勝負が人を育てるーーテニス指導者 加藤季温

テニス指導者、(株)KION代表取締役、
元全日本ミックスダブルスチャンピオン
加藤季温さん

「行列のできるテニスコーチ」加藤季温――加藤さんに習いたい受講者達が千葉県市川市のテニスコートに集まる。
プロ選手として活躍し、ミックスダブルスで全日本テニス選手権大会を制するなど、数々の実績を残してきた。

世界でも戦ってきたが、30歳を境にすっぱりと現役を引退。スポーツを通じた人の成長を支援したいと会社を立ち上げた。スクールの運営や、まったくの初心者も対象としたテニスキャンプの実施など、テニスという軸を中心にさまざまな活動を行っている。どのような思いを持って、テニスに携わり続けているのだろうか――。

プロフィール
加藤 季温(かとう としはる)
1979年8月12日生まれ、兵庫県出身。福岡県・柳川高校でインターハイ優勝、近畿大学ではインカレで3連覇を果たす。
卒業後は実業団で日本リーグなどで活躍し、2007年には全日本選手権ミックスダブルスで優勝し日本一に輝いた。
その後現役プロプレーヤーを続けながら、2009年にスポーツをマネージメントをする株式会社KION(キオン)を設立。 テニスに加え、運動指導やエクササイズといったスポーツに携わる内容の仕事を始める。現在はテニス指導のみならず、様々なスポーツを指導する傍ら、スポーツクラブのコンサルティング、テニスコーチ・トレーナーの人材派遣、スポーツイベントの企画運営など多角的なビジネス展開を行っている。

テニスを通じて得たものを社会に還元したい

――プロを引退してスポーツ事業をスタートした頃の話を教えてください。

「子どもの頃からテニスを始め、プロになり世界で挑戦をしていたのですが、30歳を機にスポーツの経験を活かして社会や人々の役に立てないかと考え決断しました。現役を続けることもできたのですが、新しいチャレンジということを考えました。プロ選手も社会人ですが、ビジネスはもちろん一般的な社会経験はありませんでした。1年でも早くセカンドキャリアを始めた方が、次のステップに繋がる。

では、自分にできることは何か。どこかのスクールに入ってコーチになるという道もあったのですが、自分で何か挑戦したかったので会社を立ち上げました。
自分がテニスを通じて得たことを活かしたいという思いがありました。私がテニスから得たものは数え切れないほどあります。世界各地に住む友人たち。そして諦めない気持ちなど。テニスに限らず、スポーツをすることの喜びを多くの人に伝えたいと考えました。

同時に、スポーツ選手のもつ課題解決に挑戦したかった。プロの選手は、自分で遠征費を稼がなければいけません。今はなかなか大きな契約金は出ない。そこでレッスンコーチとして働くとすれば、非常に多くの時間を費やさなければならなくなります。遠征で1週間不在にすることもあります。1対1のプライベートレッスンもありますが、その仕事を獲得するための営業ができる人とできない人がいるのです。

一方で、自分に合ったコーチからテニスを教わりたいという方がいます。でも、プロに教われるはずはないと考えている。そこで、マッチングビジネスを始めました。当社には元プロも含めて20人ほどのコーチがいて、サイトでマッチングを行っています。これができたのも、現役時代の人間関係のおかげです。テニスをやっていたことでポンと浮かんだ、まったくオリジナルのアイデアでした」

子どもたちに「生き抜く力」をつけてほしい

プロコーチと受講者のかけ橋となる以外にも、ジュニア向けの宿泊型のテニスキャンプなどを始めていったという加藤さん。
当時は、プロを目指すような競技志向の高い子どもたちだけを対象としていたというが、その後は未経験者らにも間口を広げていった。「子どもたちを引き上げていきたい」との思いがあったからだという。

――指導をするにあたってのベースとなる考え方は、どのようなものですか。

「人を育てる、ということをしたいんです。ただスポーツが上手になるというだけではなく、生き抜く力をつける、ということを最初からテーマに据えています。例えば、スポーツをやっていたから友だちがたくさん増えた、忍耐力がついた、あるいは頑張る力がついた、努力の仕方が分かったといった変化です。

何かを成し遂げた時の喜びは、何万回と練習してきた結果であり、何物にも代えがたいものです。スポーツができて、勝つことができたら、自分がやってきたことは間違いではなかったと自信がつきます。

私が教えている男の子で、小学5年生の頃、練習試合で負けても泣く子がいました。あれから2年経った今では、負けそうになっても『ここから挽回だ』って言えるようになりました。身についたのは、そういう人間力、僕なりの言い方にすると『生き抜く力』。世間では自立というかもしれません。テニスという手段で人を教育するんだ、という気持ちでやり続けています」

――それはご自分のスクールを立ち上げたからこそできることでしたか。

「スクールの運営は事業ではありますが、それだけではない。僕にとってもっと大事なことは何なのかと考えると、テニスを通じて人を育てること。やりがいのある仕事を選んだと言えます

子ども達に教えながら学ぶこと

教えることが、コーチの仕事ではある。だが、コーチングをする中で指導者が学ぶこと、気づくことも多いという。特に子ども達からは教えられることが多いという。
自らが子どもの頃に受けたアメリカ人コーチの指導が、今も加藤さんの心に基本として残っている。

――子どもへのコーチングで一番工夫している点はどんなところですか。

「一方通行の指導にはならないように気をつけています。昔の日本のスポーツ指導というのは、上から目線でガンガン話をして、選手は何も言えないような状況でした。
僕は、たまたまジュニア時代からアメリカ人に教えてもらっていました。ジョン・マッケンローを指導していた世界的に有名なコーチでした。

そのコーチは僕がミスすると毎回、『どうしてミスをしたの?』と聞くんです。分からないと答えると、『じゃあ教えよう。こうなったから、ミスしたんだよ』という形で続けていく。まずコーチに尋ねられて、自分で考える。答えが出なかったら教えてもらう。そのプロセスを繰り返していくことで、着実にできるようになっていきます。

このやり方は、時間がかかります。コーチから言われるだけだと進むのは早いけれども、忘れてしまいます。自分で考えて見つけた答えは、忘れません。僕が“教わって良かった“と感じたことを、今も実践しています」

――指導をしていく中で、「気づき」など、ご自身も変化することはありますか。

「毎日あります。いつの時代も子どもたちは、歴史の最先端にいます。今は、子どもの頃から普通にスマホを持っている時代なんです。それが良いか悪いかではなく、現実を受け止めつつ、彼らに練習させなければいけません。

例えば、現代では塾に行く子がすごく増えました。小学校受験も増えました。親御さんはできるだけ良い教育を受けさせたいと思う。その分、選択肢が増えています。その教育環境にテニスが入る時には、バランスを考えないといけません。

僕らの頃は、テニスを週7日練習することは当たり前でしたが、今の子どもたちは忙しいんです。他の習い事も、塾もある。テニスをプレーしているすべての子どもがプロを目指していて、ほとんどが挫折する中で全国から年間1人のプロを育てる、という時代ではなくなっています。それぞれの道があって、違う考え方をする子どもがたくさんいる時代になってきました」

――そうした時代への適応は、子どもの育成にポジティブに働きますか。

「昔の育成の仕方なら、テニスをするならテニスしかプレーしませんでした。僕も中学2年生でスキーを辞めるなど、いろいろなスポーツを辞めてテニスに専念しました。
僕は水泳が得意でした。スイミングをしていたことで非常に体の柔軟性が高まったと思います。プロテニスプレーヤーとして良かったと思います。

一つのスポーツに限定する前に、いろいろなスポーツに触れるのは良いことです。いろいろ試して、本当にやりたければ一つの競技を突き詰めていけばいい。サッカーをしていれば足も速くなるだろうし、野球をやれば戦略的な思考が頭に入ってくる。そうしてバランスの取れた頭と体になっていく。それを活かすのがテニスということでいいんです。

スポーツは体力だけではなく、相手の裏をかいたりしないと勝てませんよね。テニスも同じです。周囲や状況がよく見えてないといけません。いろいろなスポーツをやっていると、視野が広がります。狭いコートであっても、広く、いろいろな見方をしないといけません。そのために、いろいろな角度から刺激を与えるのは良いことだと思います」

モチベーションの低い子にこそ勝負に挑ませろ

環境と同様に、子どもたちも多様化している。しかし、子どもが学ぶべき普遍的なものがある。それを引き出す作業を、加藤さんは辛抱強く続ける。
たとえば、何かに臨むときのモチベーションもその一つ。やる気を高める方法は生活の中にたくさん潜んでいるし、また子どもの自立を促すためには大人の忍耐力も必要とされる。

――子どもたちのレベルや方向性が違うと、教えるのも大変なのではないでしょうか。

「モチベーションというのも、その『方向性』の一つだと思います。モチベーションが低い子は、自分で気づいていないことが多いんです。本当は頑張りたいし、熱くなりたい。そのためにまず大事になるのが、楽しいという気持ちです。試合に勝つ楽しさを、自分で感じることですね。負けた悔しさも、モチベーションの一つになります。

最近は、勝負事が少ない世の中になりました。小学校の運動会でも、順番を付けないというようなことがあるようですね。本来、人間は勝負事が大好きなのに、今は平等という言葉を使って、全員が勝ったということにしたりする。場合によってはそういうことも必要かもしれません。しかし、白黒はっきりした方が楽しいし、盛り上がります。それに、勝ちたいから本気で頑張るんです。全員勝つのなら、頑張る必要などありませんし、向上心がなくなります。ワクワクしなくなるんです。

モチベーションの低い子にこそ、試合をさせてあげるべきです。接戦を経験させて、うまくその子を引き上げていく。そういう、最近よく言うファシリテーション能力が、すごく必要とされてきます。ティーチングやコーチングは、ファシリテーションの一部です。その集まりを面白くしてまとめあげ、皆で楽しく、皆で持ち上げていくと、全員が向上していくんです。そこでさらに競争して、より向上していけばいいと僕は思っています」

指導や教育とは、大人が我慢すること

――子ども達が泊りがけでスポーツを学ぶキャンププログラムでは、スポーツをしない時間も多いようですが、そこにも狙いがあるのでしょうか。

「親元を離れてキャンプに来るだけでも、子どもには勇気がいることです。そういう誰もがドキドキしている状況で、最初にルールを決めます。集合時間の5分前に必ず集まる、ごはんは自分で用意する、洗濯は自分でする、といった生活のルールです。
家ではいつも、洗濯された衣服がきちんと畳まれて出てきます。それを自分でやることで、一人でもいいから親への感謝の気持ちを持ってくれればいいなと思っています。感謝の気持ちはモチベーションにつながります。

ごはんを自分で運んでいて、味噌汁をこぼすこともあるかもしれない。でも、それも経験なので怒りません。怒りたくなったとしても我慢する(笑)。子ども達に気づきが得られるように声をかける、というのが僕の指導法です」

――ぐっとこらえるのは、親にとっても重要なポイントですね。

「教える指導は簡単です。怒るという行為は教えることの一種なので、子どもにとっての気づきではありません。怒られるからやる、というのは外的要因によるもの。自ら考える内的要因で行動しなければいけません。気づかせる指導には、忍耐力が必要です。元プロテニス選手の松岡修造さんは、いつも『子どもは失敗すればいい。子どもなんだから』とおっしゃいます。その通りだと思います。子どもがいきなり成功したら怖いですから(笑)。

でも親は、子どもが失敗しないようにレールを敷くのが好きなんです。僕は親御さんに、早く子どもさん一人で試合に行かせるようにしてくださいと言います。最初は水筒を電車に忘れたりもします。でも、着替えから何から親に用意してもらっていたら、海外遠征なんてできません。忘れ物を一つしないようになったら、それが自立への第一歩です」

コーチとしてだけでなくスポーツ振興事業を行う経営者の顔も持つ加藤さん。テニス指導、会議、移動と多忙な毎日。

理想を追い求めろ

自らスポーツを通じて得難い経験をして、引退後にも充実感あふれる生活をしている。だが、加藤さんにはさらに追い求める夢があり、子どもたちに伝えたいことがある。
子どもたちの可能性を、どこまでも広げるために――。加藤さんは決して理想を下げることなくチャレンジを続けていく。

――今後やっていきたいことは、何ですか。

「僕はテニスを通じて、スポーツ界の多くの人たちと知り会うことができました。そうした人たちの協力も得て、日ごろの習い事のようにいろいろなスポーツを経験できる場を広げたいと考えています。特に、スポーツをする場所が限定されている都心部でできればいいなと思っています。私の会社であるKIONというブランドを、テニス界ではある程度知っていただけるようになったかもしれません。
今後は、他のスポーツ界やその他の方々も含めて、いろいろな人を巻き込んでいけたらと考えています」

――スポーツ選手の引退後、セカンドキャリアをどうするかということが問題になっています。加藤さんはどういう思いで、プロ引退後のキャリアを考えましたか。

「一つたどり着いた答えは、理想を下げないこと。
世界で戦うプロになりたいと言っていた小学生が、中学生になると関東ジュニアに出たいと言い出すことがあります。夢がいきなり、世界一から関東大会に変わってしまうんです。

現実を知って、そう言うのかもしれません。でも、理想は変えない方がいい。なぜなら、思いが現実になっていくからです。これくらいしかできないだろうと思って、その程度の挑戦しかしなくなる。自分に返ってくるものは挑戦した分だけですから、その程度では絶対にそこで止まってしまうんです。

僕はプロになって日本一になって、本当は世界に行きたかった。でも、心のどこかで日本一になることが一番の目標になり、グランドスラムに出るというのはそれより順位が下の目標になっていました。だから、叶わなかったんです。
どうして日本一を目標にしたかは分かりません。日本一になりたいと思って、ジュニアの世界でも、プロの世界でも日本一になりました。世界にも挑戦もしましたが、グランドスラム優勝のためではなく、日本チャンピオンになるための武者修行という面が僕の中にはありました。つまり、世界で戦うことが通過点になっていたんです。

理想を一度掲げたら、下げないこと。例えばスクールを立ち上げたいのにどうすればいいか分からなくても、理想は変えない方がいい。理想は小さくしようと思えば、どれだけでも小さくなってしまいます。
冒険して危険な道に進めということではありません。優勝という目標があったのなら、ベスト8に進んだことに満足してはいけません。自分のゴールを見つけたら、わき目もふらずに一直線に上に向かうということが必要だと思います」

テニスの魅力=難しさ

――テニスの一番の魅力は何でしょうか。

「難しい、ということですね、難しいからこそ、勝った時の喜びはすさまじいものがあります。試合は長いと3、4時間に及ぶことがあります。4時間フラフラになりながら戦って負けた時には、本当にもう勘弁してくれという気分になります(笑)。スポーツは、すべて難しいものです。テニスも難しく、そして奥深いんです」

――ご自身が一番大切にしている価値観は何ですか。

「常にチャレンジャーであれ、ということです。いつもチャレンジすること。チャレンジ精神があれば、何とかなりますから。目標というのは上にあるもので、そこにチャレンジするのが、人生で一番面白いことです。成功した後というのは、実は楽しくないものかもしれませんね(笑)」

自ら創業した企業KIONの理念は「スポーツを通じて人の健康と成長を応援する」

プロフィール
加藤 季温(かとう としはる)
1979年8月12日生まれ、兵庫県出身。福岡県・柳川高校でインターハイ優勝、近畿大学ではインカレで3連覇を果たす。
卒業後は実業団で日本リーグなどで活躍し、2007年には全日本選手権ミックスダブルスで優勝し日本一に輝いた。
その後現役プロプレーヤーを続けながら、2009年にスポーツをマネージメントをする株式会社KION(キオン)を設立。 テニスに加え、運動指導やエクササイズといったスポーツに携わる内容の仕事を始める。現在はテニス指導のみならず、様々なスポーツを指導する傍ら、スポーツクラブのコンサルティング、テニスコーチ・トレーナーの人材派遣、スポーツイベントの企画運営など多角的なビジネス展開を行っている。

執筆:杉山孝(すぎやま・たかし)1975年生まれ。
新聞社で少年サッカーから高校ラグビー、決勝含む日韓W杯、中村俊輔の国外挑戦までと、サッカーをメインにスポーツを取材。雑誌社を経て09年に独立。同時にGoal.com日本版編集長を約3年務めた。現在はライター・編集者・翻訳家としてスポーツを中心に活動。

撮影:樋宮純一

取材・構成:石原智

取材サポート:王麗華

掲載:2018年3月

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