森隆弘 Mori,TAKAHIRO
1980年3月2日、大分県で生まれる。日本大学豊山高校を経て、日本大学文理学部体育学科入学。
1998年400m個人メドレー・2002年200m個人メドレーアジア大会優勝。
2004年日本選手権200m個人メドレーで準優勝。同年、24歳のときにアテネオリンピックに出場し、アジア人として初めて6位入賞を果たした。
その後一旦現役を退き、母校日大豊山高校で指導者として活躍していたが、2006年に現役復帰を決意。
2007年の日本選手権200m個人メドレーで準優勝、400m個人メドレーで6位。同年の世界競泳では200m個人メドレーで6位、400m個人メドレーで3位に輝いた。2008年、北京オリンピック出場を賭けた日本選手権では400m個人メドレーで優勝したものの、派遣標準記録にわずかに及ばず、北京五輪出場はならなかった。その後現役を引退し、現在はコーチとして後進の指導や、マスターズ水泳選手のパーソナルトレーナーとしても活躍中。また、「森隆弘塾」と冠した独自の水泳指導を動画配信するほか、女性向けエステティックサロン「Beauty Salon Noan」のオーナーとしての顔を持つなど、起業家としての手腕に注目が集まっている。
様々なスポーツに親しんだ子供時代
しなやかで、凛とした佇まいの人である。取材場所となった喫茶店に、森隆弘さんが現れると、黄昏時のぼんやりした空気が一転し、ビビッドな時間が流れ始めた。
「森隆弘です。よろしくお願いします」
名刺交換のあと、競泳元オリンピック代表選手は、さっと居住まいを正して着席し、滑らかな動きでコーヒーカップに口を運ぶ。こちらも思わず背筋がしゃんと伸びる。2004年アテネオリンピックの200m個人メドレーで6位に入賞。世界選手権や日本選手権など、多くの大会に出場し、輝かしい成績を残してきた森隆弘さんは、現在38歳。いま、彼は何を手に入れ、どんな未来を描いているのか。
「水泳を始めたのは、生後4か月の赤ちゃんのころです。うちの父と母は、二人とも泳げなかったので、わが子には泳げるようになってほしいと願い、ぼくを地元のプールのベビースイミングクラスに通わせました。だから、物心ついたときには、すでに泳いでいましたね」
大分県で生まれ育った森さんは、幼いころから水に親しみ、水泳は生活の一部だった。プール教室の進級テストを異例の速さでパスするほど、その技術や速さは群を抜き、全国JOCジュニアオリンピックに出場し、5度の優勝を経験している。
そんな経歴を伺い、「きっと幼少期から水泳一筋の英才教育を受けていたに違いない」と推測したが、森さんはあっさり打ち消した。
「いいえ、水泳だけでなく、小学生時代は地元のソフトボールチームやサッカーチームに所属して、いろいろなスポーツに夢中になっていましたね」
スター選手の活躍を見て、オリンピックを目指す
森さんが中学1年生だった1992年、バルセロナオリンピックで当時中学2年生の岩崎恭子選手が200m平泳ぎで金メダルを獲得する快挙を成し遂げた。また、森さんと同種目の個人メドレーには、現在は俳優として活躍中の藤本隆宏選手が出場し、400m個人メドレーで日本人初のファイナリストとなり、注目が集まった。
「テレビにくぎ付けでしたね。絶対に自分もオリンピックの舞台に立ちたいと、本気で考えるようになりました」
当時、森少年にとって、オリンピックは憧れの対象でしかなかった。けれども海外の強豪選手と互角に渡り合う日本人選手の姿を目の当たりにし、心のエンジンに火がついた。中学卒業後は地元を離れ、日本大学豊山高校に入学。こうして、夢の舞台を目指し、過酷な練習に取り組む日々がスタートした。
森さんが高校2年生になった1996年、藤本選手が現役引退を発表した。「藤本さんの現役最後のレースで、ぼくは隣を泳がせてもらったんです」と、森さんは当時を振り返り、声を弾ませる。
「レース後、藤本さんはぼくに、『頑張れ。応援しているよ』と声をかけてくれたんです。それがとても嬉しくて」
その言葉に応えるように、翌シーズンから、森さんは個人メドレーの日本代表に選出され、日本選手権やアジア大会で優勝を果たした。また、日本高等学校選手権では400m個人メドレー3連覇を達成している。こうして、オリンピック出場の夢に、着実に近づいていった。
高校を卒業後、日本大学文理学部体育学科に入学した森さんは、アジア大会やユニバーシアード、パンパシフィック選手権といった国際大会に出場し、数々の栄光を積み上げていく。
「もちろん、目指すは2000年シドニーオリンピック出場。周りからも、おまえなら絶対に行けると言われていたし、ぼくも自信がありました」
けれども夢は叶わず、代表選考会でまさかの落選。森さんにとって、初めてぶち当たった挫折だった。
「心にぽっかりと大きな穴が開いたような気持ちでしたね。悔しくて悔しくて……。そこで、自分とじっくり向き合い、これからどうするかを自問自答しました。オリンピック出場の夢を叶えるために大分から東京に出てきたのに、ここで負け犬になっていいのか。ここで終わったら人生を後悔するんじゃないか。年齢的に厳しいとか、ケガをしているという理由なら仕方がないが、自分はまだまだできるはずだ。4年後に向けて、もう一度チャレンジしてみよう、と」
アテネ五輪で、アジア人初の入賞
このときの挫折があったからこそ、「以前より揺るぎない、強い気持ちをもつことができた。だからつらい練習も頑張れた」と森さんは言う。
2002年の大学卒業後はミキハウスに入社。パンパシフィック横浜大会の200m個人メドレーでアジア新記録を樹立するなど、多くの大会で記録を塗り替え、ついに念願のオリンピックへの切符をつかみ取った。2004年のアテネオリンピックに出場し、男子200m個人メドレーでアジア人初となる6位入賞を成し遂げたのである。
翌2005年、森さんはミキハウスを退社し、母校である日本大学豊山高等学校の非常勤講師に就任するも、翌年には競技への熱意が再燃し、現役復帰を宣言。2008年の北京オリンピック代表選考会で優勝したものの、代表選考基準タイムがわずか0.48秒届かず、惜しくも落選。同年、日本水泳連盟に引退届を提出し、選手生活に別れを告げた。
オリンピック出場という最高峰まで昇りつめたアスリートが、その後のセカンドステージをどう選択し、歩んでいるのか。森さんのリアルな「今」を知りたくて、今回のインタビューをお願いした。「引退後、どんな人生を歩んでいますか?」という問いに、森さんはコーヒーをひと口飲み、軽やかに言った。
「選手生活は終わったけれど、いろいろなことにチャレンジする日々は変わりません。水泳の指導者として、子どもからお年寄りまでのレッスンコーチや選手のパーソナルトレーナーを務めるほか、講演活動やイベント開催、独自メソッドによる水泳指導の動画配信も手がけています。また、『Beauty Salon Noan』という女性向けのビューティーサロンを立ち上げ、経営者としての仕事もしています」
支えてくれた人へ、社会への恩返し
水泳というスポーツは、たった一人で孤独に闘っているように見えるが、じつはその反対だ、と森さんは言う。
「多くの人たちに支えられ、応援してもらったから、ぼくは選手として頑張ることができたし、オリンピックにも出場できました。だから、これからは恩返しとして、選手時代に身につけたことを多くの人に伝えていきたい。その思いが、さまざまなチャレンジやビジネスの土台になっています」
悔しかったこと、つらかったこと、嬉しかったこと。水泳人生を通して、さまざまな経験を蓄積してきた森さんだからできること。それを追求した水泳指導は、「きれいなフォームで泳げるようになった」「タイムが速くなった」「全国大会に出場できた」と、高い評価を得ている。
森さんが指導中に心がけているのは、一人一人が自己表現をすること。たとえばレッスンの終わりに、「今日、何を学んだのか、自分の言葉できちんと表現するのがルールです。それができなければ、もう一回練習をやり直します」
レッスン中、コーチに言われて何となく泳ぐだけでは、どうしても受け身になり、きちんと理解しないままになってしまう。自分の言葉で語ることによって、今日のレッスンが何のために必要なのか、自分に何が足りないのかを知り、理解がぐっと深まる。結果として、水泳の上達が早くなるのだ。
「今の教育現場では、子どもたちに冒険をさせたがらないですよね。何かが起きる前に大人が正解を教えたり、先回りして安全なレールを敷いてあげたり。ここにぼくは、大きな疑問をもっています。何かを乗り越えたり、歯を食いしばって頑張った経験をしていないと、社会に出たときに、自分では何もできない大人になってしまいます」
では、何かにぶち当たったとき、どうすれば乗り越える力やモチベーションを導き出せるのか。そのヒントが、森さんが水泳指導で実践している「自己表現」にあるという。
「たとえば、『タイムが速くなるには、どうしたらいいと思う?』という問いに対し、正解は一人一人、違っていいんです。自分と向き合い、自分はこうしたらいいと自ら表現できることが、自信ややる気につながり、心を強くします」
森さん自身もそうやって心身を磨き、強くなったのだ。オリンピックの代表に落選したとき、現実から目をそらさず、自分ととことん向き合い、これからどうするべきかを考え、「4年後に再挑戦する」と答えを出した。
「きちんと自己表現ができるようになれば、どんなときも目標を見失わず、壁を乗り越えていくことができるはずです。これは、ぼくが子どものころから心がけている、次世代にも伝えていきたい価値観です」
新たな場での挑戦
水泳の指導者として、起業家として、現在さまざまな顔をもつ森さんは、スポーツ選手のセカンドキャリアについて、どんな思いを抱いているのだろう。水泳選手に限らず、スポーツ選手のセカンドキャリアの厳しさについては、当サイト(NVC REPORT)でも多くのアスリートが論じてきた。なぜなら、スポーツの世界で一生食べていける人は、ほんの一握りしかいないのが現実だから。
「学生をはじめ、選手を引退した方たちに、ぼくはいつもこんな話をします。セカンドキャリアを成功させるには、自分のできることをきちんと見極めることが大切だ、と。『スポーツ経験を活かし、選手を育てる仕事がしたい』と安易に考える人が多いのですが、それは、かなりの狭き門です。なぜなら、『将来有望な選手を育てるトレーナー』の領域には、すでに元オリンピック選手や著名なトレーナーがいて、同じ土俵で勝負しようとしても勝ち目はないからです。もっと視野を広くして、自分だからできることを究めてほしい。たとえば、ご年配の方の健康維持に注目し、水中ウォーキングの効果的なプログラムを考案・指導するとか、まったく泳げない人が水を怖がらずに泳げるような入門レッスンをするとか。ぼく自身でいえば、トレーナーとして選手のタイムを速くする技術はありますが、水中ウォーキングとか泳げない人向けの水泳レッスンはできません。人には必ず、自分にしかできないことがあるはずです。また、一つのことに固執せず、時代の流れやニーズに合わせて、『もっと自分にできることはないか』『こうしたら喜ばれるんじゃないか』と、つねにアンテナを張ることも必要です。ぼくもそうやって日々いろいろなアイデアを考えていますよ」
自ら異業種交流会を開催したり、同年代の起業家と話をしたりするうちに、スポーツが持っているさまざまな可能性に気がついた、と森さんは語る。
「自分のように選手としてスポーツに取り組むだけでなく、健康や美容のためにスポーツをしたり、コミュニケーションや癒しをスポーツに求めたり、スポーツがいかに人の生活に大きな影響をもたらしているかを実感しました」
そこで森さんは、水泳で培ったノウハウや経験を活かして「美しい体づくり」を提案する場を作りたい、と考えた。こうして立ち上げたのが、エステティックやアイラッシュを提供する、「Beauty Salon Noan」である。
「ビジネスを手がける楽しさは、天井がなく、やりたいことがやりたいようにできること。仲間であるスタッフたちと協力して、売上げなどの目標を定め、そこに向かって全員でチャレンジし、達成していく。この喜びは何にも代えがたいですね。水泳と通じるものがあると思います」
信頼できるスタッフたちとともに、一つ一つ手探りで歩んできたサロンは、今年で創業7年目。お客様一人一人の気持ちやニーズに寄り添った、ていねいな対応と確かな技術力が評判を呼び、経営は順調だという。「今後、店舗を増やす予定はありますか?」とたずねると、森さんは「うーん、どうかなあ」とそっけない。
「ビジネスにおけるぼくの第一目標は、店舗の拡大ではありません。まずはビジネスの基盤をきちんと作りあげること。お客さんに満足度の高いサービスを提供したり、スタッフたちが毎日、楽しく仕事ができたり、一人一人のスキル向上や新人スタッフを育てたり、というシンプルな目標を徹底的に追及したい。この部分が確立できなければ、いくら店舗を増やしても誰も幸せにはなれないし、意味がないと思っています」
歯切れのよい爽やかな語り口のなかに感じられる芯の強さは、自ら探求し、選択した道を歩んでいるからに違いない。
「これからも、水泳や体づくりを通して、多くの人やチャンスと出会い、自分にしかできないことを実現していきます」
森さんの心のうちには、すでに次なる挑戦が宿っていることを確信した。
information
2019年3月25から27日に、子どもとおでかけ情報サイト「いこーよ」を運営するアクトインディによる「第3回『やってみたい』を実現! 10種から選べるスポーツ合宿in山中湖」が開催される。小学1年生から6年生までの80人が参加し、陸上、サッカー、テニス、卓球、水泳、野球、バレーボール、バドミントン、バスケットボール、ダンスの10種の中から4種を選択し、それぞれ一流のコーチの指導を受けながら、スポーツ体験ができる。森さんは、2018年の第2回合宿に引き続き、今回も水泳コーチとして子どもたちを指導する。
森さんは、このスポーツ合宿について次のように話してくれた。
「前回の合宿で印象的だったのは、子どもたちみんなが、目を見張るような速さで成長していく姿です。初日は自信がなくて泣いていた子が、ほかの子が泳いでいる姿に感化され、翌日は積極的に練習するようすが見られたり、自ら飛び込みにトライしていたりします。一人でなく、みんなで学べる場には大きな意義があります。自分だけの常識や先入観で行動するのでなく、ほかの人の視点でチャレンジできるので、自分でも気づいていなかった可能性がどんどん引き出されるんですよ。水泳に興味がある子や自分の力をもっと伸ばしたい子は、ぜひ参加してください。多くの子どもたちに会えるのを楽しみにしています」
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取材・執筆:小川こころ/文筆家・童話作家
福岡県生まれ。大学卒業後、楽器メーカーを経て新聞記者に。多くの絵本や作家との出会いをきっかけに、日本や海外、古今東西の絵本研究に力を入れる。2011年に独立し、取材・執筆を手がける個人事務所を設立。同時に、「ゼロから始める文章講座」や「コラムの書き方入門講座」など、執筆や表現に関するワークショップ【東京青猫ワークス】を立ち上げる。ブログ「ことばのチカラはこころのチカラ!」を運営。企画・執筆・編集などを手がけた書籍は、『キャリア教育に生きる! 仕事ファイル』(小峰書店)、『大人の美しい一筆箋活用術』『ココロが育つよみきかせ絵本 イソップものがたり70選』『ココロが育つよみきかせ絵本 世界のどうわ』『日本の神様のお話(上)(下)』(すべて東京書店)ほか
撮影:樋宮純一/フォトグラファー
長野県生まれ。第一企画 写真部などを経て独立。人物から建築、料理、商品まで幅広く撮影を手がける。
取材・編集/石原智(次世代価値コンソーシアム)
2019年1月29日掲載