政治、教育、移民、芸術、社会問題など幅広い分野で取材・執筆活動を続ける。海外へ渡った日系移民に強い関心を持つとともに、スペインをこよなく愛し、趣味はフラメンコギター。
著書は『さよなら、東大』(文藝春秋)、『世紀末ニッポンの官僚たち』(三一書房)、『デカセーギ 逆流する日系ブラジル人』(草思社)、『お騒がせ贋作事件簿』(草思社)、『スキャンダル戦後美術史』(平凡社新書)、『「金の卵」転職流浪記』(ポプラ社)、『お父さん! これが定年後の落とし穴』(講談社)、『平山郁夫の真実』(新講社)、『死ぬのにいくらかかるか!』(祥伝社)、『人生一度きり!50歳からの転身力』(電波社)など多数。

撮影:樋宮純一/フォトグラファー

取材・編集:石原智/(一社)次世代価値コンソーシアム

掲載:2019年4月

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