「跳躍せよ、日本陸上!」~現役最年長ジャンパーのネクストチャレンジ~ 走幅跳 猿山力也選手

世界中が白熱した第23回冬季五輪が韓国・平昌で閉幕し、いよいよ2020年東京五輪へのカウントダウンが始まった。

寒暖差の激しい3月中旬、前日の冷え込みがウソのように暖かな日差しのもと、柏の葉公園総合競技場で黙々と自主練に励む、猿山力也選手の姿があった。
筆者が猿山選手と対面するのはこの日が初めてだが、ひときわ存在感のある金髪アスリートの姿は、遠くから見てもすぐにわかった。
走り幅跳び自己ベスト8m5cmの記録をもつ猿山選手は、昨年まで所属していた株式会社モンテローザ陸上競技部の廃部により、プロ選手に転向した現役のジャンパーである。
サーキットトレーニングに則った筋トレメニューを入念にこなし、100メートル、400メートルなどの短距離を全速力で駆け抜け、心身の集中力を解き放つようにクールダウンした後、インタビューに答えてくれた。
プロ転向1年目。たった一人で練習を続ける毎日は、彼にどんな変化をもたらしているのだろう。

猿山力也(さるやま りきや) 陸上選手。専門は走幅跳。
1984年2月15日生まれ。成田高校(千葉県)、日本大学卒業。実業団のモンテローザを経て独立。Rikiya Saruyama Official Website
記録
自己ベスト:8.05メートル
2007年:全日本実業団対抗陸上競技選手権大会 優勝
2009年:東アジア競技大会 3位
2009年:日本陸上競技選手権大会 3位
2010年:アジア室内陸上競技大会 優勝
2010年:日本陸上競技選手権大会 2位
2010年:千葉国体 優勝
2011年 日本陸上競技選手権大会 2位
2011年 東日本実業団大会 優勝
2011年 アジア選手権大会 3位
2015年 日本陸上競技選手権大会 4位
2017年 日本陸上競技選手権大会 6位

ライバルを作れ――孤独な競技で自分を追い込む術

「陸上というのは、最終的に一人で挑む競技です。練習のときはコーチから指導を受けていても、試合になると選手が自分自身で判断し、柔軟にカスタマイズしながら戦うことが求められます。長年の競技生活で、自分の体と向き合い、今、何が必要かをつねに考えてきたので、自ずとトレーニングメニューは導き出されます。だから、実業団のときも、プロになっても、練習内容は特に変わらないんです」

現在、34歳。最年長のジャンパーとして現役であり続けるには、私たちの考えが及ばないほど、自分と対峙してきたに違いない。

「自分の体を理解するだけでなく、考え方のクセや感情の動きといったメンタル面まで把握する必要があります。いや、むしろ体よりメンタルトレーニングのほうが重要かもしれません」

猿山選手が自分の心をコントロールする術を身につけたのは、学生時代の経験が大きかったという。

「中学2年のとき、バスケットボールから走り幅跳びに転向しました。バスケをやめた理由は、これ以上身長が伸びないなら続けるのは無理だ、という判断です。走り幅跳びの選手になろうと思ったのは、足がけっこう速くて、ほかの人たちより跳躍がうまかったから。まあ、本音を言うと、やっぱり年頃だったので、自分が跳んだときにみんなから『すごい』『かっこいい』と言われるのが嬉しかったんですね」

しかし、浮かれていたのは、ほんの一瞬。自分の学校では上位の成績でも、大会に出場すると、あっさり予選落ち。自信を打ち砕かれた。悔しい思いをした猿山少年は、自分が上のステージに行くにはどうしたらいいのかを考え、実践した。
「中学、高校、大学など、それぞれの環境で、自分より少し上にいるライバルを見つけ、まずはその人を抜くことに全力を注ぎました。向こうは格下の私のことなど気にもしていなかったと思います。しかし、そんなことは気にせずに、その人よりも足りない部分は何か、何をすれば勝てるのかを考えながら、虎視眈々と自主練をこなす。これを繰り返すうちに、気づいたときには圧倒的な成績で自分がライバルを追い抜いている」

幅跳びという個人競技だからこそ、競争心を掻き立てる状況を自分で作り出すしかない。「ライバルの想定」はそのための一つの方法だ。
体を鍛え、技術を身につけ、メンタルを強くする。「心・技・体」をバランスよく磨くことによって、猿山選手はここぞという大舞台で実力を発揮し、2009年香港・東アジア競技大会の銅メダル、2010年テヘラン・アジア室内陸上競技選手権大会の金メダルなど、次々と結果を出してきた。

    

「今はこの競技で自分が最年長なので、ライバルは自分自身です。どれだけ維持できるかが勝負。年齢に関係なく、トップを目指している姿を見せることで、『猿山さんが続けるなら、自分もまだ続けます』という後輩も増えています。何かしらみんなに影響を与えられる存在でいられること。それが今の自分のモチベーションになっています」

戦略とメンタル――身体能力だけではないフォールド外での攻防

「走り幅跳び」という競技の魅力とはなんだろう。
この競技には、外側で見ているだけではわからない、メンタルの駆け引きがあるという。
「走り幅跳びには、6本の跳躍チャンスがあります。選手には跳躍までに1分間の時間が与えられ、自分のタイミングでスタートことができますが、6本のうち、1本いい成績が出たら、それでOK。流れが一気にこちらに来て、勝ちにつながります。ギャンブルみたいなものですかね。でも、それがおもしろい。いい風がこなければ、跳ばずにパスしてもいいし、足のタイミングが合うか、試すために飛ばずに走り抜けたっていい。たとえ1本目が思うように跳べなくても、自分の状態や環境を判断して戦略を考え、メンタルを立て直していけるところも魅力です」

1本の跳躍を終えると、次に跳ぶまで30~40分の時間が空くので、その間に横になって休む人、ほかの選手のジャンプを見ながら作戦を考える人など、過ごし方はさまざまだという。
「ほかの選手に『調子はどうなの?』と話しかけて、プレッシャーを与えるのも、一つの作戦です。相手に『この人、今日はすごく気合が入っていて手強そう』と思わせたらメンタル面でかなり優位に立ちますから。戦いはすでに控え室から始まっているんです。自分はあまりそういう駆け引きはしないけど、この見た目なので、勝手に怖がられているみたいですね」
笑いも交えながら話す猿山選手。端正な顔立ちに意志の強そうな目力、エッジの効いたヘアスタイルの存在は、さぞ多くの選手の心理に影響を与えていることだろう。

“金髪”に込められた陸上界への恩返しの思い

金髪に染めた陸上選手。意外な組み合わせは疑問に思わざるをえない。

「昨年、実業団が廃部になり、自分はプロに転向しました。しかし陸上界では、プロ化がまったく進んでいない。それなら自分が先人となってプロが活躍する土壌を作りたい。その思いをこめて金髪にしています」

昨今のスポーツ界では、体操の内村航平選手、競泳の萩野公介選手、陸上ではケンブリッジ飛鳥選手や福島千里選手など、プロ転向を表明する選手が増えている。
しかし、野球やサッカー、バスケットボールのように、試合時間が長く、エンターテインメント性の高いスポーツと違い、大半が1分以内に終わってしまう陸上競技は、プロ化に苦戦している状態だ。金髪というルックスのアピールも一つの「戦略」だ。

「現状では、大学まで陸上を続けてきた人の選択肢は、実業団のチームに入るか、陸上をやめるしかない。また、実業団に所属しても、企業の事情や不景気で廃部になる可能性がある。そうなってしまったときの選択肢は多くない。ネームバリューのある選手は企業とスポンサー契約をしてプロ活動が展開できる。他の実業団に入ることもできる。しかし、多くの選手は、陸上をやめて所属していた企業で働くか、学生時代に取得した教員免許で教師になるかぐらいの選択肢です。就職先やセカンドキャリアの一つとしてプロリーグを選択できれば、クラブチーム内で選手同士の技術の共有や交換が行われ、日本の陸上界はぐっと盛り上がるはずです」

競技人生という「価値」――アスリートだからできる社会還元

多くの選手が陸上という競技に人生を費やし、技術と経験を積み上げている。それは、選手個人にとってだけにとどまらない「価値」があるはずだ。それを続ける場所がないという理由で埋もれさせていいのか。
選手たちのノウハウを活用し、さらに一人ひとりの個性やパフォーマンスを際立たせる。単純に記録だけでは測れない、陸上競技のエンターテインメント的な魅力を打ち出し、人々に勇気や夢を提供できるのではないか。それは、猿山選手が実業団時代から抱いていた思いだった。

「現在のプロ選手を増やすためには、企業にスポンサーになってもらうこと、賞金レースでよい結果を出して賞金を稼ぐことが考えられます。しかし現在、賞金のあるレースは、日本にはほとんどありません。じゃあ、どうするのか。そこで自分が挑戦しているのが、陸上の魅力を多くの人に知ってもらうためのさまざまな活動です」
その活動たるや、企業の社員を対象とした健康増進プログラム「コリとり教室」、実業団チームのスプリントコーチ、小学校や中学校の体育指導員、株式会社東京ドームスポーツ主催の小学生対象「かけっこ教室」など、昨年プロになったばかりとは思えないほどの豊富な実績だ。

“伴走者”の存在――夢の実現をサポートするバディ

「自分一人なら、ここまで幅広い活動はできません。マネージャーと二人三脚でやってきたから実現したんです」
プロ転向後の猿山選手の活躍の裏には、頼れる相棒の存在があった。
猿山選手のマネージャー・柳川実さんは、猿山選手の小学校時代の幼なじみである。選手として活躍を続ける猿山選手のことを影ながら応援していたが、連絡をとりあう仲ではなかった。しかし2017年3月、猿山選手がプロとして一人で現役を続けることを知り、柳川さんの心の中で、何かが動き出した。アスリートの世界のことはまったく知らない。しかし、さまざまな職を経験し、現在は経営者として事業を立ち上げた実績がある。

猿山選手をサポートする、「相棒」柳川マネージャー

「友人として、起業家として、自分が応援できることはないだろうか」。猿山選手に連絡をとり、彼の理念や構想をじっくり聞いた。
「驚きましたよ。成人式以来の対面だったので。柳川さんは、自分が描いているプロリーグの構想や、現役にこだわる気持ち、今後の活動などを、興味深く聞いてくれました。そういう場が何度かあって、彼から『マネージャーとして活動を応援したい』と提案されたんです」

プロ転向を表明後、ほかの実業団やスポーツマネジメント会社などからも声は掛けられていた。しかし、どの話も自分の未来が予測できてしまうだけに、ワクワクしなかった。
しかし、柳川さんの話はちがった、と猿山選手は振り返る。
「スポーツとは異なる分野で生きていた彼だからこそ、いい意味で先が見えないんです。これはおもしろくなりそうだ。彼と組んだらどんな世界が作れるだろうと心が踊った。実際にマネージャーとして仕事をしてもらうようになってから、自分が漠然と考えていた活動やアイデアが、彼の力でどんどん形になっています」

いつも上を目指して――夢中であれ、かっこよくあれ

実業団チームの廃部という憂き目にあいながらプロ転向を表明した猿山選手は、柳川マネージャーという相棒を得て、信念を曲げることなく誰も描けなかった道を踏み出した。
目下、6月に開催される第101回日本陸上競技選手権大会への出場をひかえているが、当然その先にある、東京五輪も視野に入れている。現役アスリートと陸上指導者という二足のわらじをはく猿山選手に、今だから言える実業団への正直な思いを聞いてみた。
「廃部という残念な結果にはなりましたが、会社には感謝しています。選手活動をサポートしてもらったことはもちろんですが、社員と同じように責任ある仕事を任されたり、裏方にまわって若手選手を最後までサポートしたり、社会人としてさまざまな勉強や経験ができたことで、今の陸上界に必要なものと不必要なものが見えてきた。自分が何をすべきかが明確になりました。


プロリーグ構想に賛同してくれる企業や選手は確実に増えている。実業団の選手やプロ化した選手からも、「どんな活動をしているのか、教えてほしい」と関心を寄せられることも多くなった。 「第一弾として、今年の秋に賞金つきの陸上イベントを開催したいと考えています。スポンサーに賞金をいただき、短距離走の速い選手を集めて観客を呼ぶ。『陸上ってこんなおもしろいことができるんだ』とわかれば、社会やメディアの注目も集まり、さらに盛り上がると思います」

今後の構想について説明する柳川マネージャーのとなりで、猿山選手は大きくうなずき、こう言った。
「子どもたちのかけっこ指導をするときに、いつも言うことが二つあります。一つは、何かを続け上を目指すには、集中するだけでなく『夢中になる』こと。二つ目は、速いだけでなく、『かっこいい』を意識すること。走る姿勢に気をつけたり、好きなウエアを着たり、自分の個性やパフォーマンスも大切にしてほしい」
かっこいい自分を意識することが、夢中になることにもつながる。


「まずはプロである自分が、夢中で陸上競技と向き合っていくことで、多くの人とのつながりを作り、賛同者を増やしたい」
陸上プロリーグの競技場に観戦者があふれる日が来るまで、あらゆるチャンスに食らいつき、走り、跳び続ける。学生時代にライバルを次々に追い抜いていった少年の挑戦は、今もまだ終わっていない。

猿山力也(さるやま りきや):走幅跳選手。1984年2月15日生まれ。

追記:2018年11月5日
猿山力也選手が、11月23日(金・勤労感謝の日)に、小学生以下の子供を対象にした指導教室を開催します。場所は東京渋谷区の代々木公園陸上競技場。詳細は下記のリンクをご確認ください。
イベントタイトル:「やってみたいを実現!猿山力也選手のかけっこ&走り幅跳び&リレー体験!」

取材・執筆:小川こころ/文筆家・作家
福岡県生まれ。大学卒業後、楽器メーカー、舞台役者を経て新聞記者に。2011年に独立。企画・取材・執筆を手がける個人事務所を設立。同時に「ゼロから始める文章講座」や「コラムニスト入門講座」「心を動かすレビュー講座」など執筆や表現に関するワークショップ「東京青猫ワークス」を立ち上げる。ブログ「ことばのチカラはこころのチカラ!」を運営。

撮影:今井恭司(いまい きょうじ)/フォトグラファー
新潟県生まれ。東京写真大学(現・東京工芸大)卒業。広告写真の仕事を経てフリーランスのカメラマンに。その後、『サッカーマガジン』(ベースボール・マガジン社)の仕事を通してサッカーと出会う。日本におけるサッカー報道の黎明期を切り開いてきた。著書は『日本代表写真集/誇り高き男たちへ』(小学館)、『WORLDCUP98オフィシャル写真集』(日本サッカー協会)、『日本代表オフィシャル写真集2001~2002』(ぴあ)、『写蹴』(スキージャーナル社)など多数。現在、ジェフユナイテッド市原・千葉オフィシャルカメラマン。スタジオアウパ代表。日本スポーツプレス協会会員、国際スポーツプレス協会会員。2017年8月1日、サッカーカメラマン第一人者としての功績が評価され、第14回日本サッカー殿堂入り(元日本代表監督の加茂周氏が同時に受賞)。

企画・取材・編集:石原智/次世代価値コンソ―シアム『NVC REPORT』編集部

掲載:2018年3月15日

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