イエナカに現代アートを~ワンピース倶楽部代表 石鍋博子さん

美術鑑賞が好きな人は多い。有名作家の展覧会があれば美術館には行列ができる。そんなアート好きでも、「現代アート」と聞くと、難解で近づきがたいイメージをもってしまう。まして「現代アートを購入してコレクションする」と言われると審美眼や見識を問われてしまいそうで、壁を感じてしまう。石鍋博子さんは、現代アートのコレクターを組織し、アーティストとの交流勉強会や展覧会を開催するなど様々な活動を展開している。石鍋さんによれば現代アートはもっと身近なものだという。自宅に現代アート作品を飾る生活--”イエナカ・コンテンポラリーアート”の様子をうかがいにご自宅にうかがった。

石鍋博子/いしなべ ひろこ
1956年東京生まれ。小中高校時代まで岩手県、宮城県で過ごす。慶應義塾大学法学部卒業後、1980年にフジテレビ入社。1998年に退社するまで、主として音楽番組制作、イベントのプロデュースに携わる。2005年夏より現代アートに関心を持ち、07年7月、アートコレクターの集まりである「ワンピース倶楽部」を設立し代表に。毎月1回の交流勉強会と、年1回の展覧会開催を中心に活動を行っている。現代アートの作品を収集する傍ら、現代アート界の活性化を目指し、国内外のアートフェア、美術館、ギャラリー等を廻る日々を送る。講演活動も積極的に行う。

石鍋博子さん。以下すべての写真はご自宅で撮影

アートを楽しむ

人なつこい3匹の柴犬に迎えられ邸内に入ると、いたるところに骨董品や美術品などのお宝が飾られていて、度肝を抜かれる。玄関、廊下、応接室など、壁面という壁面は現代アートで埋め尽くされ、まるで美術館かギャラリーに足を踏み入れたようだ。
インタビューに応える前に、石鍋さんは「これ、いいでしょう」という表情で、スマホケースをテーブルの上に置いた。3人組の若手アーティスト、東北大震災の被災地で活動を続けるthree(スリー)の作品だ。アニメ・フィギュアや醤油差しなど身近にある素材を使って、生産と消費、都市と地方のギャップに疑問を投げかける社会性の強い作品を発表している。石鍋さんは最初の展覧会のときにいち早く作品を購入した。

福島を拠点に活動する三人のアーティスト・ユニット「three」の作品を手元に置きながら

石鍋さんが代表を務める「ワンピース倶楽部」は、「購入することを前提に、現代アートシーンを楽しむ」がコンセプト。確かに美術館やギャラリーで観るだけでなく、買うことで作品をより深く理解するということはあるだろう。ちなみにワンピースとは、一つの作品という意味。一つの作品を購入するということは、ある意味ではアーティストや作品に対する賛辞でもある。作家にとっては買ってもらうことが最大の評価だ。

マドリードでの”出会い”

現代アートとの関わりは、あるアーティストとの出会いがきっかけ。たまたまヨーロッパの旅から帰国した若手アーティストに、現代アートの話を聞く機会があった。テレビ局に18年勤務して、たいていのことは知っているつもりだったが、現代アートの知識はほとんどゼロに等しく、見ること、聞くこと、すべてが新鮮だった。

住居の中は、あらゆる場所が芸術作品に包まれている

「現代アートって何か面白そうだな、もうちょっと知りたいなと」2005年、ヨーロッパでも有数の現代アートの見本市、スペイン・マドリードで開催された国際コンテンポラリーアートフェア「ARCO」を見に行って、強烈なショックを受けた。日本は経済大国だなどと威張っているが、アートの分野ではすごく遅れていることを実感したという。
「世界中のコレクターやアーティスト、ギャラリストがたくさん来ていて、すごく面白い世界があるんだなと。ところが、そこに日本人が全然いない。どうしてだろうと思っていたんです。日本は現代アートのコレクターがいないからということを聞いて、だったら現代アートを活性化するためにも、私がそのコレクターの会を作ろうと思ったんです」
一人で1億円の作品を買うより、たとえば年に1作品でもいいから、1000人が10万円程度のものを買う方が、日本的なコレクターのあり方としては一番いいのではないかと考えたのだ。そういう人を増やす方が間違いなく美術界の裾野は広がる。

アートに導かれて

スペイン・マドリードのアートフェアで現代アートに触れた翌年、石鍋さんに不幸が訪れた。職場結婚した夫ががんでこの世を去ってしまった。夫を失ったショックで何も手に付かなくなり、茫然自失の日々。このとき心の空洞を埋めてくれたのが現代アートだった。


「生物的、動物的に弱っていく自分を感じたんです。息子に言われた一言で、そうか、元気になってもいいんだ、落胆ばかりしていてはダメなんじゃないかと。そういえば私、現代アートのことに興味があったんだと思って」北京のアートフェアを皮切りに、世界各国で開かれている展覧会を見て回った。スーツケース一個持って21日間掛けて美術館巡りをして、いろんな人に会って話を聞くうちに、現代アートの魅力に取り憑かれてしまった。


「夫を亡くしたときはかなり弱っていたと思うんですよ。それを現代アートが癒やしてくれた。私が元気になったら、今度はそれを誰かに伝えなくちゃいけないと思って」
2007年7月に友人数人とワンピース倶楽部を立ち上げ、石鍋さんは代表に。現在、会員は100人を超えている。最低年に1点は現存作家の作品を買うというだけで特別な会則はなく、ゆるやかなコレクターの集まり。東京・青山の「スパイラルビル」で、毎月ギャラリストやアーティスト、キュレーターとの交流勉強会を開いている。

コレクションで楽しみながら作家をサポート

アーティストといえども生活していくためには作品を売らなければならない。次の作品を制作するためにも資金は必要だ。作品を買ってくれるコレクターは、家族の次に大切な人たちである。さしずめワンピース倶楽部は、アイドルタレントのファンクラブのようなもので、現代アーティストの私設応援団。代表の石鍋さんはいわばその団長的役割だ。
「一生懸命がんばってる人を認めます、応援しますというのが伝わればいいなと」

若い作家の成長を見守る熱心なファン、あるいはアーティストを支援するパトロン的役割があり、作品を所有することで作家の成長の喜びをともに分かち合える。
「この作家は私が見つけたのよ、私が最初に買ったのよと自慢できる喜びがある。好きな作品があったら買おうという目でアート界に入ったら、それこそ楽しくてしょうがない」


毎年、千代田区外神田の「3331 Arts Chiyoda」で、会員がこの年に購入したワンピース倶楽部の展覧会「はじめてかもしれない」を開いている。筆者も一度拝見したことがあるが、有名無名、若手からベテランまで、多種多様の現代アートが展観出来て、なかなか楽しい会だ。今年(2018年)9月も昨年の10周年記念展に続いて「3331」のメインギャラリーで大々的に開催した。
「好きな作家と出会い、作品の購入、その公開もはじめてかもしれないということで、そういうタイトルを付けたんですが、けっこう好評だったので、これで毎年やっています」
色鮮やかな絵や重厚な彫刻、不思議な形をしたオブジェなどの美術品を買うという行為は、スーパーで大根や納豆を買うようなわけにはいかない。それなりの見識と知性と教養がないと作品を選びようがない。初心者のコレクターにとっては、現代アート界の動向を知るうえで格好の展覧会だ。

作家の熱量を自宅に置く

夫が元気な頃は二人でよく骨董市巡りをした。掘り出し物には他のものとは違う何か、特別なオーラがあると感じていた。それは作家の熱量のようなものだろうという。
「現代アートもエネルギーとかパッションとか、熱量を感じる作品が好きですね」
他に本業があり、週末だけ趣味で絵を描く日曜画家の作品には熱量を感じないという。
以前はプロであることにこだわっていた。貧しくても一生懸命創作に打ち込んでいる作家を応援しようと。現代アートの活動を10年やってきて、そこは変わってきた。
「生活を賭けちゃっている人は、絵が生活の道具になっているようなところがあるんですが、他に仕事を持っていて生活が保証されていて、2足のワラジでやりたいことをやっている人の方が思い切りやっちゃっているというか、ちょっと変わった作品に出会う」


売れなくてもいいと思っているから、大胆なことができる。創作一本で勝負をしている作家は売れるかどうかを意識するあまり、素人が好む無難な表現になってしまうということはある。いわゆる〝売り絵〟とか〝パン絵〟がそれだ。そういう当たり障りのない作品は、初心者には受けるが、石鍋さんのように目が肥えてくると、それでは物足りなさを感じるのだろう。
アカデミックな観点で美術界の発展に貢献しているか、あるいはギャラリーにとってありがたいかどうかは別にして、普通の人がアートを楽しむということに関しては、「ワンピース倶楽部はすごく貢献したのではないか」と自負している。アーティストの創作活動を側面から支援するムーブメントを広げる努力も必要なことだ。

家に飾ることでコレクションが生きる

ワンピース倶楽部を旗揚げし、10年間で買い集めたコレクションは約150点。石鍋さんにとって、作品の一つ一つに思い出があり、かけがえのない家族のようなもの。石鍋さんは作品を買ったら、必ず家に飾ることにしている。
「飾らすに倉庫にしまい込む人がいる。それって、いつか売るため? 絵を購入するのは保存するためではありません。この絵の本番っていつなのかなということをいつも考えるんですが、私が買った絵はわが家で本番を迎えるんですよ。だから飾る」
作家は人に観てもらうために絵を描き、彫刻やオブジェを作る。保存するためではない。買ったまましまっておくのは投資目的で買う人が多い。いい状態を保つために保存するのはナンセンスである。時間の経過とともに色がさめたり劣化するのはしょうがないのだ。


石鍋さん宅へしょっちゅうアーティスト本人が遊びに来るため、飾らないわけにはいかない。最近は家の中が作品であふれ、飾る場所がなくなってきたことが悩みの種。
ギャラリーは敷居が高いだけでなく、分かりづらい路地裏にあったりする。小さなギャラリーを回って歩くのは大変だが、だからといって作家から直接買うことは避けている。
「ギャラリーから買うのが礼儀だと思うので、作家と直接交渉はしません。アートフェアで買うのもお勧めです。アートフェアへ行って、自分はどんな作家が好きなのかわかったら、その作家が所属しているギャラリーでゆっくり作品を見てみるとか、その作家を追いかけてみるといいと思います」


アートフェアはたくさんのギャラリーが集まり、作品を展示販売する「芸術の見本市」。東京国際フォーラムで毎年開かれる「アートフェア東京」が有名だ。ギャラリストにとっては商談、アーティストにとっては新作発表の場でもある。基本的には作品の売買が目的だが、必ず買わなければならないということはなく、鑑賞するだけでもいい。

”場”を創出する楽しみ

数年前、石鍋さんが中心になり、瀬戸内海の生口島(広島県尾道市)で、一ヶ月にわたって現代アートのイベントを開いたことがある。お化け屋敷からアーティストによるパフォーマンス、クラシック・コンサート、海上での映画上映など島全体で様々なコンテンポラリーアートを楽しむ大イベントだった。
「場の創出ということにわくわくするんです。ワンピース倶楽部にしろ祭りにしろ、たくさんの人がきていろんなことが目の前で見られるって、すごく喜びを感じますね」

ワンピース倶楽部はフェアな立場で会員同士が交流勉強会の場を持つというスタンスを大事にしている。石鍋さんも現代アートの活動をビジネスにするつもりはまったくないという。他に不動産管理の仕事を持っていて、生活はその事業でまかなえる。

ワンピース倶楽部の活動を通じて、アート界にムーブメントを起こしたいという。ムーブメントとは、世界中で現代アートのワンピースを買おうという動きを広げることだ。
「私たちにも現代アートの作品が買えるんだという人は確実に増えていると思う。私はコレクターという意識はあまりなくて、どちらかといえば運動家ですと言っているんです」
運動家というと髪を振り乱して走り回っているイメージがあるが、石鍋さんは日本的でしとやかな女性だ。1年の300日は着物で過ごす。この日も落ち着いた和服で取材に応じた。石鍋さんが次世代の若者に発信していきたいと考えている価値を尋ねた。
「自分が決めるということ。人にこうしなさいと言われてやるのではなく、自分が決めることに快感を覚える生き方をしてほしい。作品を選ぶのは正しいとか正しくないということではない。だれが何と言おうと、私はこの作品が好きだから買う。それでいいんです」


ワンピース倶楽部が毎年開いている展覧会では、有名な作家の作品を出す人もいるが、「わー、すごーい」ということにはならない。逆に無名作家だが、「この作品いいよね」と高く評価されるものもある。名前や値段とは関係ないところに価値を見出しているのだ。

アートにできることはの自問~3.11の現場で

東日本大震災では、石鍋さんの岩手・大船渡の実家も被災し、親戚の二人の叔母が犠牲になった。
自分には何が出来るのか自問自答し度々ボランティアにも行ったが、大震災のショックはあまりにも大きく、コレクターとしての自分に疑問を感じて現代アートの活動をする気にならなくなっていた。
「みんなに作品を買いましょうと言って歩いていたわけですが、そんなことを言ってる場合か、アートを買いましょうなんて言ってる自分が、何か偽善者なのでは」と、ワンピース倶楽部の集まりのときに「やめよう宣言」をするつもりでいた。


そんなとき、地方在住のワンピース倶楽部の会員と話しをした。自分の周りに現代アートの話を出来る人がいないので、月に1回の交流勉強会にわざわざ半休を取ってくるという。「ワンピース倶楽部に来て毎日が楽しくなったというんです。これは神様がやめるなと言っているのではないか、もうちょっとがんばってみよう」と続ける宣言に考えを改めた。
アートがなくても生きてはいけるが、アートによって救われる人も確実にいる。そういう人を1人でも増やすために活動をする。「好き」で始める取り組みは大きなエネルギーになる。夫を亡くしたときにアートが癒やしてくれたように、今度は元気になった石鍋さんが弱っている人、元気を失いかけている人にアートの魅力を伝える番なのだ。

次のムーブメントは、岩手・大船渡を「囲碁の町」に

石鍋さんはアートを中心とした〝場〟を創りだしてきた。いま大震災からの復興を兼ねて、岩手・大船渡を囲碁で町おこしをしようという活動にも取り組んでいる。
「大船渡に碁石海岸という海岸があるので、囲碁を使った町おこしができないかと提案したら、棋士の方や町の人たちが協力してくれて」近くの神社に石の碁盤を奉納、通称「囲碁神社」を誕生させることに成功。囲碁列車を走らせたり、囲碁が好きな外国人を呼ぼうと様々なイベントも計画している。単なる傍観者ではなく、郷里の復興に具体的に参画したいという思いがボランティア活動に駆り立てる。
「むちゃくちゃ忙しくなりました。比率的には、囲碁と現代アートの活動が半々です」
将棋の町として知られる天童市のように、大船渡を囲碁の町としてアピールしていきたいと、大船渡と囲碁の話を始めると止まらない。次から次にやりたいことや計画しているイベントの話が出てくる。行政を動かし、場を作り、人を呼び込む活動に情熱を燃やす。やはりコレクターというより変革の波を起こす運動家なのだろう。

ワンピース倶楽部
現代アートマーケット拡大のため、楽しみながら、最低一年に一作品(ワンピース)を購入することを決意した美術愛好家の集まり。名古屋、関西、金沢、北海道、四国、九州に支部がある。「覚悟金」と呼ばれる年会費1万円。会のルールは次の通り。
(1) 会員は、一年の間に最低一枚、現存するプロの作家の作品を購入する。
(2) 会員は、自分のお気に入りの作品を見つけるために、ギャラリー巡りや美術館巡りなど、審美眼を高めるための努力を惜しまない。
(3) 各年度の終了したところで開催される展覧会で、各自の購入作品を発表する。

取材・執筆:大宮知信/ノンフィクションライター
1948年茨城県生まれ。中学卒業後、東京下町のネジ販売会社に集団就職。その後、調理師見習い、ギター流し、地方紙・業界紙・週刊誌記者など20数回の転職を繰り返し、現在に至る。政治、教育、移民、芸術、社会問題など幅広い分野で取材・執筆活動を続ける。海外へ渡った日系移民に強い関心を持つとともに、スペインをこよなく愛し、趣味はフラメンコギター。
著書は『さよなら、東大』(文藝春秋)、『世紀末ニッポンの官僚たち』(三一書房)、『デカセーギ 逆流する日系ブラジル人』(草思社)、『お騒がせ贋作事件簿』(草思社)、『スキャンダル戦後美術史』(平凡社新書)、『「金の卵」転職流浪記』(ポプラ社)、『お父さん! これが定年後の落とし穴』(講談社)、『平山郁夫の真実』(新講社)、『死ぬのにいくらかかるか!』(祥伝社)、『人生一度きり!50歳からの転身力』(電波社)など多数。

撮影:岩瀬貴之/フォトグラファー

取材・編集:石原智/(一社)次世代価値コンソーシアム

2018年10月掲載

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