神奈川県横浜市中区野毛町。通称「野毛(のげ)」。観光地や人気スポットの多い横浜のなかでも比較的地味だったこの街が、近年、テレビや雑誌など各種メディアに頻繁に登場するようになった。それも、「おしゃれ」で「開放的な」横浜にあって、大衆的な人気の街の代表として。
野毛の最寄りのJR桜木町駅を挟んだ海側には、「横浜ランドマークタワー」がそびえる。70階建て、高さ296.33m。2014年に大阪に「あべのハルカス」ができるまでは日本一の高さを誇ったこの高層ビルを中心とした近未来的な香りを放つ「みなとみらい」。
この「近未来」と対比される形で、JR桜木町駅の山側に広がる野毛の存在がクローズアップされている。
かつては、戦後の闇市の残滓をひきずり、怖い、汚い、危ないというイメージもあった野毛。この街が、いまや若いOLやサラリーマンたちを惹きつける下町情緒あふれる魅力的な街として脚光を浴びている。いったい、その変貌の裏側には、どんな街づくりが行われてきたのか。
ドックで働く人たちで活況を呈した高度成長期までの野毛
「野毛の大変貌は、三菱重工業横浜造船所の閉鎖と近接する東急東横線桜木町駅の廃止という、地元にとっては死活問題ともいうべき出来事がきっかけとなり、そこから計算を超えてプラスに転じた『結果』です」
こう振り返るのは、「野毛地区街づくり会」会長の平出揚治さん。
野毛の歴史を紐解くと、以下のようになる。
JR横浜駅と関内地区の間の海沿いの広域区画に立地するのが「横浜みなとみらい21」である。この地にはかつて横浜船渠(後の三菱重工業横浜造船所)があった。氷川丸や秩父丸(後の鎌倉丸)などが建造された名門の船渠(せんきょ=ドック)である。
しかし1983年に閉鎖、その跡地に横浜ランドマークタワーを中心軸とした再開発事業(原地盤110ヘクタール、埋立地76ヘクタール)が計画され、現在も開発が続くビッグプロジェクトエリアである。
この三菱重工のドック時代、そこで働く人たちが勤務明けに飲食していたのが、乗降駅でもあった桜木町駅の向こう側、徒歩3分ほどの場所にある野毛である。当時、400~500店舗の飲食店があった。
「横浜駅西口に向かう人もいましたが、大半は野毛を好みました。野毛の方が安くて庶民的だったからです。一日3交代制の勤務明けで朝からでも昼からでも呑める店が野毛にありました。便利で落ち着けるエリアだったのです。野毛はドックの人たちで成り立っていたと言ってもよいほどです。関内駅前の横浜市役所も野毛に近かったので、市役所の人たちもよく来ていました。昔から市役所の人たちは庶民的でした。戦後の闇市時代、昭和40年代の高度成長期、そして三菱重工のドック閉鎖まではこの流れが続き、街が活気に満ちていました」(平出さん)
ドック閉鎖と桜木町駅廃止の2つの不運
ところが、ドック閉鎖とともに野毛は冬の時代を迎える。昼間どころか、夜もお客が少ない。鳴かず飛ばず、野毛が沈滞して20年が過ぎようとしていた頃、さらに追い打ちをかけるような不運な出来事が降りかかった。東急東横線の桜木町駅の廃止(2004年)である。
「東急にとって桜木町駅の乗降客が採算割れしていたわけではないと思うのですが、開発が進む地区(みなとみらい)に新しく路線を向けた方が、事業の採算性からも魅力的との判断があったようです。この廃線・廃駅が一番地元を混乱させました。反対運動がいつまでも続きました」(平出さん)
現JR横浜線(八王子~東神奈川)のみなとみらい地区乗り入れも検討されたが、当時は同時に進んでいた国鉄民営化の余波を受け、新規投資が難しく、国鉄(=当時)は横浜線のみなとみらい地区への乗り入れを断念。
そこで、東急電鉄が乗り入れを決断したという経緯がある。東急東横線にとっては桜木町方面の路線を維持しながら、みなとみらい方面の新規路線開設という2路線経営は難しいとの判断もあった。
結果、東急東横線は終着・発着駅でもあった桜木町駅を廃止するに至った。
「私が『野毛地区街づくり会』会長に就く前まで、野毛は三重苦、四重苦と言われていました」(平出さん)
三菱重工ドック閉鎖、東急東横線桜木町駅廃止、国鉄桜木町駅の移動(横浜駅方面に約80メートル移動したことで、国鉄桜木町駅から野毛への通り道が少しずれてしまった)、国鉄高架下の壁が出現(みなとみらい方面への通り抜け道が遮断)――など、これらの要因で野毛への来訪者が急減することになった。野毛は危機感のピークに達する。
東急の補償金をトラスト資金にして活用
実は、東急電鉄は桜木町駅廃止を決定するにあたり、地元へのマイナス影響を案じた。当時、首都圏では廃線のケースが少なかった上、横浜市の人口が大阪市を抜いて東京に次ぐ第2の都市になったのが1978年。過疎地の廃線ではないだけに、余計に廃線・廃駅への抗議や反対運動は強かった。
「桜木町駅が廃止されたことで、東横線を利用していた乗降客がいなくなり、野毛にやってくる人が減りました。その結果、売上げが7割減になった店も出て、やむなく閉店(退店)するケースが相次ぎました。地価は下がり、テナント料(家賃)を大幅に下げなければ新しいテナントさえ呼び込めない。まさに下げ基調まっしぐらでした」(平出さん)
そこで、東急が補償(補填)を提案、野毛の地元振興策に役立ってもらうための資金を用意した。通常は、こうした補償資金は目の前の積もった支払いへとすぐに廻り、雲散霧消するものだが、野毛の場合は違った。
1990年8月、野毛地区の振興と活性化を目的に掲げ、野毛地区街づくりを考える会(現・街づくり会)、横浜市、東急電鉄の3者が「公益信託横浜野毛地区まちづくりトラスト」(野毛トラスト制度)に調印、同年11月には東急電鉄から受け取った資金を原資としてトラスト制度を設立。
まず、東急電鉄が横浜市に指定寄付、横浜市が受託者である信託銀行に支出して運営される。そして、再開発事業、各種イベント、歩行者環境整備、街のPR活動など、街づくりに役立つさまざまな事業に助成することになった。
野毛地区街づくり会と野毛地区振興事業協同組合
野毛には2つの代表的な組織がある。ひとつは1986年設立の「野毛地区街づくりを考える会」(現在の「野毛地区街づくり会」、以下、「街づくり会」と略)、もうひとつは2003年設立の「野毛地区振興事業協同組合」(以下、事業組合と略)である。現在、平出さんが街づくり会の会長と、事業組合の理事長を務めている。
街づくり会は三菱重工のドック閉鎖から3年後、事業組合は東急東横線桜木町駅廃止の1年前に設立されている。どちらも野毛の「いまそこにある危機」に対応するために必要とされた組織である。
野毛では、街づくり会が推進している事業と、事業組合が推進している事業の2種類がある。しかし、街づくり会は法人格を持たず、収入は会費のみ。そのため、トラスト資金は事業組合が責任を持ち、街づくり会はさまざまな活性化策やイベントを考え出し、それを実行する役割となった。イベントなどの主催は事業組合、その下に共催という形で街づくり会が請け負うという現在のシステムに落ち着いた。
2日で40万人を動員した野毛大道芸
東急東横線桜木町駅廃止で野毛が沈滞し、テナント料が安くなったことで、少しずつ若い店主が現れた。すると、若い店主の店には若いお客がどんどん入ってきて、類が類を呼ぶ。若い男性女性が“早い時間から呑める”野毛、そんな雰囲気が出てきて、活気に満ち始めた。「急変するのは、この4~5年ではないでしょうか」(平出さん)
そのきっかけのひとつが、野毛大道芸に代表されるように、各種イベントが頻繁に開催され、定着していったことが挙げられる。さらには、野毛だけにとどまらずく、広く横浜一帯から神奈川県、さらには東京都心からも人が集まってるようになった。
野毛の風物詩は、何と言っても面白いイベントの開催が数多く用意されていることだ。野毛大道芸、野毛大道芝居(現在は休止)、野毛ジャズde盆踊り――など、趣向を凝らしたものが多い。
野毛大道芸はその筆頭である。2015年の第40回(4月25日、26日)では2日間でなんと40万人も動員した。第43回目は昨年4月21日(土)、22日(日)の2日間開かれ、国内外のパフォーマー40組が集結、現代サーカスや車いすダンスなど初出場が8組もあった。次回は2019年4月27日(土)、28日(日)が開催予定となっている。
野毛大道芝居は1994年から2005年までの11年間にわたって開催され、大評判となった。横浜市出身の俳優・高橋長英が座長となり、以下、平岡正明(ジャズ評論家)、荻野アンナ(小説家)、山崎洋子(小説家)などの著名人に交じって、地元野毛の飲食店オーナーやその家族が出演した。
横浜市長も演者の一人となっているところが面白い。残念ながら、横浜市からの補助金打ち切りやほかのイベントとの兼ね合いもあって、2005年の第11回で終演となった。
荒唐無稽な大道芝居に大喝采
実は、街づくり会・事業組合の両組織の2015年5月/6月の総会で、野毛大道芸のように出資の伴う事業は、街づくり会から事業組合へ移管することが決定した。
大道芸はこの野毛大道芸の延長線上に、みなとみらいや伊勢佐木町まで巻き込んだ「横浜大道芸」も登場することになった。野毛の大道芸が野毛を越えて、まさにヨコハマ的イベントにまで広がった。
野毛というエリアの価値を上げるために仕掛けたイベントが各々相乗効果を生み、人を呼び込み、飲食も潤う。ファシリティ・マネジメントはある特定の商業施設が中心となって価値を生みだすが、野毛の場合は、エリア・マネジメントの発想に近い。
ただ、イベントだけが注目を浴びても、恒常的な来訪者になってもらえないことは、首都圏のどの商業施設、街づくりにも共通したテーマである。
『横浜・野毛 大道芝居の日々』(野毛風太郎著、山中企画)という本がある。その中で、大道芝居の座長を務めた高橋長英氏がインタビューにこう答えている。
「野毛は街の中に図書館と、ジャズと、焼き鳥の匂いと、カラオケの音と、いろんなものが混在している」、「港町特有の猥雑な感じが、みんな溶け込んじゃう。同じ横浜でも、赤レンガじゃだめなんだ。観光化し過ぎて、“小ぎれい”になっちゃってる」、「わけのわからないクダラないものを許容する土壌もなくなっちゃいけない」。
確かに、大道芝居は荒唐無稽なストーリーで有名だったが、大勢の人を惹きつけ、大人気だった。
野毛にやってくると、なぜ楽しいのか
野毛は戦後闇市の影響からか、各店舗が密集しており、しかもそれぞれの面積が狭い。したがって、野毛に大手飲食チェーンが入ってくるような大型・中型スペースはほとんどない。今後、地権者がいくつかの土地や区画を集合して新しいビルを建て、そのテナントとして入店する可能性もないわけではない。
「実は、いま、新しいビルがひとつできつつあるんですが、建築主も『野毛の特色を壊さないように、野毛に馴染むようなお店にしていきたい』『地元の組合や町内会にも入れてください』と言っています。そういうこともあり、いきなり、大手飲食チェーンの店が野毛に入ってくるようなことは、まずないと思っています」(平出さん)
平出氏は「排除するわけではない」と念を押す。地権者(地主)、建物所有者、借主(テナント)は全部バラバラだが、物理的にも大手チェーン店が手を出すような面積が野毛では確保できないというのが実態である。しかも、エリア内の地権者は複雑であっても、話し合いはマメに行われている。「不安定だけれど、安定している」(平出さん)
昔は住民代表の声が強かったようだが、店舗の2階などに住む住民は年々少なくなっているものの、街づくり会の中でしっかり意見交換がなされているため(副会長の半分は住民代表)、店舗優先で物事が決められているわけでもない。
また、野毛にはルール化した街並み、景観、高さ、色、事業形態の規定など、一応約束ごとはあるものの、法的な拘束力までは持たないため、やはり話し合いが重要な場となる。
東急東横線桜木町駅廃止で地価が下がったあと、若い店主が出現し、個性を発揮した店舗に育て上げた。それがいまや野毛の特徴となっているようだ。大手飲食チェーンが入れば、個性は失われ、雇用や儲けも野毛の外にでていく。地元が潤わなければ、本当の街づくりにはならないと、平出さんは考える。
野毛の再浮上に寄与した若者たち
夕方の野毛は、まさに若いOLやサラリーマンが4~5人集まってお気に入りの店に吸い込まれていく。道路脇にテーブルを引っぱりだして、グループで呑んでいる女性たちも多く見かける。表立って目立つのはこうした人たちだが、やはり中高年の男性のグループも相変わらず多い。
そして、都心の飲食街とやや様相が違うのは、「独り呑み」らしきお客(男性も女性も)が多いことだろうか。ボッタクリはほとんどない。「相当昔は別として、いまは反社会的勢力のつけ入る隙がないのも野毛の特徴です。騒いだら野毛から追い出されますしね。珍しい下町だと思いますよ(笑)」(平出さん)
通りで客引き行為をする人もゼロではないが、街づくり会が横浜市、警察、消防と協力しながら月に1回、呼び込みを取り締まるために自主パトロールを実施している。
昨今、日本中の街はキレイになる一方。観光地として立地するのか、働く場所として機能するのか、生活エリアとして存在するのか。そのどれにも属さない野毛は、「夜、食べたり呑んだりするには、野毛がいちばん面白いね」と。みなとみらいで働いて、あるいは観光して、そのあとは野毛に流れる。かつての三菱重工ドック時代のように、野毛が再浮上した。
来年(2020年)、桜木町の北側の北仲通地区に横浜市の新庁舎が完成する。現在、ここから直接野毛に行けるような動線が整備中である。そうすれば、かつてのように野毛には再び市役所の庶民的な人たちが集まりだす。「いま、この動線強化が野毛の振興策の最重要課題になっています」(平出さん)
現在、桜木町から日の出町までの野毛地区には約680店舗(出典:神奈川新聞)がある。いまは入店したくても、“待ち”の状態だという。ある時、コンビニエンスストアが閉店になると、そのあとに6~7店舗が入る飲食店に早変わりしたくらいである。
「住みたい街」首位の中の“BASUE”
リクルート住まいカンパニー(東京)が2019年2月末に発表した「住みたい街ランキング2019関東版」(駅別)では、横浜が2年連続で首位となった。ちなみに、2位は恵比寿、3位は吉祥寺。横浜が首位であるのは、「新都市エリアみなとみらい地区の現代的魅力に加え、下町情緒あふれる飲食店街」という要因が挙げられている。この下町情緒あふれる飲食街というのが、まさしく野毛のことである。
「私は野毛を“下町”と言っているんですが、“日本一安全な場末”とユーモラスに表現する人もいます」(平出さん)
今年9月から11月にかけてのラグビーワールドカップ2019(RWC 2019)では横浜も会場になっている。このRWC 2019で横浜を訪れる外国の人たちに向けて野毛を含む横浜地図の英語版制作が進められているが、その準備会合で、「場末を『BASUE』と表現するのはどうだろうか」と大真面目で提言する人もいるという。
「場末」は確かに語感がよくない。「場末の呑み屋」のように、揶揄的に使われる場合が多いため、ややマイナスイメージがある。
しかし、場末の語義は、「都市で、中心部からはずれた所。町はずれ」(広辞苑)であり、本来は単に周辺部という意味でしかない。
いまの野毛に行けば、いわゆる「場末」とは印象が違っている。若い女性やサラリーマンがやってくる“BASUE”。下町情緒あふれる明るい飲食エリアというのがお分かりただけるだろう。
既述の書籍『横浜・野毛 大道芝居の日々』の中に、「みなとみらいはカタカナと横文字の街。野毛はひらがなの街。飲んべはひらがながいいでしょ。そこに居場所があるって感じ」というくだりがある。
東京で言えば、汐留と新橋烏森、西新宿と歌舞伎町など、オフィス街と繁華街は対の存在だ。ヒトは働き、息抜きし、そして生きている。高層ビルに囲まれたみなとみらいの麓に居心地のよい野毛がある。性格や風景は実に好対照だが、どちらが欠けてもヨコハマは成り立たない。こういうパターンの共存は、外国でも少なくない。ヒトの持つ重要要素の半分を野毛が受け持っている。みなとみらいと野毛は、まさしく横浜のツイン・エリアである。
樹木希林「一切なりゆき」が、野毛的魅力か
昨年9月に亡くなった女優・樹木希林さんの実母が野毛ではじめたのが居酒屋『叶家』。希林さんの兄(故人)がその後を継ぎ、いまはその娘さんが切り盛りする。
場所は、地下鉄桜木町駅から地上に上がったすぐの野毛仲通りを入って1分のところ(花咲町)に立地している。樹木希林さんも時々隅っこに座って食べたりしていたという話はよく聞いた。
樹木希林さんの最近の著作がある。2018年12月20日発売から3か月で100万部のベストセラーになっている。タイトルは、『一切なりゆき』(文春新書)。そこには、「求めすぎない。欲なんてきりなくあるんですから」「楽しむのではなくて、面白がることよ」と書いてある。まさに、野毛の香り、雰囲気、生き方そのもの。
平出氏も、「野毛の30年後、50年後? なりゆきですよ。野毛はいつも紆余曲折にさらされてきましたが、自然な形で、その時その時の難題をみんなで考え、大変な決断をしてきました。『禍福は糾える縄の如し』ではないけれど、悪い時があればよい時もある。野毛は柔軟な場所なんです」と言う。四角四面の街づくりとは縁が薄い場所。それが野毛である。
天国の樹木希林がニヤッとしているようだった。肩の力を抜いた自然体の樹木希林がそこにいるかのように。
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野毛は、街の人たちの自然体の“なりゆき”的決断でマイナスをプラスに転じ、活気あるエリアに変えてきた。決して綿密に壮大に計画された街づくりではなくても、自然な形で街づくりが成功するという、ひとつの稀有な事例だ。
取材・執筆:白水和憲
1953年福岡県生れ。大阪外国語大学(現 大阪大学外国語学部)インドパキスタン語科(ウルドゥ語専攻)卒業。
映画会社勤務後、渡米。ニューヨークで英文経済誌 Staff writer。帰国後に英文総合誌 Associate editor、アジア経済誌編集長を経て1996年独立。
現在、株式会社アジアにじゅういち代表取締役。
著作に、『巨大合併 アメリカに勝つ経営』、『あのロシア武官はこう接触してきた』(以上、小学館文庫)、『世界を動かす原油のことが面白いほどわかる本』、『本当はどうなの? これからのインド』(以上、中経出版)、『松下電器 中国大陸新潮流に挑む』(水曜社)、『従一滴原油解讀世界』(台湾・世潮出版)などがある。
編集・撮影:石原智/社団法人 次世代価値コンソーシアム
掲載:2019年4月10日