2020年の東京五輪開催が間近に迫っている。日本オリンピック委員会(JOC)は、金メダルの目標について、過去最多の16個をはるかに上回る、30個という未知の数字を掲げた。スポーツ庁の鈴木大地長官が言う、柔道、体操、レスリング、水泳の「御四家」をはじめ、卓球、バドミントン、フェンシングなど、近年、日本のアスリートたちの活躍は目覚ましい。
テレビを通して日本人選手たちの台頭を目にするだけの立場からは、「日本におけるスポーツの未来は明るいなぁ」と手放しに喜んでいたが、それは、スポーツ界のほんの一部分しか見ていない感想だということに、最近気がついた。スポーツ界や競技経験者には、外側にはあまり見えない厳しい現実があり、向き合わなければならない課題がある。筆者がそう考えるようになったのは、先日、日本体育大学で実施された、ある授業を目撃したからだ。
学生アスリートの未来を支援
東急田園都市線青葉台駅からバスで約10分、日本体育大学の横浜・健志台キャンパスへ。取材のため、指定された教室に足を踏み入れると、司会者と数人のパネリストが、40人ほどの学生たちに向けて、講義を展開している真っ最中だった。
司会をしているのは、富士通株式会社企業スポーツ推進室に籍を置きながら、NPO法人Shape the Dream代表理事という顔をもつ白木栄次さん、34歳。アメリカンフットボール選手として高校で3年連続全国優勝を経験し、近畿大学では主将を務め、卒業後は富士通の社会人チームでプレー。2014年、チーム史上初の日本一に貢献後、現役引退という、輝かしい経歴をもった元アスリートだ。
司会の白木さんに促され、パネリストの一人である女性が、自分の歩んだキャリアについて話し始める。
「わたしは高校時代にチアリーディングを始め、日本体育大学に入学し、チアリーディング日本選手権大会で優勝しました。その後はアパレル系の会社で働きながら日本代表として世界大会優勝を経験。富士通に転職し、女子バスケ部で応援の手伝いをするようになったんです。それから……」
語っているのは、元チアリ―ディング選手で現在は富士通の社員として働く、三橋麻未さん。彼女の言葉を、参加する体育会系の学生たちがうなずきながら聞いている。
アスリートが競技引退後の長い人生を有意義に過ごすために、いったい何ができるのか。どんなふうに自分の居場所を見つけるのか。この授業は、元アスリートたちによる、大学の体育会に所属する学生アスリートたちのための、キャリア形成を考えるワークショップなのである。
元アスリート社員だからこそできる社会への還元
元アスリートがなぜNPO法人を立ち上げ、学生たちに授業をしているのだろう。その答えは、白木さん自身がずっと感じていた「学生アスリートが社会に出たとき、自分の価値や可能性を発揮できていない」「スポーツだけやってていいのか?」という課題意識の中にある。
2014年に現役を引退するまで、白木さんはアメフトに専念する毎日を過ごし、「引退後のキャリアをどうするか」なんて、意識することはまったくなかった。
けれども、競技を引退したあとに待っていたのは、シビアな現実だった。
「ひたすら競技に打ち込んできたので、いざビジネスと向き合おうと思っても、わからないことばかり。たとえば、社内のシステムエンジニアと打ち合わせをしようとしても、専門用語が理解できなかったんです」
これではいけない、ビジネスを基礎から学び直そうと考えた白木さんは、「青山ビジネススクール(青山学院大学大学院国際マネジメント研究科国際マネジメント専攻)」に入学し、経営学や統計学などを体系的に学んだ。
「印象に残っているのは、大学院1年目の科目選択で履修した、アントレプレナーシップの講座です。起業家精神を学び、自分のビジネステーマを掲げて実証していく内容ですが、この授業との出会いが、私にとっての大きな転機となりました。自ら『学生アスリートを対象に、スポーツキャリア教育の支援をしたい』と提案したことがきっかけで、その後、Shape the Dreamの設立につながったんです」
学生アスリートや体育会学生が、競技引退後のキャリア形成に必要な考え方やマインドをリアルに学び、「なりたい自分」になるためのきっかけを作りたい。2016年、富士通株式会社協賛のもと、白木さんをはじめ、社会で活躍する元アスリートたちが中心となって、NPO法人Shape the Dreamが誕生した。
Shape the Dreamが提供するのは、アスリートが持つ強み・弱みについて考え、グループでの対話を通して、キャリアへの活かし方を見つけるワークや、目標の実現に向けて具体的にどう行動するかイメージできるようになるワーク、現役時代に各スポーツで活躍し、現在は社会人としてキャリアを形成している方々の講義など、対象者やニーズに合わせてアレンジする、独自のShapeプログラムだ。
「設立当初は、不安や迷いがたくさんありましたね。自分たちのやりたいことは、多くの人に必要とされているのだろうか。アスリートたちの支援につながるのだろうか、と考えてしまって」と、白木さんは、当時の正直な思いを振り返る。
新潟の高校生たちから教わったこと
そんな黎明期に出会ったのが、新潟県胎内市にある開志国際高等学校だった。これからNPOとして本格始動するにあたり、トライアルで開志国際高等学校女子バスケットボール部の生徒を対象に、Shapeプログラムを実施することになったのだ。
「高校生たちを対象に、『私のキャリアを考える』『チームとリーダーシップ』など計5回の授業をしました。5回目となる最後のShapeで『間近に迫った大会に向けての目標と、5年後の自分の目標』を書いてもらったのですが、驚いたことに、3年生たちが自分の綴った目標を発表する際、みんな泣きだしてしまったんです。自分自身としっかり対話し、未来と向き合ったことで、今までに感じたことのない、さまざまな思いがあふれてきたんだと思います。
授業後のアンケートには「Shapeを受けて本当に良かった」「自分の未来を考えるきっかけをくれた」と高校生たちの素直な気持ちが綴られていて、帰りの車の中で、私たちShape the Dreamのメンバーも号泣してしまいました」。
白木さんの中に、不安や迷いは消えていた。授業を受けた高校生たちの言葉が、何よりのGOサインとなり、Shape the Dreamの活動を後押ししてくれたのだ。このトライアルがきっかけとなり、同校では、現在も継続的にアスリートコースの生徒を対象とするShape プログラムを実施している。
アスリートのセカンドキャリア問題に挑む
Shape the Dreamは2017年の設立以来、活動はさらに拡大している。2018年3月現在で、受講生は2000人以上に。設立当時は数人だったメンバーも、今では各競技の活動歴をもつ元アスリートが集まり、20人を超えている。
「営業活動を一切していないのに、小学校から大学まで、たくさんの学校や団体に『うちで授業をしてほしい』という声をいただきます。改めて、スポーツにおけるキャリア支援のニーズが高いことを実感しますね」と白木さん。
筆者が取材に訪れた日本体育大学とは、年間包括契約を結び、同大学の15体育クラブ・サークル団体に在籍する2年生約200人を対象に、競技にもキャリア形成にも活かせるShapeプログラムを実施している。
日本の二大プロスポーツである、プロ野球とJリーグ。それぞれの引退平均年齢は、プロ野球が29歳、Jリーグは25歳だという。競技に身を置くアスリートたちにとって、今後のキャリアを意識したり、自分の強みの活かし方を考えたりする機会はほとんどない。
「だから、引退後に何かを始めても、うまくいかずに辞めてしまったり、自分の居場所を見つけられなかったりすることが多いですね」と、白木さんは残念そうに目を伏せる。
最後に、アスリートの強みや可能性について尋ねると、白木さんは力強い口調でこう答えた。
「一流の競技者を目指す日本のアスリートたちの多くは、中学や高校をはじめ学生時代に多くの時間をかけて、練習に励みます。そんな日々の中で、チームワークや集中力、表現力、リーダーシップ、やり抜く力など、潜在的に多くのスキルを身につけているんです。これらの強みをスポーツ分野以外でも活かせることや、自分のキャリアについて考える機会や方法を、Shapeのプログラムを通して伝えていきたいと思っています」。
自身の能力や強みを知り、自ら課題を解決できる、自立したアスリートを育成すること。それが、日本のスポーツ界がさらなる高みを目指すための重要なステップとなるのだろう。取材後、脇目も振らず陸上競技の練習に励む学生たちを見ながら、日体大のキャンパスを後にした。
■プロフィール:NPO法人Shape the Dream代表理事 白木栄次さん
1984年生まれ。高校からアメリカンフットボールを始め、3年連続全国優勝を経験。近畿大学に進み、4年時には主将としてチームを牽引する。富士通へ入社後は、社会人チームの富士通フロンティアーズでプレーし、2014年にチーム史上初の日本一に貢献。同年に現役を引退。2016年に青山学院大学のMBAコースである「青山ビジネススクール」に入学し、スポーツ界を中心とした教育現場の改革を志しShape the Dreamを立ち上げ、代表理事を務める。2児の父でもある。
取材・執筆:小川こころ/文筆家・童話作家
福岡県生まれ。大学卒業後、楽器メーカーを経て新聞記者に。多くの絵本や作家との出会いをきっかけに、日本や海外、古今東西の絵本研究に力を入れる。2011年に独立し、取材・執筆を手がける個人事務所を設立。同時に、「ゼロから始める文章講座」や「コラムの書き方入門講座」など、執筆や表現に関するワークショップ【東京青猫ワークス】を立ち上げる。ブログ「ことばのチカラはこころのチカラ!」を運営。企画・執筆・編集などを手がけた書籍は、『キャリア教育に生きる! 仕事ファイル』(小峰書店)、『大人の美しい一筆箋活用術』『ココロが育つよみきかせ絵本 イソップものがたり70選』『ココロが育つよみきかせ絵本 世界のどうわ』『日本の神様のお話(上)(下)』(すべて東京書店)ほか。
撮影:樋宮純一/フォトグラファー
長野県生まれ。第一企画 写真部などを経て独立。人物から建築、料理、商品まで幅広く撮影を手がける。
取材・編集:石原智/一般社団法人 次世代価値コンソーシアム「NVC REPORT」
2019年4月5日掲載