スポーツで地域に”ピボット(軸)”を ~ スポーツNPO理事長、元バスケットボール五輪選手 桑田健秀さん

元バスケットボール日本代表、桑田健秀さん、65歳。
日本のバスケットボール界の“レジェンド”。現役時代は長身を生かしたプレーで輝かしい成績を残し、1976年にカナダのモントリオールで行われた第21回オリンピックに出場。大学卒業後、日本鋼管(現JFEスチール)に勤めながら選手生活を続けていたが、30歳で引退、49歳の時にサラリーマン生活からもリタイアした。その後は企業から地域に“ピボットフット(軸足)”を移し、中小企業が多い東京都大田区を拠点に、地域スポーツクラブの普及拡大に力を入れている。そんな桑田さんにスポーツビジネスの理念と戦略について話を伺った。

桑田健秀さん

プロフィール:桑田 健秀(くわた きよひで)
特定非営利活動法人(NPO法人)地域総合スポーツ倶楽部・ピポットフット理事長一般社団法人全国スポーツクラブコミッション理事、一般社団法人おおたスポーツコミッション理事長
1953年1月熊本生まれ。1歳のときに東京都大田区に移り、同区立馬込東中学校でバスケを始め、慶應義塾高校在学中にインターハイ2位、全日本ジュニアチームに選出、慶應義塾大学時代1973年夏季ユニバーシアードに出場。
大学卒業後、日本鋼管(現JFE)に入社。1976年モントリオール五輪に出場。全日本で11年間プレーをし、NKKで日本リーグ1度、全日本総合バスケットボール選手権2度の優勝に貢献。1983年に現役引退。
1990年から1992年まで男子全日本ジュニアチームのコーチに就任し、アジアジュニア選手権大会優勝から世界ジュニア大会に出場。1998年にバスケットボール日本リーグ機構(JBL)常務理事に就任(2002年退任)。
2003年、50歳のとき特定非営利活動法人地域総合スポーツ倶楽部・ピボットフット設立。
2005年女子バスケットボール日本リーグ所属のエバラヴィッキーズ(現・Wリーグ東京羽田ヴィッキーズ)のヘッドコーチに就任し、2008年「チャレンジ!おおいた国体」成年女子優勝。
文部科学省第8期中央教育審議会スポーツ・青少年分科会委員、スポーツ庁スポーツ審議会委員公益財団法人大田区体育協会理事などを歴任。

企業から地域に“軸足”を移しスポーツ振興

身長190センチ。一緒に並ぶと、165センチの筆者は桑田さんを見上げるような格好になり、まるで大人と子供。元日本代表だから、指導や講演を頼まれることは度々ある。それだけでなく、地域に密着し企業や行政まで巻き込んでスポーツ振興の仕組みまで作って活動している。元五輪選手としては、極めて例外的なケースだ。

「学生時代はずっとバスケットだし、会社へ入ってからもやってました。いまは地域でスポーツビジネスというか、ソーシャルビジネスの活動をしています」(桑田さん、以下同)

現在の肩書きはNPO法人ピボットフットの理事長。「ピボットフット」は、バスケット用語の「軸足」という意味。バスケット教室からスタートし現在、高齢者の体操から子供のダンス、サッカーなど13種目、約40教室に拡大。年間約1,700回のスポーツ教室を開催するようになった。
いまではスポーツによる地域コミュニティづくりの先駆者として活躍する桑田さんだが、ここまでの道は平坦ではなかった。

桑田さんがヘッドコーチをつとめる、バスケットボール実業団ヤマト運輸女子チーム。仕事を終えて各職場から練習に集まる選手たちを見守る。

プロ化計画中の不本意な退任、49歳で会社も退職

生まれは熊本県だが、親の仕事の関係で1歳の時に東京都大田区へ移り住んだ。以来大田区在住だから、ほとんど東京人。
「大田区に65年います。ずっと大田区で育ってきた」

大学卒業後、鉄鋼大手の日本鋼管に入社。入社後もバスケを続けモントリオール五輪も出場。経理の業務に従事しながら選手生活を続けた。その後総務部に移って業務効率化や問題解決策を立案する仕事に携わった。

「大学が商学部で多少簿記もやってたので、経理をやらされました。それがいま決算書作りに役に立っている。夕方5時まで仕事をして、5時半から練習ですからね。大変でしたよ。忙しいときは練習が終わった後、職場に戻って残業をやったこともあります」

1996年10月、日本鋼管に在籍中、「Bリーグ(日本のプロバスケットボールのトップリーグ)」の前身、「バスケットボール日本リーグ機構(JBL)」に出向し常務理事に就任。会社の仕事もしながら、スポーツビジネスのマネジメントを経験。

このとき実はJBLで「バスケットのプロ化構想を計画していた」が、時代的背景や組織内でのゴタゴタが勃発。7年目に退任を余儀なくされた。ご自身は「敗れて野に出た」と語っているが、この騒動による退任は不本意なものだったようだ。

出向から戻るかどうか苦渋の選択が待っていた。会社からは早期退職か子会社かの選択を迫られた。
「そのとき49歳になってましたからね。好きなところへ入れてやると言われたけど、今さら会社に戻ったって、サラリーマン生活は面倒くさいなと。転職を決断したわけです」

割り増し退職金をもらって退職。その3日後、業界2位の日本鋼管と3位の川崎製鉄所との合併が発表になった。合併後では割増退職金は出ない。人事部の働きかけは会社としての配慮だったのかもしれないと当時を振り返る。

地元からオリンピック選手を育てたい!

「スポーツで飯を食うことを決断した。地域のスポーツインフラを整備したい。今後日本のスポーツ界は、学校体育や企業スポーツだけでは成り立たないと」判断。2002年12月、NPO法人「ピボットフット」を立ち上げた。桑田さん49歳のとき。

ピボットフットは、東京都大田区の行政や企業、住民と組んで地域のスポーツ活動を盛り上げる組織だ。
同時に「未来のオリンピック選手を地域で育てる」ことも考えていた。自分が体験したオリンピックでの感動を次世代に伝えたかったからだ。

「スポーツをやる人間にとってオリンピックは憧れ、目標です。最高の世界大会に出られた、体験したということは、スポーツマンとしての僕にとって原点」

オリンピックの感動はいまでも鮮明に覚えているという。
「メイン会場の競技場へ入るまで、サブトラックで10時間ぐらい待たされるんです。入場行進がギリシャから始まると、わーという歓声が聞こえてくる。ゲートをくぐるときいったん暗くなって、競技場に入ると、そこはもう別世界、感動しかないね」

10万人の大観衆が注目していた。観客席で見るのと選手として出場するのとでは大違いだった。「ジャパン」とアナウンスされると、観客がわーと歓声を上げる。このときは「やっぱりおれは日本人なのだ」と思った。

結果は12チーム中11位。桑田さんは「当時の日本は全然強くなかった。いまでも強くないけどね、ハハハハ」と笑い飛ばす。オリンピックはまさに参加することに意義がある。

選手としての豊富な経験を次世代につなぐことも指導者の役割

地域スポーツを盛り上げる組織づくり、無収入からのスタート

オリンピック出場から26年。子会社役員になれるポジションを捨てて大企業を辞めた49歳、ゼロからのスタート。

「2年間は無収入でした。3年目ぐらいから、これで生計が立てられるようになってきた。いまでは仲間が増えたけど、スタートしたときは実質1人だった。49歳という年齢で会社を辞めることに周りは『無理だから辞めろ』と猛反対。だけど他にやることもないし、できることもないから、オレはこれをやる」と決断した。

いまでは、年間1,700回のスポーツ教室を開催する地域スポーツクラブに。スポーツで地域による地域活性化活動の嚆矢となった。先見性があったということだろう。

早期退職したことは結果的によかったのではないか。あのとき会社に残ったとしても、結局は川鉄に吸収されてどうなったかわからない。桑田さんも頷いた。
「引退後地域にいきなり入ってきて、『スポーツ振興をやります』と言っても地域住民の反発を受けるので、時間をかける必要があります」
定年を待たずにスタートしたことが功を奏した。

実業団ヤマト運輸女子チームを指導する桑田さん

サラリーマンの経験を活かした組織づくり

桑田さんは、日本鋼管では経理や総務、営業などを経験し、バスケットボール協会会長秘書やJBL(バスケットボール日本リーグ機構)の役員も務めてきた。
「サラリーマン時代の経験がなかったら、多分地域スポーツなんてできなかったと思う」

会長秘書やJBLの役員経験が役に立った。経理部の時は決算書作り、総務部へ移ってからは、経営の現状を分析し、業務効率化や問題解決策を立案する仕事に携わった。その経験が地域スポーツの組織作りに役に立っている。
「選手経験だけじゃ地域のスポーツはできない。オレは元オリンピック選手だなんて言ったって、地域の人はだれも相手にしませんよ。『あっそう』で終わりです」

現在、ピボットフットの予算規模は年間約6,000万円に成長している。生徒の月謝や企業からの事業委託による収益をベースに運営。行政の補助金はなし。30人からのスタッフやアルバイトにも賃金を支払わなければならない。教室のコーチや講師にも謝礼は必要だ。NPO法人も一般企業と同様の経営体である。

全国に約3,500の地域スポーツクラブがある。そのうち事業性があるのは約1割と言われている。大半がボランティアによって運営されている。ボランティアだけでは、地域でスポーツクラブを継続発展させることは難しい。桑田さんにはスポーツをソーシャルビジネス化したいという思いがある。
「日本のスポーツは学校体育の一環として発展してきたため、どうしても教育という概念が強く、お金を稼ぐのは邪道と考えられてきた。だけど無料の奉仕活動では限界がある」

NPOを設立した当初、役所のスポーツ振興課へ行くと、お金取るのかと聞かれ、月2回で3,000円ぐらい取りたいと言ったら、ゼロが1つ多くないかと言われたそうだ。

見える形で成果を示すしかない。部活動で役立つ基礎技術を教えるということで教育行政関係者を説得。専門家の指導で子供はすぐに上達することを実践していった。トレーニングを受けた講師がフォーム指導すれば、ほとんどの子は10分でバスケのシュートが入るようになる。参加者は目を見張る。
本物の技術を提供すれば、地域の人々に喜ばれ、事業としても成り立つことを実感した。

「教えるのは技術だけじゃなくて、チームプレーや礼儀作法も含めてね」
いまでは、プロが基礎技術を提供するのがピボットフットのウリ。ダンス教室は芸能界で活躍するプロの振り付け師が指導している。

最近、大人気なのが、チアリーディング。「年間100回ぐらい町内会の運動会とか地域のイベントなどに呼ばれているけど、その半分はチアリーディングなんです」
チアリーディング教室だけで約200人の子供たちが在籍する。

大田区ヤマトフォーラムでの練習

スポーツ選手のセカンドキャリアの場としても

企業や行政まで巻き込んで、地域住民がスポーツをする場や仕組みを作って活動している元トップアスリートは少ない。そういう意味で桑田さんは希有な存在だ。

その視線は、自らもそうだった選手の引退後の生活にも向けられる。トップアスリートのセカンドキャリア。実業団を廃止する企業が増える中、切実な問題だ。
「選手を辞めたら、次はどこで活動するのか。地域のクラブがそういう選手の受け皿になるわけですよ。それは経営というか事業性とかビジネスという概念で、ちゃんと利益を生んで雇用ができる環境作りをしていかなければならない。じゃないと東京オリンピック以降のレガシー(遺産)にはならないと思っている」

プロスポーツ選手が引退後、焼き肉店やラーメン屋などの飲食店を始める人がいる。
「焼き肉屋も悪くはないけど、自分が経験してきたことをベースに、スポーツの普及活動とか選手の強化に取り組んで、それで飯を食える構造を作っていかないと日本のスポーツ界は発展しない。会社経営と一緒で、そんなに儲からなくてもいいけど、ある程度収益は必要です」

運動嫌いの子供は、遊ばせよ
運動嫌いな子供と好きな子供とで二極化している。とくに中学女子にスポーツ嫌いが多いという。危機感を抱いた行政から、桑田さんに「運動嫌いの中学生に運動をやらせたい。何かアイデアは」と意見を求められた。
桑田さんが地域でスポーツ振興に取り組むのもスポーツ嫌いの子供をなんとかしたいという思いがある。そのためにスポーツ資源の機能を高めるべきだという。家の中でゲームばかりやっている姿は、やっぱり健全ではない。安全で楽しくスポーツができる仕組みと、桑田さんのような指導者が必要なのだ。「運動嫌いの子に運動をさせるという発想が間違っている。遊ばせるんだよ。たとえばスポーツ鬼ごっこというのがある。昔やった鬼ごっこをルール化して、運動量を増やしてね。スポーツ鬼ごっこの全国組織まである。指導者ライセンス制度があり、ライセンスを与えるための研修会も僕のところで開催した。いきなりサッカーやりましょうとかバスケットやりましょうといっても、これはマニアックな世界」
取っつきにくい。そういう競技から逃げ出す子供もいる。半分遊び、半分スポーツの鬼ごっこなら、運動が苦手な子供でも抵抗なく取り組める。放課後の居場所作りにもなる。

桑田流、スポーツ=“横ぐし”論とは?

桑田さんは、スポーツは地域の“横ぐし”になると言う。縦割りの組織をコーディネートする装置がスポーツであり、3つの“横ぐし”を使って地域をつなぐ。

まずは、スポーツそれ自体。一般に、スポーツ関係者は、自分が関わるスポーツの振興にしか関心がない。桑田さんも最初はバスケットの普及振興から始めた。しかし、地域はバスケットだけを求めているわけではない。いまでは、桑田さんの組織ではサッカー、ランニングからチアリーディング、ダンス、健康体操、鬼ごっこまでを指導している。

2つ目は行政組織。
教育、子育て支援、高齢者福祉、障がい者福祉、産業振興といった縦割り組織の“横ぐし”となるのがスポーツ。子供も、子育て中の人も、高齢者も、障がい者も、働き盛りの大人も、体を動かすことは必要であり好きな人は多い。スポーツを共通項にすると行政が全体で動きやすくなる。行政としては、スポーツを観光資源として活用し、地元企業と連携することによって地域経済への好循環の創出や医療費の削減にもつなげられる。

3つ目は、地域行政、地域企業、地域住民をつなぐ“横ぐし”としてのスポーツだ。

桑田さんの活動は、そうした縦の構造をいったん壊して横のネットワークを作っている。
「15年かけてそのベースができてきた。街作りのツールとして、行政から観光協会、商工会などに入ってもらって、全国のスポーツ大会とかオリンピック選手の合宿誘致とか、要するにスポーツツーリズムの概念です。こういうことは上からの号令だけでもダメ、下だけで動いてもうまくいかない。上から組織を作り、下から積み上げていかなきゃいけない」

その成果として、昨年12月、発起人の1人として一般社団法人「おおたスポーツコミッション」を設立し初代理事長に就任。地域に人が来て、食事をして、泊まって、飲み会もやって、もちろんスポーツもする。そういう地域起こしを地道にやっていくのがスポーツコミッションなのだ。

「まず大田区で先行事例を作りたい」
スポーツで、街を、人々を元気にする。桑田さんの夢の実現の土台になっているのは、大企業を退職したあと地域で地道に積み上げてきた実績だ。

スポーツを軸にした郷土づくり

その一つの例が、昨年(2017年)、大田区総合体育館で行った「企業対抗運動会」。大田区は日本有数の中小企業集積地。約4,000社の企業がある。区内の蒲田は町工場の地として全国的にその名が知られている。こうした地域性を生かし、働く人たちの運動会開催にも取り組んでいる。
「中小企業の対抗運動会をやったら大成功。健康経営がテーマである企業も喜ぶし、従業員も喜ぶ。次はいつやろうかという話になって」

行政、地域企業、地域住民、地域のスポーツクラブがそれぞれ協力し合っての成果。27社、400人の大運動会になった。経営者同士、他の企業の従業員と、そして経営者と従業員にコミュニケーションが生まれた。ここでも“横ぐし”が通った。

プロバスケット構想での不本意な退任、突然の退職。スポーツNPO設立後も当初は厳しい状況だった。しかし、いまでは地域に喜ばれる組織と仕組みを作り、好きなスポーツで生活をしている。
「『ピボットフット』も『おおたスポーツコミッション』も、静かな池に小石を投げ入れて引っかき回している感じですけど、いまはこれがライフワークです。元気だったら、ずっとやれます」

選手時代は世界を相手に闘ったが、いまでは地域の人たちと一緒にスポーツを楽しむ日々。元オリンピック選手とはいえ、ときにバスケットコートに立つ「2時間やると、3日間は〝後遺症〟が出る」そうだ。
「口は動くけど、体が動きません。でも、子供たちと走り回るのは楽しいですよ」

桑田さんの原動力はなにか。
「理念だろうね。子供たちがうまくなるように指導するということもありますが、それだけじゃなくてね。スポーツを軸にしたコミュニティづくり、郷土づくり」

そのために必要となるのが「人づくり」だと桑田さんは言う。
「スポーツを教える指導者もそうだし、マネジメントをする人にも問われているのは社会性と人間性です。今後は地域の財産を把握した上で、スポーツの知識と経験があって、社会性も人間性もある多くのリーダーが地域では必要なんです。今後はそうした指導者を育てていきたい」

桑田さんには、もう一つの思いがある。2020東京オリンピックに男子バスケットを出場させること。男子バスケは桑田さんが出場したモントリオール以来、約半世紀五輪から遠ざかっている。大田区からバスケ五輪を育てることは、退職後に地域スポーツを始めた原点でもある。

地域の人たちがスポーツを楽しみ、一緒にオリンピック選手を育てる夢を持てる街づくり。その仕組みを作ることが桑田さんのレガシーだ。

取材後記
子供の頃はクラシック音楽が好きだったという。小学校の時に自衛隊音楽隊の演奏を聴いて感動して、中学校に入ったらブラスバンドのような楽器演奏の部活をやろうと思っていた。ところが、中学校に進学すると仲間に誘われ、バスケット部へ。当時、バスケットボールは籠球(ろうきゅう)と呼ばれ、競技人口は多くはなかった。クラシック音楽好きの少年が、なぜバスケットボールなのか。
「バスケットのゴールネットは、いまは布だけど、昔は金属の鎖だった。シュートが入る度にジャリって音がするのよ。その音に非常に感動してね」音に魅せられるというのは、いかにも音楽好きらしい。
背が高いから元々バスケ少年だったようにも思えるが、この話を聞いて改めて見直すと、たしかにボールを持ってコートを走り回っているより、1人静かに部屋で音楽を聴いているほうがピッタリするようなイメージだ。近年、バスケットボールの人気は高い。バスケを素材にしたマンガがヒットしたことや、2016年にBリーグが開幕しプロ選手の活躍が注目されるようになったことも影響している。バスケの魅力はなにか。
「シュートが入ることだよね。サッカーみたいに1点や2点の話じゃないからね。攻守が入れ替わるスピードが速い。サッカーやラグビーは広いところでプレーするから時に散漫になるけど、バスケットは狭いところでスピーディーに走り回る面白さだろうね」

取材・執筆:大宮知信/ノンフィクション・ライター
1948年茨城県生まれ。中学卒業後、東京下町のネジ販売会社に集団就職。その後、調理師見習い、ギター流し、地方紙・業界紙・週刊誌記者など20数回の転職を繰り返し、現在に至る。政治、教育、移民、芸術、社会問題など幅広い分野で取材・執筆活動を続ける。海外へ渡った日系移民に強い関心を持つとともに、スペインをこよなく愛し、趣味はフラメンコギター。
著書は『さよなら、東大』(文藝春秋)、『世紀末ニッポンの官僚たち』(三一書房)、『デカセーギ 逆流する日系ブラジル人』(草思社)、『お騒がせ贋作事件簿』(草思社)、『スキャンダル戦後美術史』(平凡社新書)、『ウチの社長は外国人』(祥伝社新書)、『「金の卵」転職流浪記』(ポプラ社)、『お父さん! これが定年後の落とし穴』(講談社)、『部長が中国から来たらどうしよう』(徳間書店)、『平山郁夫の真実』(新講社)、『死ぬのにいくらかかるか!』(祥伝社)、『人生一度きり!50歳からの転身力』(電波社)など多数。
撮影:樋宮純一/フォトグラファー
長野県生まれ。第一企画 写真部などを経て独立。人物から建築、料理、商品まで幅広く撮影を手がける。jun117okok@yahoo.co.jp
取材・構成:石原智/次世代価値コンソーシアム

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