筆者の苦手なもの。それは通勤ラッシュ時の満員電車である。空気が淀んだギュウギュウの車内に押し込められ、オフィスに到着したころには気力と体力を失い、仕事への意欲はダダ下がり……。現在は文筆業の個人事業主となり、電車通勤から逃れることができたが、フルタイムの会社員時代は毎朝「仕事って、会社でしかできないものなの?!」と心の中で吠えていた。
近年、物理的な場所や時間にとらわれることなく、自分らしい働き方ができる「リモートワーク」に、注目が集まっている。毎朝、ラッシュ時の満員電車に乗らなくていい。好きな場所で好きな時間に仕事ができる。そんな夢のような働き方を可能にするのが、リモートワークなのだ。
でも、いくつか疑問もある。一人でパソコンに向かって仕事をするのは気楽だけど、だれかに仕事のことを相談したいときや、サクッと打ち合わせがしたいときに、コミュニケーションをとるのが大変そう。それ以前に、社員同士が仲良くなるのに時間がかかりそう……。
そこで今回、社内にリモートワークを全面導入し、最先端の働き方を実践している、株式会社ソニックガーデン代表取締役・倉貫義人さんにお話を伺う機会をいただいた。リモートワークについて知識ゼロの筆者に対し、倉貫さんはときおりクールな視線をこちらに投げかけつつ、ていねいに、わかりやすい言葉で語ってくれた。
プロフィール:倉貫 義人(くらぬき よしひと)
株式会社ソニックガーデン 代表取締役社長
1974年京都生まれ。1999年立命館大学大学院を卒業し、TIS(旧 東洋情報システム)に入社。2003年に同社の基盤技術センターの立ち上げに参画。2005年に社内SNS「SKIP」の開発と社内展開、その後オープンソース化を行う。2009年にSKIP事業を専門で行う社内ベンチャー「SonicGarden」を立ち上げる。2011年にTIS株式会社からのMBOを行い、株式会社ソニックガーデンを創業。「納品のない受託開発」という新しいビジネスモデルを展開し注目を集める。著書に『「納品」をなくせばうまくいく』『リモートチームでうまくいく』など。「心はプログラマ、仕事は経営者」がモットー。
―――会社でリモートワークを取り入れるきっかけは何だったのでしょう?
「ソニックガーデンは、ソフトウェア開発をおもな事業にしています。もともとリモートワークを導入する前から、一人の社員がアイルランドに移住し、ノートパソコンとインターネットを使い、遠隔で仕事をする形態をとっていました。だから、物理的に離れた場所にいる人と仕事をするのは可能だな、とは思っていたんです。あるとき、社員に応募してきた人の中に、兵庫県在住者がいました。話を聞いてみると、『家族を置いての単身赴任は無理だし、上京もできない。でも入社して頑張りたい』という。とても優秀な人だったので、ぜひ入社してほしいと思い、『それなら在宅勤務の仕組みを作ろう』ということに。こうして必要に迫られて導入したのがリモートワークだったんです」
―――現在、全国各地に在宅勤務の社員がいらっしゃるそうですね。
「いま、社員は39人。全員がリモートワークをしています。物理的なオフィスは東京にありますが、関東圏の在住者以外に、北海道、新潟、富山、大阪、静岡、愛知、岡山、広島、山口、大分……など、全国各地に社員がいます。もちろん、東京のオフィスに通える社員であっても、働く場所は自由ですよ。そのときの状況に応じて、オフィスで働いてもいいし、家でも、カフェでも、旅先でもOKです。ノートパソコンがあって、インターネットにつなぐことができれば、どこにいても仕事はできますから」
―――すごいですね! 全国のさまざまな場所に社員がいらっしゃるなんて。でも、素人的な考えで恐縮ですが、みんながそれぞれ自由な場所でパソコンと向き合って仕事をすると、お互いのコミュニケーションが取りにくくなり、ちょっと孤独な感じがするのですが……。
「そんなふうに勘違いしている方が多いのですが、わたしたちの会社の場合、むしろリモートワークを導入してからのほうが、社員全員の絆や関係性が深まったと感じています。わが社のリモートワークは、たとえ各人が離れた場所にいても、同じオフィスで一緒に働くのと同じように仕事をするスタイルです。わたしはこの仕組みを「リモートチーム」と呼んでいます。リモートワークとチームワーク、両者を実現するにあたり、何よりも必要なのは、インターネット上にバーチャルオフィスをつくることです。社員たちは毎日、このバーチャルオフィスに出社し、物理的なオフィスにいるのと同じように打ち合わせをしたり、コミュニケーションをとったりしながら仕事をします」
―――なるほど。物理的なオフィスにいるのと同じように、バーチャルオフィスを拠点にすることで、社員同士のチームワークやモチベーションが高まり、信頼関係を築きながら仕事ができるんですね。さらに、御社のリモートチームをより高めたのは、「雑談」だと伺っていますが、どういうことでしょうか?
「じつは、わたしたちが理想的なリモートチームに行きつくまでには、一つだけ課題がありました。それは、物理的なオフィスにいるのと違って、社員同士の雑談ができなくなったことです。バーチャルオフィスで打ち合わせをしても、用件が終わって画面共有を切ると、それで終わり。普通のオフィスだと、この後、自分の席に戻りながら、何となくしゃべったりしますよね。雑談をきっかけにアイデアを思いついたり、仲良くなったりすることもあるでしょう。こういった仕事以外のちょっとしたコミュニケーションが、じつはチームを円滑にするために重要な役目をもっていることに気がついたんです」
―――まさに、目からウロコの気分です。IT化の最先端ともいえるリモートワークに足りなかったのが、じつは一見ムダのように思える“雑談”だったとは!
「ふだん、あまりコミュニケーションを取っていない相手に、いきなり難しい課題を相談するのって、けっこうハードルが高いですよね。でも、日常で何気ない雑談ができる相手なら、ハードルが低くなり、相談しやすい関係になっていきます。そこで、『雑談できるリモートワークツール』を自分たちで開発することになり、『Remotty』というツールができました。『Remotty』の特徴は、相手の顔を見ながら、気軽に独り言をつぶやいたり、ふと誰かと雑談で盛り上がったりできるところです。しかも、仕事に集中している人の邪魔をしません。このツールによって、離れていてもお互いの存在感に触れながら、まるで隣の席で仕事をしているような感覚をもって仕事ができるようになりました」
―――リモートワークを導入する企業が増えている一方、「うちの会社ではうまくいかなかった」という声もよく耳にしますね。
「そうですね。リモートワークの導入がうまくいかない理由は、いきなり始めようとするからだと思います。離れた場所でも問題なく仕事ができる仕組みづくりを、段階を追って実践していくことが大切です。これまで物理的なオフィスで仕事をしていた人が、急に拠点を失って、『明日からリモートワークで働いてください』と言われても、メリットは何もありません。オフィスにはいろいろな役割や機能があります。社員同士の働いている顔が見えるとか、すぐに相談ができるとか、チーム全体の動きがわかるとか……。これまでオフィスで当たり前にできていたことがバーチャルオフィスという拠点で同じようにできれば、リモートワークは実現できると思います」
―――企業やマネジメント側にとって、リモートワークを取り入れると、どのようなメリットがありますか?
「採用の幅がぐっと広がることですね。わたしたちの会社では、業務用ソフトウェアや情報システムなどの開発を受注するにあたり、『納品のない受託開発』というビジネスモデルを打ち出しています。従来の受託開発だと、納品したらそこで関係は終わりです。でも、本来はユーザーの反応を見ながら少しずつ作って成長させていくのが、もっとも効率のよい方法だと思うんです。そこで納品という習慣をなくし、顧問のような形で、ソフトウェア開発のプロフェッショナルが各ユーザーを担当し、事業の相談から開発、運用まですべて任せていただくサービスを提供することにしました。そのため、優秀な人材の採用が必要となります。リモートワークを導入すれば、本社のある東京近郊の在住者にこだわらず、日本全国や世界全体で人材を募集することができるので、メリットはとても大きいですね」
―――最後に、倉貫さんが仕事をする上で大切にしていることや、次世代に残したい価値について教えてください。
「わたしたちの会社では、『遊ぶように働く』というのをテーマにしています。社員たちが自分らしく楽しく仕事ができるよう、ワークスタイルを工夫したり、新たな仕組みを作ったりと、柔軟な環境づくりに取り組んでいます。というか、わたしが会社を変えるんじゃなくて、社員たちが自らこうしたいといって、自分たちでどんどん変えているんです。なんでも自由にできるけれど、その上で成果をしっかり出していく。これからはそういう働き方が求められていると思います。働くことは決して苦痛でなく、楽しいものであること。そういう新たな価値を、次世代に伝えていきたいですね」
リモートワーク、いやリモートチームは、仕事への概念を変え、だれもが自由に働ける手段の一つとして、今後、多くの企業に浸透していくだろう。物理的なオフィスに通勤し、毎日顔を合わせているからといって、コミュニケーションが十分に取れていて、お互いの信頼関係が築けているとは限らないのだ。
働く場所はどこでもいい。バーチャルオフィスを拠点にしながら、遊ぶように楽しく働く。
離れていても、社員同士の存在を身近に感じるし、気軽に雑談を楽しみ、飲み会だってできてしまう。
「だから仕事への集中力やモチベーションが高まり、結果として、よい成果を次々に生み出すことができるんです」と表情を変えず、淡々と語る倉貫さん。
そんな取材の間にも、ソニックガーデンのバーチャルオフィスでは、社員たちが雑談をしたり、打ち合わせをしたりと、普通のオフィスと何ら変わらない、日常の仕事風景が広がっていた。
取材・執筆:小川こころ/文筆家・童話作家
福岡県生まれ。大学卒業後、楽器メーカーを経て新聞記者に。多くの絵本や作家との出会いをきっかけに、日本や海外、古今東西の絵本研究に力を入れる。2011年に独立し、取材・執筆を手がける個人事務所を設立。同時に、「ゼロから始める文章講座」や「コラムの書き方入門講座」など、執筆や表現に関するワークショップ【東京青猫ワークス】を立ち上げ、累計受講者数は2500人を超える。企画・執筆・編集などを手がけた書籍は、『キャリア教育に生きる! 仕事ファイル』(小峰書店)、『大人の美しい一筆箋活用術』『ココロが育つよみきかせ絵本 イソップものがたり70選』『ココロが育つよみきかせ絵本 世界のどうわ』『日本の神様のお話(上)(下)』(すべて東京書店)ほか
撮影:樋宮純一/フォトグラファー
長野県生まれ。第一企画 写真部などを経て独立。人物から建築、料理、商品まで幅広く撮影を手がける。