しなの鉄道は、北陸新幹線の開業に伴いJR東日本から経営分離した第三セクターの鉄道会社。13期連続黒字と経営は順調にみられているが、沿線人口の減少、車両や設備の老朽化など、課題も山積している。
地域とともに走り続けるしなの鉄道の舵取りをするのは、玉木淳代表取締役社長(48歳)。2016年6月、東京海上日動火災保険株式会社からの出向で、地域活性化戦略の担い手として重責についた。
社長就任後にまず行ったのは、全社員や地域の声を聴くこと。そこでの対話を経て、軽井沢を起点として沿線に誘客するという事業戦略を立てた。
「しなの鉄道の沿線には、魅力が詰まっている」と語る玉木社長。地域を支援する経営、そこで気づいた価値の発信、次世代につなげる鉄道経営についての思いは熱い。
軽井沢駅を人の集まる場所に~「駅ナカ」開発プロジェクト
しなの鉄道は、2017年10月1日に開業20周年を迎えた。それを記念して軽井沢駅の「駅ナカ」施設をリニューアル。施設デザインはJR九州「ななつ星in九州」や、しなの鉄道の観光列車「ろくもん」をプロデュースした鉄道デザインの第一人者水戸岡鋭治氏。これらの施設は、「しなの鉄道の玄関口である軽井沢を訪れるたくさんの人々へ向けて、しなの鉄道と沿線の魅力を発信する」というコンセプトに基づいたものだ。
「軽井沢には年間840万人もの観光客が訪れますが、その多くは日帰りで、しなの鉄道のことも沿線のことも知らずに帰ってしまう。これが悔しかった。沿線には一級品の農産物やワインをはじめ、伝えたい『本物』が多くあります。しなの鉄道を通じ大いにPRしたい。その第一歩として取り組んだのが軽井沢駅のリニューアルです」(玉木社長)
その戦略を具体化するため、玉木社長は軽井沢駅に3つの「駅ナカ」施設をつくった。2017年10月に「旧軽井沢駅舎記念館」をリニューアルした新駅舎、2018年3月にオープンした1周120メートルのミニトレインが走る「森の小リスキッズステーションin軽井沢」、そして、同時にオープンした軽井沢駅3階の商業施設「しなの屋KARUIZAWA」。
歴史的施設を駅舎に再活用
1つ目の新駅舎の元になったのは「旧軽井沢駅舎記念館」だった建物。
同記念館は、1997年の長野新幹線開業に伴って取り壊された旧駅舎を、明治43年(1910年)当時の姿で軽井沢町が復元したもの。軽井沢町の歴史を感じとることができる施設であり、デザイナーの水戸岡氏は記念館にある「本物の素材」をそのまま活かす形でデザイン構築を進めた。
リニューアルした軽井沢駅舎には、カフェや観光列車「ろくもん」の乗客向けラウンジなどを備え、駅構内には子ども連れが遊べる有料待合室も設けている。
「軽井沢駅は大型ショッピングモールに隣接していますが、若いお母さんがショッピングを楽しんでいるとき、おじいちゃん、おばあちゃん、父親が子どもと一緒にすごす場所になればいいなと思っています」
軽井沢駅舎を案内してくれた、しなの鉄道経営戦略部の山本将丸さんは、この駅舎が家族のコミュニケーションの場になってほしいと話す。
軽井沢の旧駅舎は明治時代の駅舎を復刻したものだが、駅事務室もあれば改札もあり、天皇・皇后両陛下ご夫妻がお休みになられた貴賓室もある。
「そのような歴史ある文化財を残していくことは大切。保存するにも維持費はかかります。実際に使いながら保存することで持続的に残していくことができます。」(玉木社長)
かつて貴賓室だった2階は、観光列車「ろくもん」乗客のラウンジとなっている。高級感が漂う調度品は、すべて水戸岡デザイン。JR九州の超豪華列車「ななつ星in九州」の家具を手掛けた職人が製作している。
駅の中のミニ遊園地
「駅ナカ戦略」の第二弾は、2018年3月23日オープンの「森の小リスキッズステーションin軽井沢」。駅の中の小さな遊園地だ。
「それまで使われていなかった駅構内の遊休部分を活用し、家族3世代がのんびりと過ごせる「駅ナカ」広場です。自動車で軽井沢に訪れる多くのファミリー層の方は、しなの鉄道へ訪れる機会がなかったかもしれませんが、この広場ならば気軽にお子さんとの楽しい時間を過ごしていただけます」(前出の山本さん)
鉄道好きの子供は多い。ここならば、本物の列車を見ながら鉄道関連のアトラクションで遊ぶことができる。
JR利用者も気軽に立ち寄れる地域の名品店モール
JRの改札に近い駅3階の南北自由通路に面したコンコース。しなの鉄道の改札口の隣にあった事務所スペースを縮小してテナントスペースを拡大、そこに「しなの鉄道」沿線ゆかりの店舗が出店する「しなの屋KARUIZAWA」をオープンした。
峠の釜めしの荻野屋、栗菓子の桜井甘精堂、ジャムの沢屋、信州ハム軽井沢工房など7店が軒を並べている。地域の魅力を伝えることをコンセプトに商品をそろえた。しなの鉄道利用客だけでなく、新幹線利用客、駅前に位置する軽井沢アウトレットモールの客も利用している。
軽井沢駅を起点に、しなの鉄道沿線の魅力を発信
しなの鉄道の首都圏側の発着駅である軽井沢。ここには、年間約850万人の観光客が訪れる。この観光客がしなの鉄道沿線に足を運んでもらえるようにすることが、沿線の地域への貢献だと玉木社長は考える。
明治時代に外国人の保養地として注目され、一流リゾート地としてブランド形成された軽井沢。現在は、東京から新幹線で一時間程度でアクセスできるようになり、軽井沢駅前には大規模なショッピングモールもできた。それに伴い、従来の長期宿泊を前提としたリゾート地から、近年は気軽な「日帰り観光地」としてクローズアップされている。
日帰り観光地というのは軽井沢町が望んでいた姿とは違っていた。その現状に危機感を持っていた軽井沢観光協会が、滞在型広域リゾートに向け、「しなの鉄道と連携した広域観光の取り組みを一緒にやりましょう」と玉木社長に声をかけた。
「しなの鉄道が実現したいことと、軽井沢観光協会が進めていきたいことが一致しました。軽井沢のブランドと沿線にある価値をつなげることができれば相乗効果が得られる」(玉木社長)
玉木社長の思いの根底には、出向元の社員数百名へのヒアリング結果があった。
軽井沢へ行ったことがある人は98%であるのに対し、玉木社長がしなの鉄道に出向となる前からしなの鉄道を知っていた人は13%。乗車したことがある人は5%しかいなかった。また、沿線にたくさんあるワイナリーの存在を知っていた人は13%。沿線の有名な温泉地については17%程度とかなり低い知名度であった。
知られざる魅力があることを強みに
「今や何でも手に入る時代。かえって知られていないから価値があると感じました。自分たちができることは限られていますが、まずは自分たちができることから始めています」(玉木社長)
そこでまず着手したのが、前述の軽井沢駅のリニューアルだった。
その戦略は実に明快だ。「軽井沢にしなの鉄道あり」を印象づけるためのブランディングだ。軽井沢を起点としながらも、軽井沢との関係を発信しきれていなかった。そこで、軽井沢が大切にしている文化財である旧駅舎記念館を駅として再生し存在感を高め、新しく整備した3階改札口には「しなの屋KARUIZAWA」を設置し沿線の魅力的な名店を配置して集客する。1階の「森の小リスキッズステーション」では家族3世代がゆっくり過ごせる空間を作り、駅自体を目的地化して、沿線の強みである農産物のマルシェも設置した。
「何よりもまず、軽井沢駅に来ている人に、しなの鉄道の存在を知ってもらうことが必要」(玉木社長)
沿線の”本物”を知ってもらう
「桃やブドウがこんなに美味しいなんて」。新潟の沿岸部出身の玉木社長には信州の山の魅力が新鮮に映った。「信州産の果物は首都圏のスーパーでも買えるのになぜ味が違うのだろう」。その疑問を地元の人へぶつけると「それは当たり前。首都圏向けより地元向けは旬に近いタイミングで収穫するから」と。ご当地だからこそ美味しいのである。
果物だけでない。沿線に広がるぶどう畑でできるワインも、泉質の良い温泉も、日本酒や味噌や漬物などの発酵食品のレベルの高さなど、発見と驚きの連続であった。
「ここでしか味わえない旬の美味しさをきちんと伝えることが、沿線へ足を運ぶことにつながる」(玉木社長)
観光客が真に求めているものとは
しかし、これらの「観光資源」は、一部のバイヤーや熱烈なファン層には知れ渡っているが、流通量が少ないのか、PRが不足しているのか、地域外の人々に伝わっていない。「良いものがあってもそのままでは、沿線にわざわざ来る理由にはなりにくい」と危機感も抱いた。
良いものがあるのに伝わっていない。地元自治体や観光協会がPRに消極的なわけではない。問題の1つ目はエリア意識のない発信。観光キャンペーンの多くは自治体単位で実施され、同じような特徴をそれぞれが発信している。
2つ目は発信する内容。自治体のパンフレットを見ていると名所旧跡、歴史文化の説明に終始し、都会の観光客が求めることを発信できていない。今求められているのは、「体験」だ。収穫や農業などを通じた、その地域独自の暮らしを「体験」したい。当地で採れる産物を使ったその場所でしか食べることができない、こだわりの飲食店での「食の体験」などだ。こうした体験できる魅力を、個別の自治体ではなくエリアがが一体となって発掘して、発信する「観光戦略」が欠けていた。
鉄道だからできる、地域の観光発信に”横串”を
玉木社長は沿線の自治体や観光関係者に「沿線の自治体が力を合わせて地域の魅力を発信しましょう」と呼びかけていった。
そして、地域の魅力訴求の相手を、まずは「軽井沢に来る観光客」に絞った。
従来、この地域の観光PRとなると、東京など首都圏をターゲットとしていた。しかしそれはわざわざ「レッドオーシャン」に飛び込む行為だ。首都圏での周辺観光地の選択肢は多い。伊豆、箱根、富士山、日光、房総等々の有力観光地との競争になる。
しなの鉄道沿線の強みは、「県外まで売り込みに行くまでもなく、軽井沢まで多くの観光客が来ている」ことだ。
その考えのもと、玉木社長は軽井沢駅リニューアルに踏み切った。首都圏から軽井沢を目的地として多くの客が来る。その先にあるしなの鉄道沿線の魅力を軽井沢で発信する。
「まだまだこれからです。沿線地域が今以上に一致団結して軽井沢でPRしていく必要があります。そうすることで沿線の活性化のみならず軽井沢を訪れる価値を引き上げ、リゾートブランドの向上にもつながる」
しなの鉄道という「横串」が通ることで、沿線の自治体の「壁」を超えたメッセージをつむぐことができるのではないか。沿線各地に点在する飲食エリア、観光エリア、そして宿泊エリアが、しなの鉄道で結びつく。鉄道だからこそできる地域活性。エリアを超えて人の思いをつなぐことができることを玉木社長は実感している。
鉄道を守り、地域とともに成長していく
2016年6月、しなの鉄道の社長に就いた玉木氏は、沿線地域の歴史や課題について学ぶために、沿線の自治体を訪ね、地域を肌で体感することに努めた。
しなの鉄道沿線には「長野」「上田」という人口集積地がある。しなの鉄道が地方鉄道としては輸送人員が多いのはそれゆえであるが、今後は人口減少の影響は避けられない。鉄道事業だけでは鉄道が守れなくなる可能性がある。
また、社員の年齢構成による人件費増加も大きな課題となる。従業員の平均年齢は35歳と若い。逆に言えばこの先は定年退職者が少ないためコストアップとなる。このようなことが重なり、13期続いた黒字経営もいずれ資金収支が徐々に厳しくなる可能性がある。
「短期的な考えは捨て、一番厳しくなるであろう十数年後を見て、黒字である今のうちに対策を打っていく。あの時の判断は正しかったと後々言われるように経営したい」(玉木社長)
門外漢だったこその強み
玉木社長が保険会社からしなの鉄道に出向するときに与えられたミッションは「鉄道事業を通じ地域を発展させること」。鉄道事業の門外漢であった玉木社長であるが、いまでは「鉄道は地域の発展と、自社の発展を重ねることのできる優れた産業」と振り返る。
「就任時には鉄道事業の知識はありませんでした。何も知らないので、みんなに教わるしかなかった。そしてみなさんが教えてくれた。今は何も知らなかったことが最大の強みだったと思っています」
玉木社長は、就任して数カ月が経過ししなの鉄道の経営課題や取るべき戦略がおぼろげながら見えてきた頃、しなの鉄道の全社員一人ひとりの意見を聞いて回った。
「この面談でいろいろなことを判断できるようになりました。それまでは薄氷を踏む感じでした。社員一人ひとりの意見を幅広く聞くことができ、何が大切か、方向性が定まってきました」
面談をした結果、しなの鉄道の社員一人ひとりには、それぞれ強い思いがあることもわかった。その場で得られた企画アイデアは、経営改革や業務改善のみならず、20周年記念事業や軽井沢駅再生、ワイン列車、通勤ライナーの復活、車両更新などさまざまな事業企画にもフル活用されている。
社員の声で、鉄道ファン感涙の企画が実現
社員の声からできた企画のひとつで、高い注目を集めたのが「懐かしの車体カラーの復活」だ。
しなの鉄道では、20周年を記念して過去にしなの鉄道(旧JR信越線)の路線を走っていた「115系」の車体カラーを復活させる取組を始めた。JR東日本にも協力を仰ぎ、初代長野色、湘南色、横須賀色と次々に復活させた。全国的には115系車両は廃車が進み貴重になる中、「動く115系」は鉄道ファンや地域の人々を喜ばせた。
そんな中、ある鉄道ファンより「もう一色あったのでは」と指摘があった。それは「コカ・コーラレッド」と呼ばれるカラーだ。今から30年前JR民営化直後から数年間この線区を走っていたものであった。しかし、しなの鉄道としては塗り替えの予算を使い切っており、一旦は見送りをしたが、「ここまで来たら完成させたい」と社員から声が上がった。そこで、「クラウドファンディング」を使って資金募集することにした。インターネットで目的を告知し資金を募った。
「正直、集まらないと思っていました」という玉木社長は、当初の45日の募集期間に意見して60日に延ばした。しかし不安は杞憂に終わった。5日半で目標額を達成した。
「北海道から沖縄県まで500人を超える人の支援を受けることができ、鉄道ファンや地域の力を実感しました。同時にこのご恩を返さなければ」と玉木社長。いまでは目に眩いコカ・コーラレッドの車両が走り、地元の高校生にも大人気とのこと。その後日本コカ・コーラ社で貸切運行もしてもらった。
社員の声を元にした、「温故知新」を武器にした取組みである。
“絹の鉄路”から“ワインレール”へ
「軽井沢を訪れる人へ、地域の価値を発信する」取り組みは軽井沢駅のリニューアルだけにとどまらない。
今、しなの鉄道が誇る人気プランが「ワイン列車」だ。観光列車「ろくもん」を使い、沿線の人気ワイナリーとタッグを組んだワイン列車「信州プレミアムワインプラン」の運行を2017年4月に開始した。
「軽井沢で夕方まで遊んだあと、観光列車『ろくもん』の乗車し上質なワインを飲みながら温泉地へ」。この旅行企画が、予約が取りにくい人気商品となっている。
なぜ、この地でワインなのか。しなの鉄道の沿線が、日本トップクラスのワイン用ぶどうの産地だからなのだが、そこには近代日本の産業史が関わっている。
かつて、しなの鉄道の沿線は「生糸」の一大産地として活況を呈していた。しなの鉄道の前身であるこの地域を走っていた鉄道には、ここで生産されるシルクを東京を経て横浜港へ運ぶという用途があった。しかし第二次大戦後、国内の養蚕業は衰退。一面の桑畑は荒廃地となった。
長野県はマイナス10度以下になるので、ワイン用ぶどう栽培には「寒すぎる」とされてきた。しかし、寒冷対策の進化や地球温暖化の影響により適地が北上し、もともと寒暖差が大きく内陸性気候で雨の少ないしなの鉄道沿線はぶどう作りに最適な条件が揃い、沿線にはワイナリーを開設する人や、ワイン用ぶどうを栽培する人たちが移住してきた。現在では、ワイン用ぶどうの一大産地となっている。シルクロードならぬ「シルクレール」から「ワインレール」へ変化を遂げたわけだ。
この「地域資源」に価値を見出し、旅行プランとしたのが「ワイン列車」だ。
「沿線で国内トップクラスのワインが造られていながら知名度は低い。しかし、『知られていない』ことに価値がある。そしてワイン自体は通販でも買えますが、ワイナリーは都会にはないですよね。ここにしかない価値に魅力がある」(玉木社長)
そしてワイン列車の運行を決めた理由として、玉木社長はこう付け加えた。
「ワインづくりなど地域で生活する方々が本当に魅力的で心から応援したいと思った。この地域にある、上質なワインも泉質の良い温泉もしなの鉄道の自慢です。都会に住む人々が求める幸せを提供できる場所だと確信しています」(玉木社長)
しなの鉄道は単なる輸送機関ではなく、地域の魅力を発信する「メディア」の役割を担っている。しかも、情報を発信するだけではない。観光客は、車内で有名シェフによる食事ができてワインも飲める。地域の人との交流も生まれる。地域の生産者やワイナリーにとっては、しなの鉄道とコラボレーションすることでビジネスチャンスを得ることができる。
鉄道を通して第二のふるさとづくり
玉木社長は、しなの鉄道の沿線にあるお気に入りの地区を「第二のふるさと」にしてほしいと願う。
しなの鉄道沿線は、新幹線を使えば1~2時間程度でアクセスできる割には、自然豊かで田舎の良さが残っている。夏休みに故郷に帰るように、沿線の自治体の空き家などを活用して長期滞在できるようにし、じっくり「本物の自然」「本物のめぐみ」を楽しめる場所と時間を提供する。居住人口は減ったとしても、その地を訪れる「交流人口」は増やせる。そんな便利で豊かな田舎になれる。将来、移住してみたいという人も現れるかもしれない。それには、どれだけ地域の力を引き出せるかが勝負となるだろう。
玉木社長の、しなの鉄道の次の一手に期待したい。
【玉木淳社長プロフィール】
1970年新潟県新潟市生まれ。上智大学経済学部卒業。1993年東京海上火災保険(株)(現:東京海上日動火災保険(株))に入社。福井、愛知、長崎の勤務後、2005年より広域法人部・営業開発部勤務し、中小企業支援に注力。2016年、東京海上日動の地方創生への戦略としてしなの鉄道株式会社へ代表取締役社長として出向。
【しなの鉄道株式会社 概要】
設 立:1996年5月1日
本 社:長野県上田市常田1-3-39
社員数:277名(2018年4月1日現在)
代 表:代表取締役社長 玉木淳
鉄道事業の概要:
営業区間:しなの鉄道線~軽井沢 ・ 篠ノ井間(長野まで乗り入れ)/北しなの線~長野・妙高高原間
営業キロ:102.4km(しなの鉄道線:65.1km・北しなの線:37.3km)
駅数:27駅(直営駅8、委託駅13、無人駅3、共同使用駅3)
車両数:59両(115系電車59両)
【しなの鉄道の地域貢献事例】
しなの鉄道は、積極的に沿線地域との連携を進めている。地域の市町村、観光協会、商工会議所などとのイベントも多く開催している。
例えば上田駅では、2015年から毎年秋になると「信州上田謎解きウォーク」というイベントが行われている。地域の商店街や上田商工会議所と連携し、しなの鉄道の社員も上田駅改札前に受付を設け、駅長自らイベントへの参加を呼びかけるなど、地域活性化に協力している。
上田商工会議所が運営する観光施設「真田十勇士ガーデンプレイス」(長野県上田市)
取材後記
2年前、損害保険会社で中小企業向け保険の開発担当だった玉木氏。鉄道会社の社長という辞令に、当初は驚いた。しかし、「地域活性化のために経営者として現場で汗をかくことは勉強になる」と前向きにとらえた。このポジティブな姿勢と「鉄道を守りつつ地域の価値を発信していきたい」との思いが、しなの鉄道の社員や地域の人たちに伝わり、スピード感のあるさまざまな事業推進につながっている。
鉄道事業は効率や収益性だけでは経営できない。「人の命を預かる」事業として安全のためには多額の投資が必要となる。また、文字通り「地元密着」の事業として地域と切り離せない。地元出身の社員たちの思いを汲み取れない経営は失格だろう。思いが通じなければ社員は離れ、投資ができなくなったら鉄道の安全は守れなくなってしまう。それだけの重責を担い、社員全員と地域の思いを乗せて、しなの鉄道は未来に向かって新たな価値を伝えるべく、走り続ける。いつか、観光列車ろくもんでワインと料理に舌鼓を打ち、信州にある「本物の価値」に、どっぷりひたりたいと思った。(廣川)
取材・執筆:廣川州伸(ひろかわ くにのぶ)
1955年9月東京生れ。都立大学人文学部教育学科卒業後、マーケティングリサーチ・広告制作会社を経て経営コンサルタントとして独立。合資会社コンセプトデザイン研究所を設立し、新事業プランニング活動を推進。東工大大学院、独協大学、東北芸術工科大学などの非常勤講師を務め、現在、一般財団法人 WNI気象文化創造センター理事。主な著書に『週末作家入門』(講談社現代新書)『象を倒すアリ』(講談社)『世界のビジネス理論』(実業之日本社)『偏差値より挨拶を』(東京書籍)『絵でわかる孫子の兵法』(日本能率協会)など20冊以上。地域活性化についても様々な提案を行っている。
撮影:樋宮純一/フォトグラファー
編集:石原智/次世代価値コンソーシアム
2018年9月掲載