しなやかに、軽やかに~プロビーチバレー 浦田聖子選手~3つの転機を経た自然体

ビーチバレーの試合を目の前でご覧になったことがあるだろうか。まだという方は、ぜひ一度、観戦してほしい。屋外ならではの心地よい爽快感、砂の上で繰り広げられる2対2の華やかなプレー、太陽や風の影響を考慮した頭脳作戦の応酬に、たちまち魅了されるだろう。
プロビーチバレーの浦田聖子選手。浦田選手は、日本のビーチバレー界を牽引してきた一人。2016年に結婚・出産し、1歳半になる娘の母となった彼女はいま、どんな未来を見つめているのか。

プロフィール:浦田聖子
うらた さとこ/プロビーチバレー選手。
1980年12月22日、佐賀県生まれ。父親の転勤により、小学2年生のときに千葉県に転居。小学6年のときの身長は168cm(現在176cm)。バレーボールの名門である共栄学園中学校で本格的にバレーを始め、共栄学園高校時代は全国大会で活躍。卒業後はNECレッドロケッツに入団し、2度のVリーグ優勝を経験した。
2002年にインドアバレーボールからビーチバレーに転向し、佐伯美香選手とペアを組んで2004年ビーチバレージャパンにて優勝するなど、実力派プレーヤーとしての地位を確立する。
2006年のアジア競技大会に日本代表として選出され、2007年ジャパンツアーお台場大会、全日本女子選手権で優勝をおさめる。
2010年からは西堀健実選手とペアを組み、ジャパンツアーやビーチバレージャパンで優勝し、話題を集める。2008年の北京五輪、2012年のロンドン五輪への出場を目指したが惜しくも叶わなかった。
2016年にプロビーチバレーの庄司憲右選手と結婚。現在は1歳半になる長女をもつ、ママ・アスリート。

子ども達には楽しんでもらいながらも、バレーのポイントを押さえた指導を行う浦田さん。

バレーボールを初めて経験する子ども達と

うららかな日和の4月2日、千葉県・房総に広がる複合リゾート「リソル生命の森」。東京ドーム70個分という広大な土地に、宿泊施設やスポーツ施設、ゴルフ場などが点在している。ここで、浦田選手がコーチを務める「子どもの『やってみたい』を実現! 9種から選べるスポーツ合宿」(アクトインディ株式会社主催)が開催された。

イベントの趣旨は、50人の小学生たちが、テニス、陸上、バレーボール、サッカーなどの9種のスポーツから、自分がやってみたい4種を選び、一流アスリートたちの指導を受けるというもの。浦田さんは、現役ビーチバレー選手で夫の庄司憲右さんとともに、バレーのコーチとして招かれた。今回の参加者のうち、「バレーボールをやってみたい」と希望したのは、1年生から6年生まで、男女合わせて6人の子どもたち。全員がバレー未経験者で、本格的にボールに触るのは今回が初めてだという。

朝9時にトレーニング開始。ちょっぴり不安げな面持ちで体育館に集まった子どもたちに、浦田さんと庄司さんは自己紹介のあと、こんな話をした。
「私たちは今、みんなよりバレーができるけど、最初はみんなと一緒で、何もできなかったの。そこから一つひとつチャレンジして、一生懸命がんばってきたんだよ。一つのことができるようになるまで、何か月も、何年もかかることもある。そうやってトライし続けてきたから上手になったんだよ。だからみんなも、失敗してもめげないで、何度でもチャレンジしてみよう」

2人の言葉に魔法をかけられたように、「早くボールに触りたい!」「バレーやってみたい!」と、子どもたちの緊張がみるみるうちにとけていく。
浦田さんと庄司さんは、一人ひとりと目線を合わせ、笑顔で声をかけながら、まずはストレッチやランニング、ドリブルなどのウォーミングアップ。それから、オーバーハンドパス、アンダーハンドパス、スパイク、サーブなどの基本技を一つひとつ練習する。低学年も高学年も「チャレンジ」をテーマに、それぞれが目標を定め、モチベーションを高めながら、積極的にボールと向き合う。最後はゲームにもチャレンジして、3時間のバレー教室は、あっという間に終了した。

この日は、夫で同じくビーチバレーボーラーの庄司憲右選手とともに子ども達を指導。

自然体での指導

レッスン終了後、浦田さんに今回の感想を聞いた。
「これまでも子どもたちの指導をしたことはありますが、今回のように、全員が未経験者というのは初めてです。みんなの集中力が3時間もつかどうか、最初は心配でしたが、トレーニングを始めてみると、そんな心配は吹き飛びました。私たちが教えたことを、できるようになるまで積極的に反復したり、休憩時間にも自主的に練習したり、それぞれがひたむきにチャレンジする姿に感動しました」

これまでも、夫の庄司選手とともにコーチを頼まれる機会はあったが、長女が生まれてからは、今回が2人での初の仕事だという。バレーボールに触れたこともないという子どもたちに、バレーのおもしろさや楽しさを伝えながら技術を習得させるには、どうしたらいいのか。今日のバレー教室では、2人で事前に相談したという“遊び心”にあふれたアイディアが随所にちりばめられていた。

「現役時代は、バレーに興味のある子どもたちと関わる時間がとれなかったので、こういう機会は新鮮ですね。“教える”という仕事は、まだ修行中なので、学ぶことが多々ありました。たとえば、未経験者だからといって、『これは無理』と決めつけず、いろんなことにチャレンジさせてみることが、その子のモチベーションとなり上達が早くなること。
また、指導者側が『教えてあげよう』と意識しすぎず、自分たちがこれまでやってきた経験や練習方法をシンプルに伝えることが、教わる側の理解につながるということも実感しましたね」

「子ども達から教わることも多い」(浦田さん)

教える仕事は修行中、と浦田さんは笑うが、これまでの競技人生で磨き上げてきた、分析力や判断力から生まれる言葉は、指導の本質を鋭く捉えている。“プレーする”が“教える”になっても、決して近道をせず、できるかぎりの方法を模索し、信念を追い求める姿は、現役時代から何も変わっていないのだ。

「これからの自分が楽しみ!」
9年近く前。都内で開催された日本ビーチバレー連盟による国内ツアーの記者会見で、筆者は大会を目前に控えた選手たちの囲み取材をしたことがある。
当時、筆者は新聞記者として仕事をしていたが、専門はスポーツでなく、教育部門だった。しかし、ジュニア向け媒体の「注目のアスリート」というコーナーへの取材と執筆を任されたため、門外漢ながら会場に足を踏み入れていた。

「それでは、出場選手の登場です」という司会者の声に促され、ステージ上に選手たちがずらりと並んだ。鍛え抜かれ、洗練された身体に、ユニフォームのカラフルな水着を身にまとったアスリートたちの姿は圧巻で、しばし写真を撮るのも忘れていた。
その中に、日本ビーチバレーの期待の星として脚光を浴びていた浦田聖子選手の姿があった。当時ペアを組んでいた楠原千秋選手とともに、記者たちに意気込みを語る浦田選手の姿は、気高く、凛とした美しさを周囲に放ち、ビーチバレーのことをよく知らずに、のこのこと会場にやってきた筆者は、あっという間に浦田選手の“ファン”になってしまった。

そのとき、浦田選手は私たち記者にこう言い切った。
「自分の決めた目標に向かって、やることはすべてやってきたので、自信はあります。これからの自分が楽しみです」
そして宣言通り、翌月に開催されたジャパンツアー第2戦東京大会で、鮮やかに優勝を飾ってみせたのだ。

3つの転機を経て

自分の信じる道を、まっすぐに走り続けてきた現役時代について、浦田さんは「何度か転機があった」と振り返る。
一つ目の転機は、インドアバレーボールからビーチバレーに転向したときだ。バレーの名門である共栄学園高校を卒業後、NECレッドロケッツに入団し、二度のVリーグ優勝に貢献した浦田さんは2002年、ビーチバレー選手として活動することを発表した。

「レッドロケッツに入部して3年経ったとき、ビーチバレーのプロチームができるという話を聞いたんです。オリンピック出場の夢を叶えるには、インドア以外の選択肢があるのではないか。そう考えて、ビーチバレーの世界に飛び込みました」

しかし、新たな世界には、想像以上の苦労が待っていた。インドアと違ってビーチバレーでは、生活や食事の管理、コーチ選びに至るまで、すべて自己責任で行わなければならない。また、プレーにおける違いにも、改めて驚かされた。

「インドアとビーチは、同じバレーボールでもまったく違う競技です。ビーチはまさに、自然との戦い。砂の上では思うように動けないし、ジャンプもできない。吹く風や日差しが毎日違うから、ボールのコントロールも安定しない。一番とまどったのは、チームが2人しかいないこと。お互いの気持ちがすれちがったり、意見が割れたりすると、チームプレーを発揮するのは無理です。大変な世界に入ってしまったと思い知らされました」

2002年に佐伯美香選手とペアを組んだ浦田さんは、急激に力をつけ、ビーチバレージャパンで優勝。実力派プレーヤーとして注目される。2006年のアジア競技大会には日本代表に選出され、2007年ジャパンツアーお台場大会、全日本女子選手権で優勝し、2008年には日本ランキング1位を獲得した。

イベント終了後、「初めてバレーボールに触れた一人の子が、『バレーを続けたい』と言ってくれた」(浦田さん)。この日最大の喜び。

変化をチカラに

浦田さんにとっての二つ目の転機は、「オリンピック出場を目指してきたが、惜しくも手が届かなかったこと」である。2009年には楠原千秋選手とペアを組み、ジャパンツアーお台場大会や岡山大会で優勝。2010年からは、西堀健実選手とペアを組み、ジャパンツアーやビーチバレージャパンをはじめ、数々の優勝を飾り、周囲の期待を一身に背負うも、2012年のロンドン五輪、2016年のリオデジャネイロ五輪ともに出場は叶わなかった。

三つ目の転機は、2016年に「結婚して、子どもが生まれたこと」。自分のプレーを徹底的に磨き、身体を鍛えることを第一優先としていた生活が一変した。

夫の庄司憲右選手と。

「今のわたしの生活は、娘のことが優先です。子どもを産んでから、自分の変化に驚いています。以前の私は、自分がこうしたいと思ったことは、最後までやり遂げないと気がすまない性格でした。でも、赤ちゃんを相手にしていると、なかなか物事は思い通りに進みませんよね。子育てをすることで、精神力が鍛えられました。『夜、子どもがなかなか寝てくれない。でも、たっぷり昼寝をしたから大丈夫かな』とか、『今日は忙しかったから、簡単な料理で済ませちゃおう』とか。決めたことができなくても、自分の感情をうまくコントロールできるようになり、いい意味で“あきらめる力”がついたんです。現役時代は、ペアを組んだ相手と意見が衝突すると、自分の考えばかりを優先してしまっていました。現在の自分なら、もっと大きな心で相手を受け止められるはず。今のわたしはビーチでどんな試合をするんだろう、と考えるとワクワクします」

子育てという新鮮な日々の中で、自分を客観的に分析し、これまでになかった変化を喜び、新しい力を蓄えていく。そのサイクルが、浦田さんをより美しく、魅力的にしている。

庄司 憲右 (しょうじ けんすけ)/プロビーチバレーボール選手。1990年2月13日、鳥取県境港市生まれ。身長183㎝。

ビーチバレーの魅力を発信

浦田さんの現在の肩書きは「プロビーチバレー選手」。育児優先で競技活動を控えてはいるが、今後プレーヤーとして私たちに勇姿を見せてくれる可能性は十分にある。そんな彼女は、自身のセカンドキャリアについて、どんな未来を描いているのだろう。

「アスリートには、現役中からセカンドキャリアの準備をしている人と、思い切り競技と向き合った先に、次のステップが現れると考える人がいる。私はまさに後者でした。自分にとって、今、魅力を感じるものを精一杯やり遂げないことには、次に進めないと思っていたんです。だから、オリンピック出場が叶わなかったとき、競技をこのまま続けるかどうか、悩みました。そうやって競技を突き詰めたことで、今、少しずつですが、ビーチバレーの環境をもっとよくしたい、多くの人に競技の魅力を伝えたいという自分の意志や方向性が見えてきました。

ワールドツアーに参戦すると、他国と日本における、ビーチバレーの環境や選手育成の差がよくわかります。ビーチバレー大国であるアメリカやブラジルには、コーチとアシスタントコーチ、アナリストやトレーナーなど、たくさんのスタッフが選手をサポートしています。日本では、コーチとトレーナーくらいしかいません。これまで選手として感じてきたことを活かし、次の世代の若い選手たちが、より充実した環境でプレーできるように、率先して動きたいですね」

子ども達を指導中も、その後のインタビュー中も笑顔を絶やさない。”いま”を楽しんでいることが伝わってくる。

スポーツから得られる感動と発見を伝えたい

2017年、ビーチバレーは国体の正式種目となり、日本全国にビーチバレー専用のコートが増えてきた。それぞれのコートが安定した運営を続けるには、子どもや学生向けのイベントを開催し、ビーチに親しむ機会をつくっていく必要がある、と浦田さんは言う。

「ビーチバレーに限定せず、ビーチそのものの魅力を高めたくて。私、NPO法人日本ビーチ文化振興協会の理事をしているんです。まず、はだしで浜辺を歩こう、という活動からスタートし、ビーサン飛ばしやビーチ相撲など、全国でさまざまなビーチイベントを開催しています。日本中の浜辺に多くの人が集まるようになれば、子どもたちがビーチバレーを体験する機会が増え、日本ビーチバレーの発展につながっていくと思います」

インドアバレーやビーチバレーの指導者として。日本ビーチバレーの環境を整えるサポート役として。魅力的なプレーヤーとして。そして、妻、母として。現在37歳になった浦田さんの前には、じっくりと向きあっていきたい目標がたくさん見えている。

「これからの私にどんなことができるのか、楽しみながらチャレンジしたい」
そう語る浦田さんを、夫の庄司選手も嬉しそうに見守っている。
「ぼくは彼女の一番の理解者として、これからの活動をできるかぎり応援したい。子どもの世話?大丈夫。寝かしつけ以外はすべてできますから」

インタビューの最後に、浦田さんの大切にしている「価値」について聞いてみた。
「身体を鍛える。技術を磨く。仲間と協力する。作戦を練る。どんな状況でもあきらめずにチャレンジする。スポーツから得られる感動や発見には、人生を変えてしまうほどの大きな価値があります。自分が体験してきたすばらしい価値を、娘をはじめ、次世代の子どもたちに伝えていくこと。それが、わたしの一番の使命だと思っています」

スポーツ合宿で子どもたちに最初に伝えた「チャレンジすること」の意義と尊さ。それを自らの姿や活動で伝えていきたい、という浦田さん。失敗なんていくらしてもいい。チャレンジしなければ未来はつかめない。日本ビーチバレー界のパイオニア、浦田聖子による第二ステージのチャレンジは、今、始まったばかりだ。

浦田聖子(うらた さとこ)/プロビーチバレー選手。

インタビュー・執筆:小川こころ/文筆家・童話作家
福岡県生まれ。大学卒業後、楽器メーカーを経て新聞記者に。多くの絵本や作家との出会いをきっかけに、日本や海外、古今東西の絵本研究に力を入れる。2011年に独立し、取材・執筆を手がける個人事務所を設立。同時に、「ゼロから始める文章講座」や「コラムの書き方入門講座」など、執筆や表現に関するワークショップ【東京青猫ワークス】を立ち上げる。ブログ「ことばのチカラはこころのチカラ!」を運営。企画・執筆・編集などを手がけた書籍は、『キャリア教育に生きる! 仕事ファイル』(小峰書店)、『大人の美しい一筆箋活用術』『ココロが育つよみきかせ絵本 イソップものがたり70選』『ココロが育つよみきかせ絵本 世界のどうわ』『日本の神様のお話(上)(下)』(すべて東京書店)ほか。

写真:佐藤明/フォトグラファー

編集:石原智/一般社団法人次世代価値コンソーシアム

取材協力:リソル生命の森

掲載:2018年5月21日

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