だし文化を次世代に伝える ~株式会社にんべん

和食に欠かせない「だし」は、料理のベースだけでなく香りもつくり出す。
私たちは、食事をするときに五感(視覚・味覚・触覚・聴覚・嗅覚)を使う。なかでも嗅覚は、味覚以上に味を分析する力があると言われている。

だしを取る際のかつお節の香り成分は、約320種類から成り立っているといわれる。その香りを人工的に表現するのは不可能で、かつお節だからこそ出せる香りなのである。

かつお節を扱う代表的な企業の一つが、東京・日本橋日本車を置く老舗「にんべん」。「亻(にんべん)」に角が付いたマークのかつお節や、オレンジ色のラベルの「つゆの素」は多くの人に馴染みのある商品だ。

初代である伊兵衛が商いをはじめたのが、元禄12年(1699)。店の屋号を「伊勢屋伊兵衛」とし、暖簾印(商標)には“伊勢屋”と“伊兵衛”から「イ(にんべん)」を採用し、商売を堅実にするための曲尺の「¬(かね)」をあわせて「イ¬(かねにんべん)」としたのが、にんべんという社名のはじまり。

日本橋という街と人に育てられて

2013年12月に和食がユネスコ無形文化遺産に登録されるなど、日本の食が世界で注目を集めているが、忙しい現代人は、だしを取る時間も惜しみ、調理も簡便化が進んでいる。
創業300年を超える老舗企業はこれからどのように、日本のだし文化を次世代・そして世界へどのように伝えていくのか。

13代当主髙津克幸社長は、1970年東京生まれ。1993年青山学院大学卒業後に高島屋へ入社し、1996年にんべんに入社。2009年38歳という若さで代表取締役社長に就任。
にんべんの経営理念のなかには、「社員の生活向上に努力する」とあるが、髙津社長は、社員にどのようなアクションをとっているのか。

株式会社にんべん代表取締役社長 、髙津克幸さん

「当社の社員数は200名程、顔と名前が一致する規模であり、自分自身40代で年齢的にも社員との距離感が近いのかもしれない。食育の講義など、いろいろな現場で社員と一緒に行動する機会も多い」と髙津社長。

38歳という年齢で社長に就任したいことに関しても、「若いから苦労したということはなくて、若いからこそ、かわいがってもらえた。育ててもらえている」と前向きに捉えている。

日本橋には、老舗が多く、何代にもわたって付き合いが続いている。例えば、「梅ぼ志飴」や「あんみつ」で有名な榮太樓總本鋪。江戸期に創業し、日本橋に本店を構える菓子鋪である同社とは経営者同士、代々つながりが深いという。
先代が面倒を見てもらった恩を、次の世代が返すというような信頼関係でつながっている。

「近所に口うるさいおやじがいる感じかな」と笑顔で話す髙津社長からは、商人の街である日本橋の魅力と活気が伝わってくる。数年前までは日本橋室町2丁目の町会長を10年ほど任されていたそうで、街の人にかわいがられ、つながりも増えていったのだとか。

代々日本橋で商売を続ける家庭で育った髙津社長の子ども時代は、どのような環境だったのだろうか。
「小さい頃は、工場の人たちが来て泊まることもあり、実家に社員の誰かがほぼ毎日いた」
髙津社長自身もまた、子どものころからかつお節の生産地へ行ったり、正月には自分が、かつお節を削ることを任されていた。家業を日々の生活の中で感じて育つ環境は老舗の経営者の強みの一つだろう。

日本橋本店の正面入口。日本橋の大通りに面している

正月といえば、髙津社長のSNSの投稿で気になったものがある。
「新年の初仕事はお雑煮出汁用にかつお節削りから。大晦日から引き続き新年も決まった食事を頂きます。正月の朝は本当に質素な食事です。
屠蘇で祝い、雑煮に煮締め、他(きんぴら牛蒡、黒豆、勝栗、数の子)、香の物を頂きます」

画像には豪華なおせち料理ではなく、髙津家6代目のときから続いているという、シンプルで美しい日本食。
「子どもの頃は、正月の食べ物が質素で、正月が嫌いだった」と高津社長。
確かに、子どもからしてみたら、物足りないかもしれない。けれど、根付いた文化やしきたりを大切にする髙津家の想いが伝わってくる。

本物のだしに出会える「場」づくり

伝統を引き継いでいくことは大切だけれど、かつお節を販売するお店の敷居が高くなってしまわないように、誰でも入りやすく、かつお節、だしを体験しやすいお店にしたい。多くの人に、だし文化を知ってほしいと言う髙津社長。

日本橋本店内の「日本橋だし場」。だしスープや弁当・惣菜などを販売している

にんべんが本社を構える東京・日本橋は、再開発が進みショッピング街としての活気がある。集客の核の一つが、老舗から新業態の店まで多くの人気店が軒を並べる多目的ビル「コレド室町(日本橋)」。にんべんの小売ショップ「日本橋本店」は、このコレド室町1の1階に店を構える。大通りに面したその店舗は開放的で、削りたてのかつお節を購入できることでも人気だ。販売店に併設されている「日本橋だし場」では、カップにかつお節のだしをいれて珈琲のように飲める。だしの魅力を多角的に伝える場となっている。

「日本橋だし場」で購入できるカップ入りのだしスープ。ここでは、プロの削り師による削りたてのかつお節も販売している

かつおだしの魅力を伝える「アンバサダー活動」

かつお節やだしの楽しさ広げる活動としては、「にんべんだしアンバサダー」を忘れてはならない。
「にんべんだしアンバサダー」の活動は、これからの未来を担う、働き世代の女性たちに向けて、だしの魅力や活用方法を伝えたいという思いから、2014年10月にスタートした。
かつお節のだしを普段のライフスタイルに取り入れてもらうため、にんべんが主催する「おだし教室」や、プロの料理人がだしの活用術を教えるワークショップを開催。

こうしたプロセスを経て正式に「にんべん だしアンバサダー」として認定された後も、かつお節の製造工程を見学する「大井川工場ツアー」や、商品会議への参加、スキルアップ講習会などの活動が続く。

SNSの発信などを主な活動として、ユーザーである消費者が企業の情報発信に参画する「アンバサダー」を募っている企業は近年増え続けている。
「にんべんだしアンバサダー」の特徴は、ネットにとどまらないリアルな活動。13の「部活動」があり、アンバサダーの人がやりたいこと、またその人の得意分野を活かせるようなしくみになっている。

13の部活動は、講師・教育部、新商品開発部、マーケティング部、料理研究部、美と健康オフィス部、クリエイティブデザイン部、取材・ライター部、イベントサポート部、マタニティ&ベビーフード部、スポーツ・アスリート部、スクール部、介護福祉部、海外・グローバル部。

部名を聞いただけでは、何をするのか、かつお節とどのように結びつくのか疑問に思うものもあるが、この部活動は、アンバサダーが「やっていみたい」という意見を取り入れて「創部」されたもの。
例えば、介護福祉部は、介護食や介護をする人を癒す食材としてかつお節を使う。海外・グローバル部は、海外在住のアンバサダーが、海外でかつお節文化を伝える。といった内容だ。

アンバサダーに所属しているのは、主に20代から40代の女性で、専業主婦からフルタイムで働く人まで、環境はさまざま。にんべん商品のサンプルをもらえることはあっても、活動に関しては無報酬。

筆者もアンバサダーとして活動しているうちの1人だが、客観的にみても、参加者は本当に楽しんでアンバサダーをやっているという印象。アンバサダーは、にんべんで、かつお節、お出しのおいしさを知り、「本当にいいものだと知ったから、まわりの人にも伝えたい」という共通の想いを感じる。

だしづくりを通じて気づく、日常を丁寧に過ごすことの大切さ

「にんべんだしアンバサダー」の活動について、福田宇華(ふくだ うか)さんに話を聞いた。

福田さんは、1975年生まれの静岡県出身で現在は東京在住。漢方養生指導士・栄養士・アスリートフードマイスターなどの資格を生かして活動する起業家。3人の子育て中でもある。
また、「ママが輝く 美活フェスタ」という地域活性イベントを都内で開催し、地元店舗と地元農家を巻き込んだまちづくりに奮闘中と、なんともパワフルな人だ。

エプロン姿で受講者にレクチャーする福田宇華さん(写真:福田さん提供)

「食材の力を信じ、食育と合わせて、“食べる”ことの大切さを、ママとして皆様に発信しております」という福田さんは、なにごとにも情熱を持って取り組む明るい人物。

福田さんが、にんべんだしアンバサダーになったきっかけは、それまで学んできた漢方とのつながりだった。
古来から、私達の生活に根ざして健康を支えてきた「漢方の理論」と、同じく私達の生活を食の面から支えてきた“だしの文化”。これらを融合して福田さんとして、伝えできると確信があったからです」

「にんべんだしアンバサダー」として、福田さんは、幼稚園や保育園などさまざまな場で、かつお節削りやだし作りなどのワークショップを開催している。

ワークショップの参加者はかつお節にどのような反応をするのか。
「まず、かつお節の香りに感動。試食して『こんなにおいしいなんて!』と驚く。削り体験は、子どもの頃に手伝った経験のある方からは、『懐かしい〜』という声が上がりますが、ほとんどの方が初めてで、最初は苦労されながら削っています。お子さんたちが削りたてのかつお節を、おいしそうに食べる姿を見て、だしの大切さを再認識されて、早速今晩から、『おだしをきちんと取ります』という方が多いです」

福田さんは、「にんべんだしアンバサダー」について、次のように語る。
「日本の食文化の一つである“かつお節のおだし”を次世代に伝えていくという大きな使命感があり、とてもやりがいを感じています。おだしを丁寧に取ったり、おだしを変えたことでの、食卓の変化や家族の変化もダイレクトに感じることができました。にんべんという大きな会社にアドバイザー活動を後押しして頂けることで、説得力が違う。いち消費者である私達が、だしの魅力をお伝えすることに緊張感はありましたが、活動を続ける中で、生活に根付いたママならではの楽しい講座が開催できています」

福田さんは、アンバサダーになり、食と生活に関する活動に更に自信を得た。「私が漢方に惹かれたのも、日本の風土や気候、文化に育まれてきた理論だから。 かつお節だしも同じ。私達の身体に合うものは、ホッと心を和ませ、身体の緊張も緩めてくれ、笑顔にしてくれます。食文化を大切に守ろうとしてきた先人達に思いを馳せながら、毎日を丁寧に過ごしたいと心掛けています。それに気付かせてくれたのが、かつお節だしです」

だしの魅力、さらなる発信を

会議室での取材が終わった後に、小売を行う「日本橋本店」に移動して撮影へ。
日本橋本店は本社から近いこともあり、普段でも髙津社長が店舗に顔を出すことが多い。

撮影中、年配の男性が微笑みながら髙津社長のもとへ。男性はカバンから『商人』の本(にんべん伊勢屋の初代から三代目を描いた長編時代小説)を取り出して社長と談笑。初対面の来客とも話が弾むあたりが、街の人に愛され続けている老舗ならではと思わされた。

ねじめ正一著『商人』(集英社)。にんべん三代目の半生を描いた時代小説

撮影を終えた取材の最後に、髙津社長が未来に伝えたい思いを聞いた。
「料理の土台になるかつお節のおいしさ、本物のかつお節にしか出せない香りを伝えていきたい。時代に合わせて形を変えながらも、かつお節の味を伝えていきたい」

同社では、2015年に、タイ王国・首都バンコクのバンコク伊勢丹5F「88食堂NIPPON」内に、「日本橋だし場 バンコク伊勢丹店」をオープンしている。
にんべんは「この国の味、ここから。」という企業メッセージを掲げる。力強い言葉に、日本の食文化をささえていくことの覚悟を感じた。


【会社概要】
株式会社にんべん
代表取締役社長 :髙津克幸
本店所在地:東京都中央区日本橋室町一丁目5番5号 室町ちばぎん三井ビルディング12F
創業:1699年(元禄12年)


【取材後記】
私(筆者)には、かつお節の香りと関わる強烈な思い出がある。
私の父は、脳梗塞を何度か経験して認知症も進み、寝たきりの状態だ。食事も思うようにとれなくなってしまった父をなんとかしたいと悩んでいたときに、寝ている父の横でかつお節を削ってみた。
かつお節を削る音、削りたての香りを感じた父は目を開けてほほ笑みながら「懐かしい音だな。いい香りだ」と言った。
小さいころは父も家でかつお節を削っていたのだろうか。
かつお節の香りがつくりだした笑顔。もう一度、その笑顔が見たくて、香りの思い出を届けたくて、その後も私は寝ている父の横で何度か、かつお節を削った。

◆◆

かつおだしを取りことを、面倒だと思う人もいるかも知れない。しかしやってみればそれほどの手間ではない。
1000mlの水が沸騰したら火を止め、30gのかつお節を入れる。ひらひらと動きながら熱いお湯の中に浸っていくかつお節を見つめながら、静かに1~2分待つ。そしてガーゼやキッチンペーパーなどでこせば、黄金の3%の比率のかつおだしの完成。
シャンパンゴールドのかつおだしは、気持ちが安らぎ、心とカラダがほっとする味と香り。ほんの少しの手間でこの至福の時を得られる。かつお節には、人を笑顔にする力がある。



取材・執筆:やまさきけいこ/ライター
撮影:今井秀幸/フォトグラファー (※福田宇華さんの写真のみ本人提供)

取材・編集:石原智/一般社団法人 次世代価値コンソーシアム

掲載:2019年4月

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