挑戦し続ける者~松下浩二 Tリーグ・初代チェアマン

2018年10月、両国国技館で卓球新リーグ「Tリーグ」が発足した。キラキラと輝くライティングや音などの演出でショーアップされた試合会場は、さながらアーティストのライブ会場のよう。スター選手たちのエキサイティングでクレバーな戦いぶりに、多くの人が心を揺さぶられ、圧倒された。そして、誰もがはっきりと認識した。「卓球っておもしろい!」と。日本卓球界はこの日、歴史的な一歩を踏み出した。

今や空前の「卓球ブーム」。2016年リオデジャネイロ・オリンピックで水谷隼選手が日本人として初めてシングルスでメダルを獲り、2017~2018年の世界選手権におけるメダルの獲得ラッシュなどによって、男女ともに世界ランキング上位に名を連ねる若手選手たちが台頭した。日本国内での卓球人気はぐんぐん上昇し、間近に迫った東京オリンピックに向けて、国民の熱量は一気に高まっている。

「若手選手の活躍」「卓球ブーム」「2020東京オリンピック」。まさに今しかない、という絶妙な時流を捉えて発足したTリーグの舞台裏には、卓球界のレジェンドと呼ばれる仕掛け人の存在があった。現役時代はプロ卓球選手第一号として活躍し、日本人初のドイツ・ブンデスリーガに参戦するなど数々の輝かしい実績を積み上げ、卓球界を牽引してきたTリーグのチェアマン、松下浩二さん。
Tリーグの理念は、次のように掲げられている。

  1. 世界No.1の卓球リーグを実現する
  2. 卓球のスポーツビジネス価値を高める
  3. 卓球を通じて人生を豊かにする

どのような構想や経緯を経てTリーグ発足に至ったのか。チェアマンとしての信念やビジョンとは。卓球界がこれから描いていく未来とは――。
卓球のさらなる魅力を探求するため、東京都文京区にあるTリーグ事務局で話を聞いた。


松下浩二(Matushita,KOHJI):1967年生まれ、愛知県豊橋市出身。明治大学卒業後、複数の企業での所属を経て、93年日本人初のプロ卓球選手に。スウェーデン、ドイツ、フランスの欧州3大リーグを経験後、02年中国リーグに初参戦。ブンデスリーガのボルシア・デュッセルドルフ所属時の1999・2000年シーズンにはヨーロッパチャンピオンズリーグで優勝。
オリンピックには、バルセロナ、アトランタ、シドニー、アテネと4大会連続出場。最高成績はアトランタオリンピック男子ダブルスのベスト8・5位入賞。
2009年の全日本選手権を最後に引退。2018年開幕したTリーグの専務理事、チェアマンに就任。


世界最高峰のプロリーグを目指して


日本卓球界のパイオニアというと、風格や威厳のあるイメージを想像するかもしれない。けれども、実際にお会いした松下浩二Tリーグチェアマンは、柔和な笑顔とソフトな語り口調が印象的な、敏腕営業マンのような方である。

まず驚いたのは、フットワークの軽さだ。チェアマンに就任する前も、就任後も、とにかくじっとしていない。「今月は30試合くらいに足を運びましたね」と語るように、全国各地、リーグとして初めて試合をする会場には必ず出向き、一度訪れた会場でも、業務に支障がないときには何度も足を運んで試合を観戦する。試合の前に選手と話をしたり、試合中もお客さんの反応を確認したり、施設側と打ち合わせをしたりと動き回る。
「チェアマンとして、チームトップとの交流やスポンサーとコミュニケーションを図るなど、外交的な役割を果たすのはもちろんですが、ぼくにできることなら、営業でも広報でも何でもします。生まれたばかりのTリーグが世界最高峰のプロリーグとなるよう、きちんと育て、成長を見届けることが、ぼくの任務だと思っています」。

トップレベルの高校生に鍛えられた小学生時代


愛知県豊橋市出身の松下さんが卓球と出会ったのは、小学1年生のとき。5歳上の兄が通っていた地元の卓球場で、兄を待っている間、双子の弟と一緒に卓球場のおじさんに相手をしてもらったのがきっかけだという。
「当時は、子どもが卓球を教わったり、練習したりできるようなクラブや教室はありませんでした。だから、兄が入学した卓球の強豪校、私立桜丘高校の部活に小4のころから参加して、インターハイ上位の高校生たちを相手に練習を重ねたんです」
やがて兄と同じ高校に入学し、インターハイ決勝に進出するほどの実力をつけ、明治大学に進学。ダブルスで世界選手権に初出場、全日本選手権で優勝という快挙を成し遂げる。

周りから見れば、順風満帆な選手生活に違いないが、当の本人は、卓球へのモチベーションが下がっていたという。
「大学3年になり、将来のことを考えるようになったんです。当時、上位にいる卓球選手は大学卒業後、就職して実業団に所属するのが一般的な進路でした。働きながら試合に出るしかないんです。それまでお世話になった恩師にも『卓球バカではいけない。勉強もちゃんとやれ』と言われていました。ぼくも内定先が決まって、何となく卓球に集中できなくなっていたんです」

欧州プロリーグでの衝撃体験


 「スウェーデンリーグのチームでプレーしてみないか」と声をかけられたのは、そんなときだった。当時の卓球王国といえば、中国でなく、圧倒的にスウェーデンである。そうだ、海外には卓球のプロリーグが存在し、ラケット1本でお金を稼いでいる人たちがいる。リーグの仕組みや選手の生活を自ら体験してみたい。そんな興味本位で、大学4年の1989年9月、松下さんは海を渡った。

「スウェーデンのチームでプロ選手たちと多くの時間を共有できたことは、ぼくにとってかなり衝撃的でした。チームメイトには前年のソウルオリンピックで男子シングルスの銅メダリストもいましたが、彼らのプロ意識の高さや練習への取り組み方、すべてに圧倒されましたね。地域には卓球文化や卓球愛がしっかり浸透し、街の人々は選手たちを地元の誇りとして応援する。選手たちはプロとして試合に出場し、稼いだお金で豊かな暮らしをすることができる。こんな光景を日本でもいつか見てみたい、と心に強く刻みました」
スウェーデンリーグでの体験はわずか8か月だったが、このときに松下さんが受けた衝撃と熱い思いが、日本のTリーグ構想の原点になったのだ。

挫折が転機で、ドイツ・ブンデスリーガへ


大学を卒業後、実業団に所属した松下さんは、1992年のバルセロナオリンピックに出場。1993年には日本卓球界初のプロ選手になり、全日本選手権男子シングルスでの優勝をはじめ、1996年アトランタオリンピックの男子シングルスでベスト16、男子ダブルスでベスト8という好成績を次々に収めた。
1997年、松下さんはドイツのブンデスリーガに参戦することになったが、ドイツ行きの決め手となったのは、「じつは会社にクビを宣告されたからなんです」と語る。当時契約していた会社からの条件は、「プロ選手として日本の大会で優勝すること」だった。けれども、ちょうど腰を痛め、痛み止めの注射を打ちながら試合に出ていた松下さんは、監督の許可のもと、最終戦に出場することを断念した。そのことを知った社長は、翌日、松下さんを呼び、「なぜ試合に出ないんだ。うちの会社がなぜきみに高い契約金を払っているのか、わからないなら、会社を辞めてくれ」と一刀両断にしたのだ。

当時を振り返り、あのころは自分の評価をはき違えていた、と松下さんは言う。
「クビを宣告されて、落ち込むどころか、『腰を痛めているのに、なぜそんな理不尽なことを言われなければならないんだ。ぼくは日本チャンピオンなんだぞ』という感覚でしたから。でも、その後、社長の言葉がぼくの心にじわじわと浸透し、これからは自分で自分を評価するのはやめようと誓いました。たとえ日本チャンピオンや世界チャンピオンになったところで、松下という人間に価値がなければ、誰もお金を出してくれません。ぼくはできる限りの努力をして、人にお金を出してもらえるような選手にならなければいけない。それがプロの仕事です。この思いは今も変わりません。現在、チェアマンとして仕事をしていますが、『松下、おまえはもう必要ない』と言われれば、『ありがとうございました』と素直に引き下がります」

フリーの立場になった松下さんは、日本人で初めてドイツのブンデスリーガに挑戦。ヨーロッパのチャンピオンリーグで優勝するなどの鮮やかな結果を残し、さらにフランスリーグや中国の超級リーグにも在籍して、キャリアを積んできた。
「各国のリーグは、それぞれ方向性や運営の仕方などの特徴が違います。選手として技術を磨きたいと思う以上に、どうやって各リーグが収益を得ているのか、どんな組織が必要なのか、ファンとの交流はどのようにしているのかなど、とても興味がありました」

自ら飛び込み、自ら学ぶ


2009年1月の全日本選手権で引退した後、さまざまな場でプロリーグ構想を提言する松下さんに、周囲の声は厳しいものが多かった。
「これまで日本のトップ選手たちは、他国のリーグに依存することで、力をつけてきました。けれども、男女ともに卓球王国である中国にあと一歩と迫りつつある今だからこそ、海外での出稼ぎでなく、自国のリーグで強化育成していくべきです。確かに、最初は『プロリーグなんて無理だ』『実現するのは難しい』という声が多かったですね。でも、ぼくはこれまでプロ宣言やブンデスリーガ挑戦のときも、同じことを言われました。無理そうだからあきらめるのでなく、まずはそこに飛び込み、自ら学ばなければ何も始まりません。これまでの体験でそう学んでいたので、プロリーグ創出への気持ちは揺らぎませんでした」

2008年の北京オリンピック後、松下さんらの先導のもと、日本卓球協会はプロリーグのプロジェクトチームを立ち上げ、仕組みづくりや資金調達、PR活動に奔走した。発足にあたって参考にしたのは、ドイツのリーグだという。ドイツリーグは日本で言えば「Jリーグ」や「Bリーグ」のような地域密着型の運営体制をとっているのが特徴だ。
「一つの会社だけでなく、広くスポンサーを募ることで強固なサポート体制を構築し、それぞれの地域に根ざすことで、地元の住民や企業から愛されるチームを作る。これがTリーグの目指す方向性です」。

プロジェクトチームができてから10年後の2018年、晴れて新卓球リーグ、Tリーグが男女8チームで開幕した。松下さんが大学4年のときにスウェーデンのプロリーグで卓球観が変わるほどの衝撃を受けてから30年後、ようやく日本で新リーグ発足の夢が実現したのだ。開幕戦の会場を国技館にしたのは、「卓球がいずれ日本の国技のように愛され、人々の身近なスポーツになりますように」という思いが込められている。

2019年2月末、Tリーグ創設1年目のレギュラーシーズン全日程84試合が無事に終了した。平均入場者数は1186人。松下さんは、
「満足はしていないが、まずまずの結果ですね。多くの選手が頑張ってくれて、張本智和選手がグランドファイナルで優勝したことで、観戦したいというお客様が増えました。選手や関係者の皆さんに深く感謝しています」と総括する。

試合会場には頻繁に足を運ぶ(写真提供:Tリーグ) ©T.LEAGUE

Tリーグの目指すところ


2年目を迎えるTリーグは、どのような未来に向かっていくのだろう。これからの展望について、松下さんはこう語った。
「2025年を一つの目標に、Tリーグ構想を少しずつ実現していきます。Tリーグ構想とは1部から16部までレベルごとにクラス分けされたドイツリーグを参考にした体系です。プロのトップレベルの選手が参戦する『Tプレミアリーグ』を頂点に、『T1』、『T2』などの下位リーグを設けていきます。いずれは、日本の各地域で活動する卓球クラブが『T20』や『T30』のような形で参入できるように、子どもから大人まで約760万人といわれる日本の卓球競技者を、一つのピラミッド構造に組み込んでいきたいですね。このような組織を作ることで、卓球の入り口となる下位リーグで子どもたちの技術や力を伸ばし、子どもたちはさらに上のリーグを目指して頑張ろうという明確な目標ができます

松下さんが目指すTリーグは、世界と渡り合える強い選手をたくさん生み出すことが第一目標ですか? そう問いかけると、松下さんは「単にメダルを獲れる選手を量産することが目標ではありません。プロでもアマチュアでも、卓球を一生懸命やることで、その後の人生の可能性が大きく広がっていくことを示していきたいんです」と即答する。
たとえば、選手が引退後、Tリーグの監督やコーチなどに就任したり、下位リーグで活躍した選手がリーグの運営に携わったりすることで、セカンドキャリアとしての選択肢を生み出す。つまり、卓球という競技が人々の暮らしや文化を豊かにしていく力になる。そんなふうに「卓球というスポーツのステータスを高めていくことが、Tリーグの大きな使命」だと、松下さんは語る。

卓球で、スポーツで社会を生き抜く力を育む


松下さんが次世代に残したい価値観とは? そうたずねると、情熱みなぎるチェアマンは、少し考えながらこう答えた。
「日本社会を明るくするには、教育が何より大切という信念です。Tリーグにおいて、ある程度の利益が出るようになったら、子どもたちの健全な成長のためにお金を使いたいと考えています。育成の場を増やし、スポーツを頑張ることで気持ちが強くなり、勉強も頑張れるようになったり、きちんとあいさつができるようになったり、社会で生き抜くための基礎づくりをTリーグで担うことができたら嬉しいですね。実際に、不登校だった子がTリーグを観戦して選手の姿に勇気づけられ、水谷 隼 選手にサインをもらったことを友だちに話したくて学校に行くようになったというメッセージをいただいたりすると、Tリーグの社会的意義の大きさを改めて感じます」

日本卓球界の有名人である松下さんは、Tリーグの試合会場でも、スポンサーとの懇親会でも、つねに人気者だ。「現役時代から憧れています」「ずっと応援していました」と、松下さんに会いたくて遠方から足を運ぶお客さんも多い。ときにはデモンストレーションで卓球のプレーを自ら披露することもあるという。
スウェーデン、ドイツ、フランス、中国など海外の名だたるプロリーグに一人で挑み、数々の「日本で初めて」を実現してきた先駆者は、今日も全国各地の試合会場に飛び込んで、納得するまで行動し、新たな道を切り拓いている。

松下浩二 Tリーグチェアマン

information

「ノジマTリーグ 2018-2019シーズン」のプレーオフ ファイナルが2019年3月17日に東京・両国国技館で開催されます。
男子は、水谷隼、張本智和両選手の「木下マイスター東京」と森薗政崇選手の「岡山リベッツ」戦。
女子は、石川佳純選手の「木下アビエル神奈川」と、平野美宇選手の「日本生命レッドエルフ」戦。
ノジマTリーグのファーストシーズンの最終試合を体感してください。

追記:上記3月17日の試合結果がこちらに掲載されています。


取材・執筆:小川こころ/文筆家・童話作家
福岡県生まれ。大学卒業後、楽器メーカーを経て新聞記者に。多くの絵本や作家との出会いをきっかけに、日本や海外、古今東西の絵本研究に力を入れる。2011年に独立し、取材・執筆を手がける個人事務所を設立。同時に、「ゼロから始める文章講座」や「コラムの書き方入門講座」など、執筆や表現に関するワークショップ【東京青猫ワークス】を立ち上げる。ブログ「ことばのチカラはこころのチカラ!」を運営。企画・執筆・編集などを手がけた書籍は、『キャリア教育に生きる! 仕事ファイル』(小峰書店)、『大人の美しい一筆箋活用術』『ココロが育つよみきかせ絵本 イソップものがたり70選』『ココロが育つよみきかせ絵本 世界のどうわ』『日本の神様のお話(上)(下)』(すべて東京書店)ほか


撮影(Tリーグ提供写真を除く):樋宮純一/フォトグラファー
長野県生まれ。第一企画 写真部などを経て独立。人物から建築、料理、商品まで幅広く撮影を手がける。


取材・編集:石原智

編集協力:山田達哉

2019年3月7日掲載

関連記事

  1. 【連載】絵本で酔う 絵本作家・長田真作 〜第3回 奔放な遺伝子〜

  2. 地域を“連結”する~しなの鉄道株式会社(長野県)

  3. 【連載】絵本で酔う 絵本作家・長田真作 〜第1回 混沌としたピュア〜

  4. 森隆弘~オリンピック・スイマーのネクスト・ストローク

  5. 分身ロボットが広げる生き方の可能性~オリィ研究所の挑戦~

  6. イエナカに現代アートを~ワンピース倶楽部代表 石鍋博子さん

  7. 【連載】絵本で酔う 絵本作家・長田真作〜第2回 澄み切った単細胞〜

  8. 勝負が人を育てるーーテニス指導者 加藤季温