あきらめず、夢を追い続ける Part 3 植松電機の価値創造~「想像力と発想力」で未来を拓く

本業でシェア9割という堅実な経営を続け、そこで得た利益を宇宙への夢の実現に振り向けて小型ロケットや人工衛星まで打ち上げる植松電機。第2回では植松社長の講演の概要を紹介した。第3回(最終回)は、植松電機の事業について植松社長に話を伺った。

Part 3 植松電機の価値創造~「想像力と発想力」で未来を拓く

植松電機は、自由な手と柔軟で豊かな頭脳によって、さまざまな事業を切り開いてきた。何ごとにも興味を持ち『なぜだろう?』『どうしてだろう?』と深く考え、より良くするアイデアを生み出すことが、本業のマグネット事業を支え、ひいては宇宙航空関連の研究開発という大きな夢の実現を支えている。

また同社は、2010年4月より「より良くを求める社会」の実現に向け、赤平市で『住宅に関するコスト1/10、食に関するコストを1/2、教育に関するコスト0』の実験となる『ARCプロジェクト』を開始した。いずれも現実の課題に直面し、他社との価格競争を避けるとともに誰もいない『困難な道』に向かって進める事業だ。

本レポートの最後に、植松電機の事業についてみていこう。

無重力落下装置が、世界の人を呼んでくる

Photo by Yasushi ITo

植松電機の敷地には、大きなタワーが立っている。これは宇宙と同じ無重力状態を地上で作り出すことができる実験装置で、ドイツの大学、アメリカのNASA、そして日本の植松電機と、世界に3カ所しかない。しかも、一回の実験費用の相場が90万円のところ、植松電機では3万円で請け負っている。

実験の費用が安ければ、研究者は何度か実験することになり『奇跡』が起こる確率が高くなる。それで最先端の研究を進めている研究者が、交通費を払って北海道までやってくる。
「宇宙研究開発機構(JAXA)が毎月、実験に来る。かつて憧れていた宇宙飛行士の毛利さんや森田泰弘先生、はやぶさを作った川口淳一郎先生と一緒に研究ができる。それはもう、夢のようです」(植松社長)

塔を内部から見上げた Photo by Yasushi ITo

森田泰弘
JAXA宇宙科学研究所 宇宙航行システム研究系 教授。工学博士
東京大学工学部航空学科卒業。同大学院工学系研究科博士課程(航空学専攻)修了。カナダ・ブリテッシュ・コロンビア大学機械工学科客員研究員を経て、1990年にシステム研究系助手として旧文部省宇宙科学研究所(現JAXA)に着任。同年、M–Vロケットの開発が始まる。M–Vロケットのシステム解析や姿勢制御系の研究開発をするほか、火星探査機などの展開構造物や、小型月探査モジュールの姿勢制御の解析にも携わる。2003年、M–Vロケットのプロジェクト・マネージャー。2007年、固体ロケット研究チームリーダ、2010年にイプシロンロケットのプロジェクト・マネージャーに任命され、現在に至る。専門分野はロケットの姿勢制御、柔軟宇宙構造物の制御など。(JAXAホームページより転載)

川口淳一郎
宇宙航空研究開発機構(JAXA)シニアフェロー。宇宙科学研究所(ISAS)宇宙飛翔工学研究系教授。
1955 年青森県生まれ。宇宙工学者、工学博士。1978年京都大学工学部卒業後、東京大学大学院工学系研究科航空学専攻博士課程修了、旧文部省宇宙科学研究所に助手として着任、2000年教授に就任。現在、国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究所(ISAS/JAXA)宇宙飛翔工学研究系教授。2011年8月より、シニアフェローを務める。ハレー彗星探査機「さきがけ」、工学実験衛星「ひてん」、火星探査機「のぞみ」などのミッションに携わり1996年から2011年9月まで小惑星探査機「はやぶさ」プロジェクト・マネージャーを務めた。(公益財団法人上廣倫理財団資料より抜粋)

下町ロケットのモデルになる

Photo by Yasushi ITo

植松電機は、人気TVドラマ『下町ロケット』のモデルになった工場として知られている。植松社長に、その話をふると
「あれは感動的なお話ですが、当社がモデルというわけではないと思います」
との返事。植松社長は、原作者の取材を受けたことはないという。
「下町ロケットのストーリーは、植松電機でいえば主力製品の『マグネット』を開発しているときの話。その時代に失敗をたくさんしたから、ロケットを作ろうとしたとき、たくさんの知恵が残っていました」

そもそも『下町ロケット』は、宇宙ロケットのエンジンの心臓部に使う『バルブ』を提供する話だが、そもそも植松電機のロケットは固形燃料なので、バルブは使わないという。
「ただ下町ロケットの続編では医療分野にチャレンジするでしょ。うちも医療分野にチャレンジしていましたから、作者が取材しているのかなと感じていました」

下町ロケットのモデルかどうかは別として、植松電機が実際にロケットや人口衛星を開発たことは、まぎれもない事実である。一体、どんな人材が集まっているのだろうか。
「ぼくの会社では、いろいろな人が働いています。別に東大を出た人はいません。なぜ、ぼくたちがロケットを作れるかというと、もう誰でも作れる時代だから。たとえばロケットを作るときに、ロケットは軽いほうがいい。ですからぼくらのロケットは細くできています。全体が鉄よりも硬いプラスチックでできている。その特殊なプラスチックは、どうやったら手に入るのか。それはホームセンターで買えます。ガラス繊維とかカーボン繊維というものを買えばいい。昔は、それらはハイテク材料といわれていました。今はもう、普通に売っていて、誰でも買うことができます」(植松社長)

人工衛星を作るときには、宇宙で、微小な傾きでも角度がわかるよう、精密な角度センサーが必要となる。その角度センサーは、どこで手に入るのか。意外なことに、市販されているゲーム機に入っているという。
「ゲーム機のリモコンは傾けるだけで反応します。あれはゲーム機なのに、傾きを調べるセンサーが入っているから。しかもそのセンサーの性能は、日本のロケットに使うセンサーよりいいかもしれません。なぜかというと、もう人工衛星を打ち上げてから、30年もたってしまっているからです」(植松社長)

確かに日本が使っているH2ロケットは、今から30年前に作られたものだ。当然ながら、使っている部品は30年前のものとなる。
「これから先、ロボットが増えます。あと10年で、人の仕事は半分がなくなると言われています。でも、今に始まったことではない。デジタルカメラが生まれたとき、写真の現像屋さんは、ほとんどなくなってしまいました。一生、つづく職業はない。ロボットが人の仕事を奪っていきますが、ロボットのおかげで人にできる仕事も増えています。かつて不可能だったことが、どんどんできるようになっています。一部の職人さんが二十分かけてやっていたことを、今なら機械があっという間にやってくれます」

ロケットは本業ではない

本業であるマグネット事業の工場 Photo by Yasushi ITo

ロケットや人工衛星を作り、宇宙空間で稼働させている植松電機だが、本業は宇宙航空関連事業というわけではない。植松電機の本業は、リサイクルという仕事を中心に使われるマグネットの機械をつくることだ。
古くなった建物を壊したとき、瓦礫、ゴミを分別するためにマグネットを使う。植松電機が作っているマグネットは、日本中で使われているものの競争相手がいない。
「ぼくは今でも不思議でしょうがない。なぜならマグネットの作り方は、小学5年生以上だったら、みんな知っているから。クギに電線を巻き、電気を流すと磁石になる。これは5年生の理科の時間で習います。でもぼくたちのマグネットを真似する人はいません。なぜなら、発明をしたからです」

採用に対する植松電機の考え方

社内でも「だったら、こうしてみれば?」 Photo by Yasushi ITo

植松電機が求める人材は、物事に真摯に取り組もうとしている人だという。形や流行にとらわれず、しっかりと自分を持ち、人として正しい行いをする人。物事の本質を見極め、わかり得る人を『仲間』として迎え、一緒に働きたいと考えている。
「単に利益を上げるために働くのではなく、次世代を担う子どもたちのため、胸を張って、見本となるような生き方をしなければなりません。ですから喫煙やピアス、茶髪などを、かっこいいという価値観で行っている人は、私たちは望んでいません。私たちは単なる『人材』ではなく『善く生きる仲間』を必要としています」(植松社長)

植松電機は、本業であるリサイクル用のマグネット事業で得た利益で、宇宙航空関連事業を推進している。
働いた代償としてお金をもらうことを大前提にすれば、お金をもらったら目的が達成できるので、誰も苦労して働き続けなくていい。ところが『やりたいことをする』のが仕事なら、お金が入っても、やりたいことがある限り仕事は続けることになる。
ベーシックインカムがあれば、もっと思いっきり、やりたいことができる。植松電機は、マグネット製品という、ベーシックインカムを得る仕事があるから、安心して宇宙の事業を進めることができることになる。

現在、社員数は22名。人口増加期は、会社が大きくなることに意味はあった。しかし人口が減少期に入ると、事業を大きくすることよりも、やりたいことが続けられるかがポイントになる。
「ぼくらは22人しかいませんし、大学で宇宙を勉強してきた人はいません。でも大丈夫。だってぼくたちがやっていることは大学の教科書には書いていないから。誰も知らないことをやっているので、もともと教えてくれる人はいません。大学に行っても、答えはないのです。そこで大事なのが、興味と好奇心です。それさえあればできる仕事はたくさんあるでしょう」(植松社長)

考える力がなければ、あきらめるしかない

Photo by Yasushi ITo

このところ、修学旅行で植松電機に立ち寄る高校が増えている。そのなかには偏差値が非常に高い高校もあれば、非常に低い高校もある。彼らと話しているなかで、植松社長は両者に「共通の悩み」があることに気が付いた。それは何をしていいか、わからないことだ。
偏差値が高い学校の生徒は
「先生に言われた通りのことをしていたら、点数がよかった」
という。自分で考えて決めて、勉強したわけではない。植松社長は、そんな若い世代が増えている気がしている。
植松電機にも、新入社員と仕事との間でミスマッチを起こすことがあった。「もっとやりがいのある仕事がしたい」という人がいた。植松社長には、その人の『やりがい』の定義がわからなかった。なぜなら、困難を避けているように見えたからだ。
「やりがいが困難を乗り越えての達成感なら理解できます。しかし困難なことを避け、できることにしか手を出さない人に達成感はなく、やりがいもないでしょう」(植松社長)

これまで植松社長は、他人の図面で製品を作ったことが一度もないという。すべて自分で考えて、自分でつくったものだ。同社の社員にも、考えることが求められている。自分で考える社員が増えると、少なくとも上意下達という組織にはならない。それで組織が成立するのだろうか。
「会社は、命令で動くものではありません。少なくともモノづくりをする会社は、それぞれの社員が、自律的に考えなければ、仕事になりません。ですから、うちの会社では命令はありません。仕事をするには『相談』と『お願い』と、そして結果への『感謝』でいいと思っています」(植松社長)

ここで『相談』とは現状を説明し、問題を解決するため、お互いで方法を考えること。『お願い』とは、自分にはできないことを助けてもらえるように頼むことだ。そして『感謝』とは、助けてくれた相手に対して当たり前にする行動になる。
「ぼくは自分の能力が高くないことを、よく知っています。そもそも一人でできることは、限られている。 だからぼくは、よく助けを求めます。それで会社で働いてくれる人たちを、ぼくは『社員』『従業員』と呼びません。みんなぼくの大切な『仲間』です。『仲間』はお互いに尊重し合うべきです。どちらかが命令し、どちらかが従うという関係ではありません」(植松社長)

小さいころから、植松社長は争いごとを避けてきた。
それは、社長になった今でも変わらない。限られた市場を、互いにつぶし合う形で争奪戦をする場にいても、楽しくなかった。植松社長が向かうのは、課題が山積している『困難な市場』だ。他者と争うことで、他者を踏み台にして生き残る道はとらなかった。
「ケンカをしても、損するだけです。たとえケンカに勝っても、嫌な思いが残るでしょう。ビジネスも同じです。逃げた先に困難な課題があれば、必死に乗り越えればいい。逃げた先に儲からない市場があれば、儲かるようにすればいい。『それは難しいからできない』『それでは儲からないからやらないほうがいい』というのではなく、どうしたらいいかを考え、工夫をすべき。それができた人だけが、生き残ることになる」(植松社長)

日本の高度成長期のビジネスマンには『素直・真面目・勤勉』という美徳があった。しかしAIや高機能ロボットの全盛期になると、単に『素直・真面目・勤勉』なだけでは、生き残ることはできない。そんな思いを持ちながら、取材の最後に『次世代に伝えたい価値』を聴くと植松社長は瞬時に『やさしさ』と応えた。
「ぼくは『やさしさ』はというものが、もっとビジネスでも評価されていいと思っています。失敗しても気にしないし、怒らない。それぞれが好きなことを大事にして、自分で考え、自分のペースで仕事をする。人の足を引っ張り、ちょっと変わった人がいたらイジメをする。そんな社会は『やさしさ』が足りません」(植松社長)

Photo by Yasushi ITo

植松社長が本業のマグネット事業や夢を追う宇宙航空事業の合間に、全国の悩める若者たちを前に講演し、モデルロケット教室で「どうせ無理」をなくし、夢をあきらめないことを語るのは、一番大切な『やさしさ』を自ら示していることになる。
「どこまで伝えられるかわからないし、どこまで心に響いてくれるかもわかりません。でも、ぼくが伝えなければ社会から『やさしさ』が減っていく気がします。それでは、ぼくの気持ちがすみません」(植松社長)

Photo by Yasushi ITo

【会社概要】
社   名 株式会社植松電機
代   表 代表取締役社長 植松努
本社所在地 北海道赤平市共和町230番地50(赤平第2工業団地)
創   立 1962年
設   立 1999年
資 本 金 1000万円
従 業 員 22人(2018年4月)
業務内容  車両搭載型低電圧電磁石システム設計・製作・販売

取材後記
オランダ生まれの作家レオ・レオニの『ひとあし ひとあし』という絵本をご存知だろうか。詩人の谷川俊太郎の名訳により、子どもばかりか大人にも読み継がれる絵本だ。
『何でも測れる尺取り虫は、トリに食べられそうになったとき、ぼくは長さを測ることができると言いました。オナガドリは尻尾の長さを測ってもらい、満足して飛び立ちました。その後も、いろいろなトリの長さを測り、生き残った。ところがナイチンゲールというトリが「わたしの歌を測って」と言いました。できなければ朝ごはんに食べてしまうというのです。尺取り虫は「やってみる」といい、気持ちよく歌うナイチンゲールの歌をひとあし、ひとあし、測っていきました。そしてナイチンゲールの前から、いなくなってしまったのです』
人生では、逃げるという選択肢が卑怯と思われ、自分でも情けないと思い、逃げた自分を責めることもあるだろう。しかし野球では『敬遠』という手段がある。それは卑怯でもなく、凛として戦いを避けることで難局を切り抜けることができる立派な作戦だ。
無理難題を前にしたとき、立ち向かう選択肢しか持っていなければ、そこで人生は終わってしまう。逃げるという選択肢を持っていれば、希望に向かう勇気も続くことだろう。そんなことを考える深い取材だった。

取材・執筆:廣川州伸(ひろかわ くにのぶ)/ライター
1955年9月東京生れ。都立大学人文学部教育学科卒業後、マーケティングリサーチ・広告制作会社を経て経営コンサルタントとして独立。合資会社コンセプトデザイン研究所を設立し、新事業プランニング活動を推進。東工大大学院、独協大学、東北芸術工科大学などの非常勤講師を務め、現在、一般財団法人 WNI気象文化創造センター理事。主な著書に『週末作家入門』(講談社現代新書)『象を倒すアリ』(講談社)『世界のビジネス理論』(実業之日本社)『偏差値より挨拶を』(東京書籍)『絵でわかる孫子の兵法』(日本能率協会)など20冊以上。地域活性化についても様々な提案を行っている。

撮影:伊藤 也寸志(いとう やすし)/フォトグラファー(有限会社マーヴェリック所属)

編集:王麗華/次世代価値コンソーシアム

2018年9月掲載

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