「自分の心に正直に生きる」ということ ~「生と性の授業」に込められた思い~

久しぶりの校舎。懐かしい教室の匂い。

母校、桐朋小学校で、「小学生に、性の多様性について教えている先生がいる」、そんな噂を耳にした。
「ほっしー」こと、星野俊樹先生。奇しくも同い年。同じ時代を生きてきた者として、会ってみたい。話してみたい。そんな思いで母校の門をくぐった。
2時間超のインタビュー。ときに熱く、ときにユーモアに溢れ、どこを切り取っても面白かった。だから、出来る限りそのままに、余すところなく残しておきたい。
星野先生が実践した「生と性の授業」が生まれるまでの経緯、「生きづらい」あなたへ、今だからこそ伝えられるメッセージとは……。

プロフィール:星野 俊樹(ほしの としき)
桐朋小学校教諭。1977年兵庫県生まれ。2000年に慶應義塾大学総合政策学部を卒業後、雑誌編集者として出版社に勤務する。働きながら通信課程で小学校教員免許を取得した後、東京都の教員として公立小学校に採用され、6年間勤務し退職。その後、自身の知見を広げ、学びを深めるために京都大学大学院教育学研究科に進学し、2015年に修士課程を修了。同年、学園法人桐朋学園桐朋小学校の教員として着任。5〜6年生の担任をしていた時の実践「生と性の授業」が、2018年5月にBuzzFeedの記事で紹介され、大きな反響を呼んだ。現在は1年生の担任として、子どもたちと楽しみながら試行錯誤の毎日を送っている。

みんなのアイドル「ほっしーパパ」

今年度は1年生の担任ですが、やっぱりかわいいですか。

かわいいですよ。「ほっしーパパ~」って、長期休みに入る終業式の日に、だっこされたい子、ハイタッチしたい子、僕のひじをプニプニしたい子の行列ができるんです(笑)。日々癒されています。僕、子どもの幼さを引き出したり、増幅させてしまうんでしょうかね(笑)。でも、それはそれでいいのかなって。放っておいても、子どもは成長したら勝手に離れていきますから。公立の先生にこのことを話したら「え〜!たとえスキンスップであっても、低学年の子どもの体に触ると、保護者に誤解をされる可能性があるからやめたほうがいいよ」と忠告されたことがあります。なんだか殺伐とした時代だな〜と思いますが、今ってそういう時代なんですよね。

星野先生の誕生日祝いのために子どもたちが作った星飾り(撮影:上林正典)

いい親というのは、いい子の親ではない

私も小学生の親ですが、先生との信頼関係があるかどうかって、すごく大きいですよね。

小1の担任になり、最初の保護者会で、学校としてのスタンスを保護者たちにこう伝えました。「子どもが何かやらかしたときに、親が悪いと思いませんから。親と子どもは別人格なので、僕は親と子どもを同一視しないし、みなさんもご自身を子どもと同一化させないでくださいね」と。親御さんは、子どものことで先生に何か言われると、「あなたはいい親ではない!」と自分が怒られたような錯覚に陥りがちです。だから、「いい親というのは、いい子の親ではない。いい親というのは、子どもとしっかり向き合え、どんなことがあってもそこから逃げない親なんだ」って伝えています。そもそも最初からいい子なんていませんから。どんな子であってもその子のことを認めて、君が好きなんだってことを伝えていく。その積み重ねで、その子はいい子になっていくんです。そういうことも保護者の皆さんに伝えました。そしたら、すごく皆さん安心されて。

1年生の中にもある、ジェンダーバイアス

1年生の担任として、性の多様性に対してはどんなアプローチをしていますか。

まずは、私自身の存在やふるまいが、ジェンダーバイアスを揺さぶるきっかけになればなと。たとえば、一昨年と去年は5〜6年を担任しましたが、その時は、ものすごく完成度の高いお弁当をサラっと作ってみたり、教室にアロマをたいてみたりしました。
そして今は、一年生の担任をしているわけですが、この前、ある男の子が好きなこと発表した時に「僕、シンデレラが好き」って言ったんですね。その時、周りの子たちが「男の子なのにシンデレラ好きって変だよ」と言ったんです。すかさず、言い方が悪いかもしれないけれど、ジェンダーバイアスの芽をたたきつぶしました(笑)。「いやいやいやいや、先生もディズニーランドに行ったらシンデレラ城に一番最初に行くぐらいシンデレラが大好きだから!」って。本当は、僕、ディズニーランドには全く興味がないんですけどね。こんなふうに日常の中で言えるチャンスは、案外多く転がっていて、よく見てみると1年生とはいえ、ジェンダーバイアスが結構しっかりと内面化されているんです。だから、子どもたちの中にあるジェンダーバイアスを是正する積み重ねを低学年のうちから、ちまちまとしていかなければいけないんです。性の多様性に関する授業の指導案に沿って授業をすることも大事だけれど、こういう日常における積み重ねってとても大事です。

子どもたちに頼まれてギターを弾くこともあるという。ボサノヴァの流れる教室はまるでカフェのような雰囲気に包まれる(撮影:上林正典)

上から目線じゃ、ダメ

昨年度までの2年間は5、6年生の担任として、「生と性の授業」と題して性の多様性についての授業を実践されたわけですが、保護者の皆さんの理解はすぐに得られましたか。

そこが一番のハードルでしたね。信頼関係がなければ、性の多様性の教育に限らず、どんな教育実践をしても「それはどういうことですか?」と保護者からブレーキがかかる。だから、普段の学級での取り組みや、授業のねらいなど、「生と性の授業」に限らず、ひとつひとつ丁寧に学級通信で伝えることは意識してやってきました。その甲斐あって「生と性の授業」に入る前には、保護者とは結構深く信頼関係を築けたという自負はあります。だから、「生と性の授業」には結構スムーズに入れたと思います。とはいえ、性の多様性についての実践の例はあまりないし、保護者自身の理解も追いついていないわけで。だって、僕たち世代はそんな教育受けていませんからね。保護者の皆さんが不安なのは当然です。しかしそこで、啓蒙してやる、教えてやるみたいなスタンスはよろしくないですよね。傲慢な感じがにじみ出ちゃうから。そうなってしまうと、上から目線、押しつけになっちゃう。「してやる」ではなく、「一緒にやりましょう、力を貸してください」っていうスタンスは、やはり重要ですよね。本来、保護者と学校はパートナー同士であるはずだから。

(撮影:上林正典)

どこかの誰かがやってくれるでは、何もはじまらない

そもそも、性の多様性の授業をやろうと思ったきっかけは何だったのでしょうか。

「『女子力』ってことばが嫌だ」と、小学5年生の女子が自分の生きづらさを、宿題の自主学習ノートに吐露して提出してきたことがきっかけです。女性というだけで、今の時代、背負わざるを得ない生きづらさに対する、その子なりの苛立ちのように感じられて、「女子力」という言葉を切り口にして、クラス全体でもジェンダーについて考えてみてもいいかもしれないと思ったんです。中学、高校と進むにつれ、プレッシャーや同調圧力みたいなものも間違いなく強まっていくだろうし。だからこそ、子どもたちにはうまく生きていく視点や力を身につけて、小学校を卒業してほしいと思いました。
また、自分自身の生きづらさもあります。僕は40代で未婚なんですけど、学校という場所は、結婚して子どもがいる大人が「スタンダード」で「普通」とされる空気がまだまだ強いですよね。「結婚して子育てをしているから、この先生は安心して任せられる」みたいな空気があったり、保護者たちを安心させるための材料の一つとして、教員は教員で自己紹介の時に、たとえば「二児の父です」みたいなことを、別に聞かれてもないのに毎回言ったりする。そういうのもなんだかなあと思っていて。自分が「スタンダード」で「普通」じゃない分、余計気になるのかもしれませんが(笑)。だから、同僚に「正直、教員になっても学校で生きていくことがしんどいです!」と弱音を吐いたんです。そしたら、「大人が多様性について理解を深める機会も必要だよね。多様性に関する教育実践、やりましょう」と背中を押してくれたんです。

(撮影:上林正典)

あとは、「多様性を目指す教員の会」という勉強会で出会った先生方の影響も大きかったです。その会に参加されているのは、ほぼ全員が公立の先生方なんですけれども、話を聞いてみると学校で性の多様性の授業をするのって、本当にハードルが高いんだなと思いました。話を聞いてみても、理解ある管理職はまだまだ少ないのが現実です。もちろん理解のある管理職もいるけれど、本当にそれはレアなケースで。勉強会に参加していた先生方は、性の多様性の実践をしようにも、管理職から「うちの学校には、LGBTの子はいないので対応は必要ない」「授業なんかしたら、LGBTの子どもが増えるんじゃないか?わざわざ寝た子を起こすようなことをしなくてもいいのでは?」「性の多様性は授業研究のテーマとして不適切だ。こういう授業が研究冊子に残ると外部からいろいろなことを言われるかもしれないから実践は控えてほしい」「保護者から苦情が入ったら自分の責任になるから、こういうリスキーな教育実践は控えてほしい」などといったことを言われるわけです。小学校に限らず中高でも同様で、同僚の教員が「LGBTの子がいたら、他の生徒たちが動揺するから、そういう子はうちの学校を受験してほしくないなあ(笑)」ということを教員同士で話し合っていたり、独身男性の教員に対して教員間で「結婚できないの?」とか「結婚できないってことは、そっち系なの?」ということを笑いをとるためのネタとして発言することが許容されているわけです。独身女性の教員には「彼氏いるならはやく結婚しなよ」と言ったり。耳を疑うような発言ばかりですが、これでも氷山の一角かなと思います。そんな極めて人権意識の低い学校現場でも、自分の信念を曲げずに孤軍奮闘している先生方がいる。そんな先生方が、決死の覚悟でゲリラ戦のように多様性教育を実践するために奮闘している一方で、自由な教育実践を尊重してくれるリベラルな学校で、多様性についての実践をやるかどうか迷っているのって、なまぬるすぎじゃないか?と思ったんです。「こういうリスキーなことは誰かにやらせればいい。切り開かれた安全な道を自分は進めばいい」みたいな自分がすごく嫌になった。逆に、「自分にはやらなきゃいけない社会的義務がある」と勝手に使命感に燃えてしまったんです。そんなこと誰からも頼まれていないのに(笑)。

5年生でジェンダーバイアス。さらに6年生ではどんな授業に進化したのですか。

6年生で、セクシュアリティについて触れる必要があると思いました。しかし、はじめのうちは、子どもたちにいつ授業をするかは明確に決めていませんでした。ただ、子どもたちに授業をする前に、親たちに共通認識をもってもらう必要はあるだろうということで、6月に保護者向けの講演会を開いたんです。でもどこかに不安な気持ちや葛藤があって、もう「生と性の授業」はここで終わりにしてもいいんじゃないか、保護者へのアプローチで十分なんじゃないか、セクシュアリティについて子どもたちに授業をしてさらなるリスクを負わなくてもいいんじゃないかと思っていたのも事実です。続きは中学校に任せればいいやと。でもそんななか、6年生も後半にさしかかる3学期のはじめに、教室内のコルクの壁に画鋲で「ホモ」って書かれた落書きを目にしたんです。そこには悪意というより、単なる無知さしか感じなかったんですが、見逃すわけにはいかなかったんです。神様っているかどうか分からないですけど、もしいるのであれば、神様は絶妙なタイミングでドンピシャな出来事を起こすなあと思いました(笑)。だから、保護者向けの講演で終わりにして、いつの間にかフェードアウトさせようと思っていたセクシュアリティについての授業を、子どもたちが卒業するまでに、やはりしなければならないと思いました。うちの学校は中学で他校からたくさん生徒が入ってくるんです。子どもたちが自分と異なる他者と豊かな人間関係を築くためにも、やはり「生と性の授業」をやらねばならないと覚悟を決めました。

(撮影:上林正典)

実際に授業してみて、子どもたちの反応はどうでしたか。

授業の中で、生田斗真さん演じるMTF(Male to Female: 男性から女性へ)の方が主人公の『彼らが本気で編むときは』という映画を観せました。これを観た6年生の女子の感想が衝撃的だったのを今でも覚えています。彼女の感想を紹介しますね。

今日、『彼らが本気で編むときは』を見て、あることを感じたのでまとめました。感じたことは、「母親が大切」だということ。私は、映画を見て、キーマンだと思ったのは母親です。映画には沢山の「母」がでてきました。トモの母、かい君の母、りんこの母、まきおの母、そして、本当の母ではないけれどりんこさん。なぜ、私が出てきた沢山の母を見て、母親がキーマンだと思った理由を説明します。
理由:母親はいろいろなことを子どもに教える義務があるから。
まずは映画に出て来た沢山の母親を仲間わけしてみます。
グループA:教えることを放棄している母親。例:トモの母
グループB:自分が正しいと思うことしか教えない母親。例;かい君の母親
グループC:いろいろなことを、自分の考えのみでなく、広い視点で教えている。例:りんこの母、りんこさん
まず、Aについてです。教えることを放棄している母親によって、トモは最初、ゲイのことを笑っていましたね。学校で習わないことは両親、家族が生活を通じて教えなければならないのに、トモの母は何も教えていませんでした。だから、トモはりんこさんがいて良かったです。
次に、Bについてです。自分が思うことが全て正しいわけじゃないし、正解はないのに正解だと思っていて、自分の考えを押し付けている母親です。自分と子どもが絶対に完全に同じ考えであるなどあり得ません。実際、かい君は母親と考えが違いました。ゲイであるかい君はお母さんに「あなたは罪深い」と叱られ自殺しようとしました。かい君があそこで死ななくて本当に良かったです。自分と考えが違うからといって叱るのは本当にいけません。簡単に言うと、自分は海が好きなのに、相手が山が好きだから叱るということです。こんなの絶対に許せませんよね? 世の中にはいろいろな人がいると知るべきです。
Cの人たちは、広い視点で教えられる人たちです。自分の考えがないのではなくて、いろんな考えがあるとわかっています。りんこさんの母が、もしかい君の母だったら? りんこさんはとても悲しくて苦しくて辛いと思います。世の中の人が皆、Cの人みたいになれば、この世界から差別や戦争などがなくなると思いませんか? 私はそう思います。そうやって、ゆっくりでも世の中が変わっていくことを願っています。

すごくないですか? この感想を読んで、大人たちがどのような問題意識をもっているかを、彼女は客観的かつシビアに捉えていると思いました。このような子どもの冷静なまなざしが大人に向けられているわけです。彼女の感想を読んで、僕は身の引き締まる思いがしました。とはいえ、すべての子たちがこんなふうに授業に向き合っていたわけではなくて。これだけ言葉や機会をつくして授業をしたのに、え!?と正直思うような感想を書く子たちもいましたし、「LGBTの人たちはかわいそうなので、やさしくしてあげようと思いました」みたいな謎の上から目線で感想を書いてくる子たちも、やはりいました。教員として、そこで「いやいやいや、それは違うから!」と思わず修正したくはなるんですが、それはそれでいいと思うんです。世の中にはこういう差別や抑圧、問題があるんだってことを、まずは知ってもらうことが大事で、すべての子どもたちが自分自身の中に潜む差別や偏見に、すぐに気づけるわけではありません。子どもたちが成長していくなかで、様々な経験を通じて、自分の問題意識の低さや上から目線に気づいていければいい。だから、僕は最初から子どもたち全員に模範解答を求めてはいないんです。というより、そもそも模範解答なんてないわけで。逆に、「生と性の授業」を受けてモヤモヤしたものを抱える子どもたちも多くて、子どもたちにはそのモヤモヤとこれからの人生、時間をかけて向き合ってほしいと願っています。教育って種まきと一緒で、子どもたちにまかれた種の芽が出るのをじっくり待つことも必要なんです。最短距離で正しい知識を覚えさせることがベストとは限りません。だから僕自身、「多様性教育の授業一コマで、こういう知識を子どもたちに伝え、子どもたちはこういうことを身につけることができました」とか、「この授業を通じて、これこれこういう成果がありました」みたいな言い方を簡単にしたくはないんです。なぜなら時間を必要とする営みだから。

日々の取組みを伝える学級通信(撮影:上林正典)

フーコーじゃなくて、身近な誰かに教えて欲しかった

先生自身の受けてきた教育や生い立ちみたいなものも、授業には影響しているのでしょうか。

もちろんです。それは大きいですね。自分自身が受けてきた教育への失望や怒りが根底にすごくある。小学校から高校まで、とにかく学校という場所に息苦しさを感じてきました。学校がふりかざす「普通」や「らしさ」がしんどかったんです。でも、大学に入ってフランスの哲学者のミシェル・フーコーの『性の歴史』という本に出会い、「普通」や「らしさ」を相対化する物の見方と出会えてとても楽になったんですね。でも、よくよく考えてみれば、別にそんなことフーコーじゃなくたって、身近な大人がサクっと教えてくれてもよかったと思うんです(笑)。だから、小学生という段階で、「普通」や「らしさ」を相対化する考え方や視点を教える必要があると思うし、それは決して早すぎることではないと思うんです。あと、なぜ「生と性の授業」をやらなきゃいけないのかというと、それは、人の命に関わることだからです。今はまだロールモデルのサンプルが少ないがゆえに、セクシュアルマイノリティの子どもたちは、将来に明るい希望をもちにくい傾向がある。自殺率も高いですし。「どうせ自分は結婚もできないし、子どもももてないし、一人で生きていくしかない。頼れるのは学歴とお金だけ」みたいな、ネガティブで偏った考え方に陥る可能性もあると思うんです。だから、身近な大人が、「どんなあなたでも全然オッケーだし、幸せの形は多様だから!」というメッセージを子どもたちに力強く伝え続けなければならないと思います。

子どもたちへの授業であると同時に、自分自身への授業でもあった

先生自身も、「生と性の授業」を通して変わりましたか。

変わりました。めちゃくちゃ。社会を変えるための教育実践をしていく覚悟ができました。これまでは、怖いし、リスクも負いたくないから、「物議を醸す系」の教育実践は、能力も意識も高い誰かがやればよくて、自分はそれに追従すればいいって本気で思ってました。でも、子どもには自分の人生や社会に当事者意識を持てって言っているくせに、自分が出来てないのはものすごく虚しいわけですよ。その欺瞞をずっと感じていました。だから「生と性の授業」は自分自身への授業であり、卒業式の日に子どもたちに渡した最後の学級通信は、自分へのメッセージでもあったんです。「生と性の授業」を通じて、僕、ようやくちゃんとした大人になれた気がします(笑)。

学級通信(提供:星野俊樹)

学級通信(提供:星野俊樹)

教育とは、「アライ」を増やすこと

世の中の見方もちょっとずつ変わってきているのかなって気もしますよね。

感覚的ではありますが、多分5年前とかだったら無理だったんじゃないかな。今、追い風が吹いてるのは確かですよね。例えば、「アライ」の人たちが増えてることにもそれはあらわれていて。アライというのは簡単に言えば支援者という意味で、差別や抑圧を受けている当事者たちに理解を示し支援する人たちのことなのですが、特に若い人たちの中で、アライであることが「普通」になってきている気がしています。特にセクシュアルマイノリティの問題に関しては、男性と比較して女性の方が一見すると関心が高く、アライになりやすい傾向があるわけですが、その理由の一つとして、異性愛者の男性が自分自身がアライであると表明すると、「あいつ、アライとか言ってるけど、ほんとはホモなんじゃないの?」と、同じ男性から言われてしまうことへの恐怖が彼らの中にあると思うんです。だから本当は問題意識をもった潜在的アライであるにもかかわらず、自分に向けられる疑惑の視線に対してひるむ異性愛者の男性が多かったのではないかと。でもここ数年で、グーグルとかゴールドマンサックスをはじめとする多くの企業が、アライとして自社の立場を表明したことで、アライであることはクールなことで、別に自分がどう思われたっていいじゃん、みたいに徐々に社会全体の意識が変わってきた感があります。僕は、教育の大きな役目の一つが、未来のアライを育てることだと思っていて。LGBTの問題に限らず、あらゆる差別、抑圧の当事者に心を寄せられるアライに子どもたちを育てていきたいです。教育って未来に参画する営みだなあと改めて感じています。

人生最大のピンチ!?

ところで、先生は編集者から教師へという経歴をお持ちですが、教師になって、やっぱり良かったですか。

よかったです。しんどいこともあったし、辞めたいと思ったこともありましたけど……。実は教師になって2年目に鬱になって1年半休職したんです。その時は、ほんとうに辛かった。僕の子ども観や人間観の未熟さや傲慢さが原因で、職場で孤立し、どんどん追い込まれて鬱になりました。でも、休んでいる間に色々な人の優しさにふれることができたんです。鬱になるまでは、自己責任論者みたいなところがあって、失敗したり、苦境にあえぐ人たちを見ても、自分の努力が足りなかったからでそんなの自業自得じゃんって、本気で思っていました。でも人間って、ちょっとのボタンのかけ違いで、すごい窮地に追いこまれたり、しんどくなるんですよね。そうなった時に、自分に手を差し伸べてくれる人と自分から去っていく人がはっきりと見えてくる。自分にとって本当に大切な人や優しい人っていうのがわかったんです。その時、元気になって、周りにしんどい状況の人がいたら、自分がされたように、手を差し伸べられる人でありたいと思いました。鬱の経験で自己責任論を卒業することができた気がします。

そこからどうやって立ち直ったんですか。

仲のよかったベテランの先生に、「あなたは、教員のおいしいところを、まだ何も知らないし味わっていない。だから今、辞めるべきではないし、辞めたら多分一生後悔する」って言われたんです。だから、なんとかふんばることができた。ふんばってみて、病休後にもう一度職場に復帰して、それでもうまくいかなかったら向いていないということで、その時にはこの仕事をスパッと辞めようと思いました。
そして、復帰後。1年生の担任をしたんですが、その時に子どもたちが本当にかわいくて。こんなに愛おしい存在ってあるのかなって、純粋にそう思ったんです。子どもたちが、僕を救ってくれました。

(撮影:上林正典)

スーパー人材はいらない!?

変わりゆく時代の中で、これからの教育には何が必要だと思いますか。

スーパー人材を目指すために血道を上げることってなんだか虚しいなあと(笑)。英語だけでなく中国語もできる、プログラミングもできる、コミュニケーションスキルもある、マネーリテラシーもある……。そういう、いわゆるグローバル社会において「勝ち組」とされる人間のモデルをスーパー人材と僕は呼んでいるわけですが、スーパー人材になるって相当大変ですよね。仮になれたとしてもなれる人はごく限られているわけで。保護者を見たって、そういうオールマイティになんでもできるスーパー人材なんてほとんどいないわけだし。そもそも、その子の個性やありのままの姿を無視して、スーパー人材のような画一的な人間に育てることを子育ての目標にする時点で多様性を否定していると思います。社会に出たら、色々と複雑な問題を解決する場面が多々出てくるわけだけど、何も一人で問題解決する必要はなくて。大事なのは、みんなで協力して、「自分はこれは苦手だけれどこれは得意」という適材適所で問題を解決していくこと。得意な人を見つけてつながること。必要なのは他者とつながれる力、助けを乞うて問題を解決する力だと思うんです。そのための力を身につけるのが学校なんじゃないかなと。適材適所を認めるということは、多様性を認めることでもある。そういう人間観、社会観に根ざした教育が、今、そしてこれから必要なんだと思います。あとは、桐朋小学校って民主主義の社会を支える市民を育てることを重視しているから、子どもたちに自己選択と自己決定をさせる自治活動を大切にしているんですね。ルールを守ることはとても大事なことだけれど、お仕着せのルールをとにかく守る/守らせることは、子どもと教員の思考を停止させてしまいます。自己選択と自己決定を経て、自分たちでルールを作ったり、変えることができる機会があるからこそ、子どもたちはルールを守ろうとするんです。なぜなら、自分たちが納得して作り上げたルールだから。そういう経験の積み重ねが子どもたちを市民にするのだと思うし、これからの教育に求められていることだと思います。

未来に残したい価値観とは……「どんなあなたでも全然OK」

先生が、未来に残したい価値や価値観は

うーん……。「どんなあなたでも全然OK!」かな。これは、他人と比べてばかりの自分、自己否定ばかりしていたかつての自分へのメッセージでもあるんだけど……。

(撮影:上林正典)

葛藤や挫折の中で、本当の優しさや愛を知ることができたからこそ伝えられる、「生きづらさ」に苦しむ、星野先生のすべての人へのメッセージ。それは、最後の質問の答えの中にあった。ごくごくシンプルに。

豊かな人生とはなんですか?

「自分の心に正直に生きること」だと思います。

ほっしーパパは、強がらず、偉ぶらず、いつも等身大の『自分』で、これからも子どもたちに寄り添い続けてくれるに違いない。

(撮影:上林正典)

取材・執筆:松岡みゆき/フリーアナウンサー
富山テレビアナウンサーから、フリーアナウンサーへ。現在は、キャスター、ブライダル司会、ライターなど幅広く活動する。出演番組は、めざましテレビ、スーパーニュース、スーパーJチャンネル、J-WAVEアナウンサーなど多数。AFPファイナンシャルプランナーとして、投資座談会の司会や、マネーコラムの執筆などにも携わる。

撮影:上林正典/フォトグラファー

取材・構成:王麗華/一般社団法 次世代価値コンソーシアム代表理事

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