子どもたちに伝えたいピアニカの可能性~ピアニカの魔術師が全国を回る理由~

1960年代以降、徐々に日本の小学校における音楽教育の主役となっていった鍵盤ハーモニカ。「鍵盤ハーモニカ」よりも商品名の方が定着しているといった人も多いことだろう。SUZUKIの「メロディオン」やヤマハの「ピアニカ」などだ。その「ピアニカ」を冠した音楽グループ「ピアニカの魔術師」を知っているだろうか。全国を飛び回り、年間180ステージをこなす。小学校の体育館や町の小さなホールを次々に回って、まるで音楽の草の根運動だ。

「僕は、音楽の授業は今まで好きじゃなかった。でも、このライブで初めて音の楽しみ方を知りました。次の授業に活かしてみたい」は、ある小学生の男の子の感想だ。子どもたちの心を揺さぶる、彼らの情熱的な活動は着実に実ってきている。ライブの取材、そしてリーダーであるピアニカ奏者のミッチュリー氏へのインタビューを通じて、「ピアニカの魔術師」の活動の原動力に迫る。


プロフィール:ピアニカの魔術師
ピアニカを中心にパーカッションやギター、ピアノなどそれぞれ第一線で活躍するプロの演奏家たちが結成した音楽パフォーマンスグループ。主に芸術鑑賞会や各種イベントを通じて、全国の子ども達に音楽の楽しさを伝えている。


ライブで生まれる子どもたちの笑顔

(撮影:樋宮純一)

2019年2月10日、「ピアニカの魔術師」のライブ会場となった、あきる野市の秋川ふれあいセンターホール内の320席はほぼ全席が埋まっていた。幼児から中学生くらいの子ども連れの親子も多くいるが、白髪におおわれた年配客も同じように多く見られる。

開演20分前、楽屋をのぞいた。アイロンを片手に忙しく動き回っているミッチュリー。舞台裏の準備も全て自分たちで行っていた。 バタバタと走り回りながらも 、その表情は嬉々としていた。

幕が上がり、拍手とともにピアニカの魔術師がステージに現れた。

「音楽っていいなと思ったのは実は海外で、100%、音楽の周りには笑顔があるんですね。路上で音楽聞いて、隣にいる知らない人といきなり友達になっている。そんな光景がいっぱいあるんです。だから、日本の子どもたちにもっと音楽の楽しさを知ってもらいたい。音楽の楽しさを知った子どもたちが大人になった時に、この世の中はもっと良くなると、笑顔があふれると思うんです。だから身を削ってでも子どもたちに音楽を伝えたいと思ってます」とピアニカ奏者のミッチュリーが挨拶をする。

そして続けた演奏が『この素晴らしき世界』だ。「平和を祈って、魂を込めて、演奏させてください」。演奏の合間に語る思いは実に熱い。

(撮影:樋宮純一)

その後、繰り広げられたライブには子どもたちが音楽を楽しむ仕掛けが施されていた。音楽ライブだと思っていたのに急に寸劇が入りタイプライターが登場。そして、そのタイプライターを楽器にして演奏が始まる。子どもたちだけでなく、大人たちからも驚きの声があがる。

(撮影:樋宮純一)

そして、ウッドブロックという木製の打楽器を使って、時計を表現した演奏が始まった。子どもたちに伝わりやすく、笑い声が会場を包み込む。「ウッドブロックをやってみたい子、手をあげて~」とミッチュリーが会場に声をかけると、次々と子どもたちの手が上がる。ライブの主役が子どもたちになる。最初は硬い表情だった子どもたちは、自分が創り出したリズムを通じて音楽の楽しさを実感したようで、舞台を降りる頃には笑顔になっていた。

(撮影:樋宮純一)

子どもが親を連れてくるライブ

ピアニカの魔術師のライブの後、子どもたちは音楽の魅力に気づき、行動を起こすという。ミッチュリーは一つ一つのエピソードを詳細に覚えていて、目をキラキラ輝かせながら語る。

「小学校でライブをやることが多いんですけど、ライブの後、みんな『ピアニカの魔術師 マリオ』といった検索ワードで探してくれているみたいなんです。それでYouTube動画にアクセスしてくれて、すごくたくさんコメントをくれるんですよ。たまに『今日はどこどこ小学校に来てくれてありがとう!3年何組の誰々です!』みたいなコメントをくれる子がいて。名前は書くな~!!って(笑)。もちろん、いただいた投稿に個人情報があったらすぐ消してますよ。

(撮影:川田卓矢)

嬉しいエピソードは他にもたくさんあって、ある子どもが家族みんな4人を連れてきてくれて、『前に小学校来てくれてありがとう!お父さん連れてきた!』って。家族の方からは『学校から帰ってきたら“ピアニカの魔術師!”言うて、子どもがずっとピアニカの魔術師さんの動画を見てました』と言ってもらったり、とにかく最初に見た子どもたちが自分の周りの大人たちを連れてきてくれたりということが、よくあるんですけど、それって、子どもの音楽に対する意識が何か変わって、行動につながったということであって、それが本当に嬉しいですね」

ピアニカのケースは、ライブを見に来てくれた小学生の男の子が祖母に頼んで作ってくれたという(撮影:川田卓矢)

ライブを通じて子どもたちの音楽に対する意識も変えていく一方で、ミッチュリーは教育現場の先生たちの意識も変えていこうとしている。

「最近ね、小学校の音楽の先生の先生をやってるの。こんな髪型のヤツが(笑)。去年の夏に、東日本、西日本と2回に分けてそれぞれ2,000人規模の大規模な講習会をやったの。そこで、『音楽の授業はこうやったらもっと楽しくなる』という提案とピアニカの新たなイメージ作り。

どこの学校の先生も『(ピアニカは)人気無いんです』と言うんですね。合奏での楽器選びになると、みんな大太鼓とかトライアングルとかに手があがるんだって。ピアニカはみんなが持っていて当たり前すぎて人気が無かったりするやんか。小学校で合奏をしようとすると、ピアニカが余っちゃう。でも、ライブをすると、その後に先生から『みんながピアニカをやりたいって手をあげてくれました』と言ってもらえることがあるんやけど、めっちゃ嬉しいねん。

(撮影:川田卓矢)

ピアニカは音楽の授業で使う分、やらされている楽器やねんな。楽しい楽器じゃないねん。だからイメージを変えたいというとこやんか。そのためにまずは先生にそのイメージを変えてもらわないと。それで、先生の先生をさせてもらってるんです。音楽の授業で一人ずつ立たせてリコーダーのテストやったりするよりも前に、音楽をただ学ぶのではなく、文字通り音を楽しむことを学ぶということをまず大切にして授業してもらいたい。音楽って苦手って思ってしまうのは、なんかちょっと不思議な気がする。聞くだけで楽しいものなのに」

小学生の男の子からもらった感想(提供:サウンドポケット)

ピアニカだけの人間になる

ミッチュリーのピアニカ人生はいつからはじまったのだろうか。

「元々、音楽の専門学校に通っていた当時、音楽理論の先生と音楽のことで議論になって、『そんなに自分の意見をもっているんなら(専門学校を)やめろ!』って言われて、退学させられたのが1年生の終わりで、18か19歳の頃。退学となって次の日からいきなり何もなくなって。それで、高校生の頃一人で100曲くらい作曲してたんですが、それを音楽会社に送っていたら『名探偵コナンのエンディングテーマを作ってみないか』と声をかけてもらって、19歳から音楽業界で仕事をするようになったんです。

(撮影:川田卓矢)

この頃は、さらに音楽の講師をやらせてもらっていて、そこで人脈が広がって今のメンバーとの出会いが次々生まれた時期でもありましたね。

両手でピアニカをふいたのは19歳の頃やったと思う。その頃は本気でピアニカをやろうとは思っていなかった。当時は大阪のテレビ番組の音楽とか久保田利伸さんの曲とか担当させてもらったり、メジャーなレコード会社の作曲やキーボディストとして活動してたりしたんだけど、『ああいう曲流行っているから、そんな感じの曲作ってよ』という要望しかないねん。自分が100%の自信をもって出したものには『売れんから』という話で却下なんてこともあったよ。

でも芸術家ってこうじゃないよなって感じていたし、だからこそ本当に誰もやっていないことをしないといけないなって。その時にふと『ピアニカってプロまだ誰もいないな』って気付いたの。ずっとキーボディストやっていて、たまたま片手間にやるくらいのピアニカやったけど、ちょっと本気でやってみたらどうかなって思って。

それで、本気になるためにピアノとかキーボードとか他の仕事はやめるって決めてやったの。『これ(ピアニカ)だけの人間になる』って決めたの。というか、昔からそういう人に憧れていたんですよ。僕はギターもベースもドラムも鍵盤も、レコーディングも自分一人でやっちゃうのね。色々全部できるけど、自分はどれも中途半端だなって思っていたから『僕はトランペットしかできない』みたいな人にずっと憧れていたんです。むしろ、それしかできないってことが最強だなって思っていたから」

(撮影:川田卓矢)

退学させられた後に手にした仕事が順調にいっていたのに、不安ではなかったのだろうか。

「昔から大きな何かを手放すとその分何か別の大きなものがボンと入ってくるということを感じていて、面白いなと感じてたやんか。だから今までの仕事を手放すことへの恐怖感みたいなものは感じなかった。ピアノの仕事、作曲の仕事、CMの仕事全部やめて、そこのスペースにピアニカがドンと入ってきた。もちろん最初はやっぱり大変だったよ。本当に仕事なくなってたから。でもその時間はこれ(ピアニカ)と向き合う時間だと思ってやっていたら、知らん間に公演数がすごく増えて。ありがたいことに今は2021年のオファーまでいただいています」

(撮影:川田卓矢)

音楽で人は変われることを知ったから

ピアニカの魔術師はただピアニカ演奏をしているだけではない。ライブを通じてあるメッセージを発信している。そのメッセージを生み出す価値観はどのように形成されたのだろうか。

「22~23歳で初めて海外旅行したんです。当時、レゲエバンドを組んでて、周りのみんながジャマイカに行って、みんな何かが変わって帰ってきたんですよ。それで、周りに早く追いつきたいと思っていた僕は、免許を取ろうと思って貯めていたお金で、ジャマイカに行ったの。

ジャマイカでは毎日がハプニングだった。空港ついて早々にお金やみそ汁やシャンプーとかいっぱい荷物を詰め込んでいた僕のトランクが出てこなくて。背負っているリュックに入っているものは、ピアニカとパスポートと財布だけ。そんな状況で、初めての海外旅行がスタート。その時、僕だけが一人取り残された荷物受取場で、冷や汗かいてたというか、いや泣いてたかもしれない。

とにかく、とりあえず空港出たら、今度はお年寄りの方がブワッーって集まってきて、自分になんだか汚れたヒモをくくり付けてきて『願いが叶うミサンガだから金をくれ』って言うのよ。そのあと、空港から街に向かうタクシーに乗るんだけど、ボンネットにサインペンで『TAXI』って書いてあるだけの車。自分の今までの常識がいっぺんに覆される感じだった。でもそんな中でも常に決まって音楽が流れていたんだよね」

(撮影:川田卓矢)

初めての海外ではミュージシャンとして貪欲さの違いも感じ取った。

「生きる力や意志の強さみたいなものを現地の人から学んだと同時に、それは良いものが生まれる源泉かなって感じた。誰もがバイタリティに溢れている感じ。

そうそう、向こうでは音楽スタジオの建物に向ってミュージシャンが必死に演奏しているんですよ。それを建物の中で聞いているプロデューサーが窓から顔出して『お前来い!』って言って今日収録に使うミュージシャンを決める。ミュージシャンはそこでやっと収録に参加させてもらえて、お金がもらえる。つまり上手くないとメシ食えないし、だから、みんな本当に上手い。ハングリー精神が本当に強い」

その文化の違いを感じていた旅の最中に遭遇した事件が、音楽活動の核心へとつながる。

「ジャマイカの旅の途中、うっかり裏路地に入ってしまったら怖い人たちに囲まれて、ナイフ向けられて。もう刃先が身体にあたってたんですけど。で、『金出せっ』て言わるんだけど、リュックに入っているものはもちろん3つだけ。一人が僕のリュックを奪って、中から一番大きいものを取り出した。ピアニカなんやけど、誰かが気づいて『それ楽器やん!』って。

そこからガラッと雰囲気が変わって、一番怖そうな人も『なんだ、それ?』って。とりあえず意味も分からず僕ナイフ突き付けられながら、ピアニカ吹いたんですよ。そしたら突然ブワッ~っと盛り上がって。さっきまでナイフ突き付けてた怖い人たちがですよ。その日以降、近くを通ったら、『おい!昨日のヤツ!』ってすごくフレンドリーに声をかけてくれるようになってね」

まさに音楽の力を肌で感じた瞬間だったという。

(撮影:川田卓矢)

大阪の子どもたちを取り巻く環境に危機感を感じて

海外での衝撃的な体験とともに、子どもたちへ向けた活動を始めるきっかけともなっているのが、ミッチュリーの地元である大阪の教育現場の状況だ。

「僕が小学生の頃は1年間でたしか80時間程音楽の授業があった。今は40時間程しかない。音楽の授業が少なくなってしまっている以上、音楽の楽しさを伝えるような濃い内容にしていかないと」

大阪府が支出する芸術文化費用(国庫補助を除いた芸術文化事業費・文化施設経費・文化施設建設費の合計)の低さが一時注目され話題になった。平成25年度は府民1人当たり84.4円で47都道府県中最下位、平成26年度は79.6円/人で46位だった。

平成25年度~29年度「地方における文化行政の状況について」(文化庁)、 平成25年~29年「都道府県別人口推計」(総務省)データよりグラフを作成

「大阪の芸術や文化に対する予算である芸術文化費が他の地方と比較して少ない、音楽の授業時間が少ない、生演奏を聴く機会が少ないといった現状に危機感を抱きました。この状況では、子どもたちが日常で音楽の良さを体感することができないのではないかと。それなら、僕が、子どもたちの前に行って演奏しようと思ったんです。子どもたちの前でやるなら、身近な楽器ピアニカでやろうと。そこから魔術師がスタートした。

足りない状況について不満を言うのではなく、僕のやり方は直接子どもたちの前に行って演奏を聞いてもらって、『音楽って最高やろっ』て伝えること。10年後にその子どもたちが大人になって、音楽の好きな大人が増えることにつながる。そしたらきっと日本の未来が変わるって信じてやってるんだよね」

(撮影:川田卓矢)

学び続けるために

忙しい公演の合間に海外に足を運ぶ。そこで見たり聞いたり感じたりと吸収したことがまた次の音楽活動のエネルギーになるという。

「海外での経験が魔術師の活動の大きな原動力になっています。海外に行くと、まず音楽を騒音として迷惑がる人がいないんです。音楽の周りには、いつもたくさんの笑顔やコミュニケーションがあふれている。地下鉄などでライブが始まると、スマホの画面を見ている人なんていなくなる。リズムに合わせて手を叩き始めたり、隣の人と会話し始めたり。

日本は真逆な感じ。路上ライブしていたら下手すると捕まっちゃう。人が集まれば集まるほど警察がくる。地元の駅でライブをやっている友だちがいて、『一緒に参加していい?』って聞いたら断られたんです。僕、プロのミュージシャンなのに。思わず『なんで』って、聞き返したら『人が集まると、ライブができなくなるから』って。それが日本の現状なんですよね。音楽ってすごい身近なコミュニケーションツールなのに、一気にみんなが一つになれるのに、それが気軽にできないというのが本当に残念だなと。

(撮影:川田卓矢)

海外と日本の違いは他にもあってね、ピアニカを子どもたちに1台渡すと、日本の子どもたちはまず遊ぶ順番を決めだすんです。でも、ジャマイカで同じように子どもたちに1台のピアニカを渡してみると、『僕は吹くから、君はこの範囲を弾いて、こっちの君はこの範囲を弾いて・・・』って。この発想、すごくない?一つのものをみんなで分け合おうって精神だよね。助け合わないと生きていけない環境だからなのかもしれないけれど、自然と助け合う文化が育っていて、それが子どもたちにも当たり前に表れているんだなって、僕は衝撃を感じた。心を豊かにするというのをテーマに僕らは活動をしているけど、海外に行くことで、豊かな心って何なのかを子どもたちから学べるんだよね。

(提供:サウンドポケット)

インドネシアの子どもたちは登校するとみんなで肩組んで国歌をすごく楽しそうに歌うんだよね。国歌が明るくていい曲というのもあるかもしれないけれど、国歌でこんなに盛り上がるんだって驚きだったし、朝から音楽でみんなが一つになっているのも素敵だなって。音楽の力を改めて教えてもらった。

(提供:サウンドポケット)

エチオピアに行った時には、トタン屋根の建物が並ぶ景色を見たり、たくさんのストリートチルドレンに出会ったりしたことで、全員が学校に通える日本ってすごいなって改めて感動もした。そんな経験をしたから、世界の子どもたちのことを考え始めることができた。自分でできることって何があるかなって」

(提供:サウンドポケット)

その一環でピアニカをアフリカに送る事業にも協力したミッチュリー。彼の中にあるのは、熱い思いが一度沸き上がると、すぐにできることからやっていくという行動力だ。

音楽には人を笑顔にする力があるから

(撮影:樋宮純一)

冒頭の秋川ふれあいセンターのライブが終わりに近づいてきた。

「子どもたちは、未来そのものです。だからこそ、子どもたちの悲しい顔なんか見たくないんです。虐待やいじめなんか本当に悲しいことだと思います。そのためには、僕ら大人が世の中を変えないといけない。僕らができることは音楽ですが、音楽でできることをやっていきたい」

会場では、ミッチュリーの熱いメッセージに涙をぬぐっていたり、深く頷いたりする大人たちの姿が目に映った。

(撮影:川田卓矢)

「世界では音楽の力は日常に溢れている。でも日本ではお金を払わないとみられない。音楽のちからを体感できない。『音楽好きや』『音楽ってかっこいい』という子どもが増えるといいなって思っている。そして、音楽の力を感じてもらいたいと思っている。そういった意味で、音楽の力で紛争を一時的に止めたボブ・マーリーの『ワンラブ・ピース・コンサート』など音楽で人を笑顔にすることができるということをたくさんの人に知ってもらいたい

その一環として平和に関するメッセージを伝える時間をライブの中の最後の5分間だけ作っているんだよね。『みんなも何か笑顔を一つでも増やすようなことを一つは考えてみて』って。

小学校でライブをすると、感想をたくさんもらいます。『音楽で平和にできることを知りました』というものや、岡山の小学5年生の女の子からは、『武器という漢字と楽器という漢字は一文字しか違わないのに、武器は悲しみと憎しみしか生まない。楽器は喜びと笑顔が生まれる、そんな素晴らしいものなんだと知りました』という感想ももらって、ちゃんと伝わっているんだなって思うと同時に、こんな風に感じるなんて逆に子どもたちってすごいなって。そんな子どもたちから返ってくる声が自分の活動を支えてくれているんです」

「一日一日、ほんの1ミリでも何かやっていけると、目的に近づける」そう信じて、今日もどこかでピアニカの魔術師は子どもたちの前で演奏しているのだ。

(撮影:樋宮純一)

取材・執筆・構成:王麗華/一般社団法 次世代価値コンソーシアム代表理事

撮影:樋宮純一/フォトグラファー
長野県生まれ。第一企画 写真部などを経て独立。人物から建築、料理、商品まで幅広く撮影を手がける。

撮影:川田卓矢/フォトグラファー
1991年生まれ熊本県出身。大学卒業後、スタジオアシスタントなどを経て独立。主に人物撮影を手がける他、商品や料理の撮影も行っている。法人、一般問わず活動中。

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