「食」がもたらす幸せの仕組みづくり~料理マスターズ倶楽部事務局長・高橋喜幸さん

フランスには農事功労賞という勲章が存在する。フランスの農産物輸出・販売促進、フランスの食文化の普及に功績のあったフランス人、外国人に与えられるもので、1883年にスタートした。和暦で言うと明治16年となり、大変、歴史のある勲章だ。服部栄養専門学校校長の服部幸應氏をはじめ、この10年で約70人の日本人も叙勲されている。

この農事功労賞をモデルにした顕彰制度が日本にもあるのをご存じだろうか。2010年から始まった農林水産省の料理人顕彰制度「料理マスターズ」である。
ジャーナリストや生産者など、幅広い人材を顕彰するフランスの農事功労賞とは違い、「料理マスターズ」は現役の料理人にのみフォーカスする。発足から9年という新しい賞だが、受賞者の顔ぶれは豪華である。大阪の名店「レストラン カハラ」の森義文さん、ミシュラン三つ星で知られる「日本料理かんだ」の神田裕行さんなど、食通ならずとも聞いたことのある名前が並ぶ。

第9回(2018年)授賞式。東京・パレスホテルにて

農林水産省がずいぶん洒落た制度を始めたものだと思うが、運営は、料理マスターズ倶楽部という民間団体がかなりの部分を担っている。さらに言うと「料理マスターズ」発足に奔走し、当初から事務局長を務める高橋喜幸さんの存在抜きにしては語れない制度でもある。

候補者の発掘、出版物の制作、イベント開催、審査委員とのやりとりなど、仕事量は膨大で、これを約10年間続けているというのだから、熱意はたいしたものだ。農林水産省の制度ではあっても、国から料理マスターズ倶楽部にわたる予算は一切ない。協賛企業を募り、イベントを企画実施して運営費を調達するのも仕事のうちなのだから、その苦労が忍ばれる。それでも高橋さんは全国を走り回り、次回の「料理マスターズ」受賞者の候補発掘に向けて準備に余念が無い。

料理マスターズ倶楽部事務局長 高橋喜幸さん (撮影:樋宮純一)

そもそも高橋さんは慶應義塾大学や早稲田大学の教授として公共政策などを研究していた。それが、今では全国の料理人や生産者と懇意に付き合い、日々、食について考えている。いわば人生を大きく変えた「料理マスターズ」の魅力と、その存在の意味について、高橋さんに話を伺った。

生産者と消費者をつなぐ存在--料理人

————そもそも食に関わるようになったきっかけはなんだったのでしょうか?

慶應義塾大学にいたころに、地方から国を変えていこうという結構大きな研究会ができ、それを運営していました。地方の活性化のためには地方分権や規制緩和だけでなく、生きていくための産業が必要です。地方を考えた時、やはり農業は特徴的な産業だろうと。当初は国の規制が邪魔をして、農業が振興できないのではないかという仮設を立てていたのですが、調べた結果は違いました。地方には農業政策がないということがわかったんです。

我々は農学部ではないので、農業技術で生産を応援することはできない。しかし食べることは好きですし、よい料理人をフィーチャーして応援すれば、第一次産品を消費者に届ける仲介になる。また料理人も一般市場で仕入れるのではなく、生産者と直接繋がって、その素材で料理を作る。今の言葉で言えば、「地産地消」で地方を元気にすることができるのではないかと考えたわけです。

2018年11月の授賞式。歴代の受賞者をパネル展示

──そこから料理人を顕彰する制度へと繋がったのですね。

現在、料理マスターズの審査委員長をしている榊原英資さんが、フランスには農事功労賞があるのだから、日本でも作ったらどうだろうかと、当時の農水大臣の赤松広隆さんにプレゼンをして「料理マスターズ」の発足が決まりました。農水省としても食料自給率向上は重要なテーマで、こちらのほうは食を通じて地方を元気にしようということですから、方向性は一緒なんです。「料理マスターズ」は国の制度で、主管は農水省。民間企業が協賛するという形です。財政は非常に大変ですが、事業仕分けや政権交代という政策的な荒波は乗り切れています。

歴代の受賞者たち

──お手本のフランスは国費で行っていますね。

フランスは国の政策として、食や料理を戦略的に考えて、料理にも国家予算をつぎ込んでいます。日本では料理は芸術や文化の範疇にはないと考えられてきたので、料理に予算を出すことは難しい。そもそも日本で料理人の社会的位置付が低いと思います。「料理人風情」という言葉が昔の映画やドラマではありましたが、水商売というようなニュアンスが消えきらないのですね。

協賛企業からの期待も大きい

ソフトパワーの発信として

──そんな中で「料理マスターズ」発足は、ある意味画期的だったかもしれません。また顕彰のシステムもユニークです。最初は全員がブロンズ賞からスタートし、5年間にわたって発展が認められればシルバー賞を与えられる。さらに5年間、進歩発展を続けるとゴールド賞を授与される。長い時間がかかり、したがって、いまだ1人のゴールド賞も出ていません。

フランスの農事功労賞はシュヴァリエ、オフィシエ、コマンドゥールの3段階なんです。受賞したらそれで終わり、が日本の顕彰制度だったので、当時の農水省の担当室長がフランスの制度の特徴を取り入れました。そういうステップアップの仕組みは日本にはなかったので。またこの賞は現役の料理人を対象にするので、彼らがステップアップしていく将来が見える。

そもそもこの賞は継続することに意味がある仕組みです。ミシュランにしても1900年にスタートしていますから、「料理マスターズ」など足元にも及びません。ただヨーロッパ、とくにフランスの食の規準とは違う、日本の食の規準を世界に打ち出していけたらいいなという考えで、この制度を進めています。50年、100年と続けることができれば、日本のソフトパワーの1つになる存在だと思います。それは僕が死んだ後のことですが、それを常に意識してやっています。

生産者や関連事業者も巻き込んで

──料理の技術だけでなく、生産者との協働関係が重視されているという部分が、とても個性的な賞です。 

農林水産業は自然が相手ですから、自然現象によって、豊作の年もあれば、うまくできなかった年もあります。本当によい食材なら、手をかけずにそのまま出して、十分においしい。しかし日照や雨などの関係で、食材が完璧でなかったとき、買ってもらえなければ、生産者は暮らしていけないのです。

そういうときでも、料理人と生産者の関係ができていれば、料理人は、その生産者から買い取ります。人間性をわかっていますから、今年は難しかったけれど、来年はいいものを作ってくれるだろうと思うわけです。

市場でのお金だけの取引だと、いい時はいいけど悪い時には取引がなくなります。そういう不安定な状態では、生産者は手間暇をかけることはリスクが高く、食材生産を続ける人がいなくなってしまいます。そのため、精魂込めて作る人の食材は元来安心できるものですから買い取るのです。それで生産者は安心して生産に取り組むことができるわけです。

審査委員長である青山学院大学教授・榊原英資さん(左)と高橋さん(撮影:樋宮純一)

──賞の性質を考えると、誰を選ぶのかは非常に重要になってきますね。

第1回から第3回目くらいまでは、本当に大変でした。この賞の存在自体を誰も知りませんから、私があちこちに出かけて説明するんです。「農水省が主催で」という話をしても、皆さん、怪訝な顔をされます(笑)。

しかし趣旨がわかると、ミシュランで星をもらっている料理人でも喜んで協力してくれるのです。ミシュランだと店での料理の部分しか見ませんが、我々は生産者とのつながりという、表からは見えない部分を含めて評価します。食材生産の現場を見てきている料理人たちからすれば「やっとわかってくれたのか」と感じてくれるんですね。

たとえば第2回受賞者の中道博さんは、北海道で三つ星レストランのオーナーシェフをしていて、世界料理コンクールで金賞を取るなど、受賞以前から北海道では非常に有名な人でした。しかし、かつては北海道という地方で料理を作っていることにコンプレックスがあったというんですね。

あるとき、フランスからアラン・シャペルという有名なシェフが来て、地元の食材を使って作る料理を非常に褒めてくれた。その人の言葉で、「自分の料理はこれでいいんだ」と気づいたそうです。北海道の食材を北海道で料理し、北海道に来てもらって、食べていただく。それが自分の料理の一番の強みだと。そういう人ですから、「料理マスターズ」のことは、まさに自分がやっていることそのままだと理解してくれました。

料理人に愛される賞に成長

受賞者を紹介する書籍。年度版として発行している

──昨年11月、第9回「料理マスターズ」の授与式に出席させていただきました。すると受賞した料理人だけでなく、過去の受賞者が大勢集合し、和気藹々とした雰囲気で盛り上がっていたのが印象的でした。どの料理人も「料理マスターズ」のことが好きで集まっているのですね。

東京での年に一度の受賞式は、全国から料理人が自腹で集まってくれます。本当に楽しいと言ってもらっています。「料理マスターズ」の一員になりたいという料理人たちが増えてきていますね。選ばれた料理人が、本当にいい料理人ばかりだからですね。毎年、受賞者を紹介する『料理マスターズ』という書籍を制作しているのですが、「レストラン カハラ」の森義文さん(第1回受賞者)は、「『ミシュランガイド』よりもいい本がある」と言ってお客さんや若い料理人たちに勧めてくれています。そういうことを、「レストラン カハラ」にお客さんとして行った料理人から聞きました。

2018年授賞式後の懇親会で

──「料理マスターズ」は今後、50年、100年と続けていきたいとのことですが、高橋さんが次世代にぜひ伝えておきたいこととはなんでしょうか?

最近、若い人達が食べることに対して、あまり関心を寄せていない感じがあって、残念ですね。ファストフードのような安いものだけを食べていると、日本の食の持つ魅力は絶対にわかりません。「料理マスターズ」に選ばれるような人たちの料理は、やはり材料から吟味しますから、値段は高い。それでもぜひ食べて欲しい。そういう経験を何度か繰り返すと、日本の食の素晴らしさが身に染みこんできます。

最近、よく「おもてなし」という言葉が出ますが、人をもてなすとき、具体的には「食べ物」が大事です。日本の食材を日本に来て食べると美味しい。そういう日本の食の魅力、ソフトパワーの源泉を大事にして欲しいのです。

(撮影:樋宮純一)

【プロフィール】
高橋 喜幸(たかはし よしゆき)
料理マスターズ倶楽部 事務局長
1955年生まれ。1980年、埼玉大学大学院政策科学研究科修了。
(株)経済政策研究所、(財)財政経済協会の主任研究員、事務局長などシンクタンクで経済政策・公共政策の研究、経営を経て、2005年慶應義塾大学教授(グローバルセキュリティ研究所)、2006-2011年早稲田大学教授(公共政策研究所)。
農林水産省が2010年に創設した農林水産省料理人顕彰制度「料理マスターズ」の制度創設にかかわり、料理マスターズの制度を民間サイドから支援する団体として料理マスターズサポーターズ倶楽部を農林水産省と共同して2010年に創設し、事務局長を務める。
2016年、料理マスターズ倶楽部に改称し、現在に至る


取材・執筆: 馬場千枝/ライター
東京都生まれ。東京都立大学人文学部史学科卒。1991年よりフリーライターと
して仕事を始める。雑誌、書籍などで執筆多数。好きなこと、面白いことをや
りながら、社会を動かそうという人たちに興味を持ち、取材している。趣味は
切手集めで、著書に『切手女子のかわいい収集BOOK』(PHP研究所)がある。

撮影(クレジット記載のカット)・樋宮純一/フォトグラファー

取材・撮影・編集:石原智

掲載:2019年4月

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